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P.F.ドラッカーとは何者か? (“情報リテラシー”教育の発展とその向こう側(Vol.8))

「もしドラ」という本をご存じだろうか。「もしドラ」とは、2009年12月に初版が発売された、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」と題する本の略称で、公立高校の弱小野球部でマネージャーを務める女子高生・川島みなみが、ピーター・F・ドラッカーの著した組織管理論手引書「マネジメント」を書店で手に取ったことを契機に部の意識改革を進め、甲子園を目指すというストーリーである。2010年代前半、この青春小説がミリオンセラーに輝いたことで、ピーター・ドラッカーブームが巻き起こった。

弊研究所のホームページを訪れてくださる方であれば、「ピーター・ドラッカー」という人物名を一度は聞いたことがあるだろう。経営学という業界、さらには広い意味で経営に携わる方の中には、彼の本を愛読書にされている方がいるかもしれない。今回は、経営学の父と形容される「ピーター・ドラッカー」について、彼の人物像を明らかにしたいと思う。

(写真:ピーター・ドラッカー)

(参照:ドラッカー日本公式サイト)

ピーター・ファーディナント・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker,1909-2005)は、オーストリア・ウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人である。ドイツの名門ゲーテ大学フランクフルト(単にフランクフルト大学と呼ばれることも多い)を卒業後、1929年にはドイツ・フランクフルト・アム・マインの「フランクフルタ―・ゲネラル・アンツァイガ-(Frankfurter General-Anzeiger)」紙の記者になり、国際及び金融関係の編集長に昇進した。1931年にはフランクフルト大学の法学博士号を取得。この頃、文筆の才を認められ情報省での仕事を提供された関係で、当時の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス、ナチ党)の党首アドルフ・ヒトラーやヨーゼフ・ゲッベルスへのインタビューを許可されていたという。しかし、「ヒトラーとルーズベルトがともに権力の座についたあの不吉な一九三三年[P.F.Drucker69, p.9]」と著作内で記述するなど、ナチス・ドイツの台頭を憎悪の目で観察していたドラッカーは、彼らから不興を買うことを承知の上哲学的エッセーを執筆し、自らがユダヤ人であることもありロンドンへ移住する。英国産業革命の進展の中で19世紀初めのロンドンに起源をもつ金融機関であるマーチャントバンク(merchant bank)でアナリストを務めた後、1937年には渡米。ニューヨーク大学教授などを経て1971年、ロサンゼルス郊外のクレアモント大学院大学(Claremont Colleges)の社会科学、経営学のマリー・ランキン・クラーク記念教授に任命され、以降執筆、教育、コンサルティング活動を続けた。

ドラッカーの父親アドルフ・ドラッカーは、オーストリア=ハンガリー帝国で外国貿易省長官を務め(後に退官して銀行頭取、ウィーン大学教授、ノースカロライナ大学、カリフォルニア大学ほか教授)、経済学者の育成にも尽力した人物である。

 

ドラッカー日本公式サイトによると、ドラッカーの専門領域は、政治、行政、経済、経営、歴史、哲学、心理学、文学、美術、教育、自己実現等多岐に渡っており、彼が幅広い分野に多大な影響を与えた人物であることが分かる。(今年8月、弊研究所が公式Instagramで投稿した弊研究所ファウンダー/代表取締役CEO/原田武夫が取り上げた本の1つが、米心理学者マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908-1970)の「完全なる人間―魂の目指すもの―(1998)」であったが、ドラッカーもまた、マズローの「欲求の5段階説(6段階説)」に多大な影響を受けた一人である。)彼の著作には「断絶の時代―来たるべき知識社会の構想―(1969)」「マネジメント(1974)」「すでに起こった未来(1994)」「経営の真髄(2012)」などがあり、また書下ろし書籍のほか、論文集、評伝、“日本におけるドラッカーの分身”上田惇生による入門などを含めれば、関連書は70冊近くにのぼるという。本ブログでは、特に経営学の根幹部分を説く「断絶の時代」を取り上げて執筆していく。

(写真:図書「断絶の時代」)

(参照:筆者撮影)

ドラッカーは、同書「第三部、組織社会、9 組織のマネジメント」内で、「まず組織がなんのために存在するかということを知らなければ、組織についてそれ以上の疑問にかかずらわっても多くのことはわからない。[P.F.Drucker69, p.247]」と明言する。ドラッカーによると、組織の機能的ないし活動的分野について、3つの主要な部分があり、それは①目的(ゴール)、②経営(マネジメント)、③個別の行動に関するものであると言う。

①目的(ゴール)

そもそも組織体の目的が明示化されていなければ、その活動の有効性も、成果を上げつつあるかどうかも判断できない。ただし、組織体にとって目標を設定する科学的方法はなく、これはまさに価値判断の問題であり、真に政治的な問題であると言う。

決定というものは解消する望みのない不確かさのもとで行われるー中略ー 決定は未来に関するものである。そしてわれわれは未来に関する“事実”はもちあわせていない。したがって、この領域ではつねに計画同士の衝突があり、また政治的価値の間に争いがある。[P.F.Drucker69, p.250]」

その中で、組織体内で「決定」する際に重要度が高いのは、第一に「何を取りやめるか」、第二に「何に優先度を与えるべきか」である。(今年4月より正規所員として雇用され始めた私は、経営者としての考えには到底及ばないが、与えられた仕事に対する正しい優先順位付けの重要性は身に染みて分かる。)ドラッカーは、「なにをやめるべきかの決定は最も重要であり、かつそれを怠ると最悪の事態を招くことになるであろう。[P.F.Drucker69, p.251]」と述べ、さらに組織において本質的なことは「決定する人」と「実施する人」とを分ける事だと言う。ちょうど人間の身体で例えると、脳からの指令(決定する人)とそれに続く手足(実施する人)というところだろうか。

 

②経営(マネジメント)

すべての組織は多数の人間を集めて一つのまとまった仕事をする[P.F.Drucker69, p.256]」ため、個人それぞれの必要や欲望に対抗しつつその組織の諸目的のバランスを保つという課題を抱えていると述べる。また、「知識労働者は現代的組織を可能にする。逆に、組織体の危機が知識労働者の仕事と機会をつくったともいえる。しかし、いかにして知識を生産的にするかということは、まだよくわからない。それが現になされているのは偶然か直観によるのである。[P.F.Drucker69, p.260]」とあり、文末に登場する「知識を生産する直観」は、弊研究所ファウンダー/代表取締役CEO・原田武夫が説く「未来への気づき・直観・アブダクション」とのリンクが見られる。

さらに、経営における効率性(代表的なのは政府高官と会計士)と有用性(結果を強調する)の間のバランスに関して、

効率性のアプローチは管理が必要で、それが組織の力であると見ている。有効性のアプローチは、管理は支援するものであり、破滅を防ぐために必要最低限な必要悪としか見ない。[P.F.Drucker69, p.259]」また、「効率性のアプローチでは、予想しうる結果をくり返し生み出すことができるような平凡なものをつくろうとする。―中略― 有効性のアプローチにおいては創造的なエネルギーを解放しようとする。[P.F.Drucker69, p.259]」とし、どちらも現実的な見方に立脚しているという。ただし、ドラッカー自身は有用性の方を支持していると述べ、結果・成果に拘ることへの意義を示しているように思える。

 

③個別の行動

こちらは、組織を構成する人間の有効性を問うものである。ドラッカーは、「われわれの社会全体の繁栄は、真の組織を効果的に動かす大量の知識労働者の能力にますます依存するようになってきている。そしてまた知識労働者の業績と満足に依存する度合いが高まってきている。[P.F.Drucker69, p.261]」と述べた上で、組織はしかるべく行われるような決定を個々人ができるようになることを求めていると言う。さらに「経営幹部の能力、訓練および知識は強調されてきたが、とくに彼の属性である有効性については見すごされてきた。―中略― 経営幹部の能力、知識およびその属する産業が値するものの一〇分の一程度の有効性すら持っている経営幹部は少ない[P.F.Drucker69, p.262]」と指摘する。

 

これら3つの領域は全く異なったものでありながら、組織体の同じ分野、同じ次元に属し、いずれも組織体の機能に関するものである。ドラッカーにとっての「経営学」とはただの金儲け論ではなく、企業組織を解明する神聖なる学問であったと解釈できるとは思わないだろうか。ドラッカーは冒頭で以下のように同書を説明していた。

本書は趨勢を予測するものではなく、非連続性を扱うものである。明日を予測するものではなく、現在を直視するものである。『明日はどうなっているだろうか』と問うものではなく、『明日をつくるために今日といかに取り組まなければならないか』を問うものである。[P.F.Drucker69, p.11]」

このような言葉を読むと、彼の哲学者のような一面も垣間見えるのである。

 

さて、ドラッカーは社会の変容に対してこのように語る。

しかしながら、最も重要な変化は“知識”に関するものである。知識は過去十年の間に、最も中心的な資本、あるいは費用項目、経済資源となった。すなわち労働力と仕事、教えることと学ぶこと、そして知識の本質とその使い方を変化させた。さらに、この変化は、新しい権力者、知識人の責任について改めて問題を提起させたのである。[P.F.Drucker69, p.8]」

肉体労働から知識労働への変遷を見事に語り、2024年の現代社会においても直面している「知識」労働の重要性を説いているのだ。次回は彼が示す「知識社会」について「教育」という観点からさらに掘り下げたいと思う。

 

※当ブログの記述内容は弊研究所の公式見解ではなく、執筆者の個人的見解です。

 

業執行ユニット 社会貢献事業部 田中マリア 拝

 

最後までお読み頂きありがとうございます。

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[参考文献]

・[P.F.Drucker69]P.F.ドラッカー著,林雄二郎訳,「断絶の時代―来たるべき知識社会の構想―」,ダイヤモンド社,1969.