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「崩れていく国家」の先のあるもの。(原田武夫の”Future Predicts.” Vol. 86)

かつて日本語で書籍を出していた時、名うての編集者の方(今でも大変お世話になっている)にこう言われて、少々違和感を感じたことがある。

「売れる本というのは我が国では”日本人は何でこんなにダメなのか”とか、”日本人というのは・・・”と類型論を語るものとか、なのですよ」

筆者が外務省を自らの意思で出奔してから早いもので20年の月日が経った。当時の写真を最近「発掘」して赤面してしまった。何というか、よくここまで「無知」「世間知らず」であったにもかかわらず、鼻っ柱だけは強かったものだと実の汗顔の至りである。しかし、当時のことを思い出し、その時に覚えたこの「違和感」を形を変えて今、あらためて心に染み入る様に覚えている自分がいる。

最近リニューアルし、「読ませる媒体」として再スタートした弊研究所の無料公式メールマガジンでも書き始めたことなのであるが(ご登録はこちらからどうぞ)、こうした「違和感」が今、我が国では恐ろしいほど消されている感じがする。何というか、全てが平坦であり、「問題意識」を語る向きがいないのである。しかも年齢が高い方はおろか、筆者が普段、大学で接している若い世代になるとその傾向はより顕著であり、「問題意識」「違和感」といったものを覚えることが無いように見受けている。もっと言うならば、「世界の側がおかしいのであるから、こうなるべきだ」と自ら動きだすというよりも、「世界の側がこうであるから、それに適応する自分にならなければ」とひたすら必死であるばかりなのである。無論、「グローバル社会をよりよくするためにこんなにがんばりました、海の向こうのグローバル・リーダーたちの下で指導を受けました!」といたいけにも連呼する学生・若者たちは後を絶たないのであるが、しかし「それではなぜそのグローバル・アジェンダなのですか?」と言われると全く答えられないのである。無論、「いや、それはSDGsに書いてあるからです」といった”模範解答”をする者たちもいるわけであるが、そもそも「SDGs」こそが利権の塊・総和であることを知らないのである。また知ろうともしないのである。怖いのは、「これが勝ち組だ!」とSNSで拡散されると、とにかくそれへの「最適化(optimization)」をするのが彼・彼女らの日常になっているということである。しかも大の大人たちがそうした「型通りの最適化をしている若者たち」を抽出することに人工知能(AI)を用いて奔走しているというわけであるから、もはや笑えない現実が我が国では広がりつつある。

今朝(20日朝)の某経済紙を見ていて実にそう思った。まずトップは「我が国有数の電力会社に対して外資勢を含む5つの集団が出資を検討している」旨の記事だ。この記事を読んで、「産業革命(動力革命)」から「情報革命」、さらには「知能革命」へと至った人類が最後に争うことになるのが「電力のグリッドだ」ということに思いを馳せることが出来た読者は果たして何人いたことであろうか。「福島第一原発問題」を抱える同社はもはや自分自身だけではこの問題を解決できないままでいる。そこで外資勢からも大量のグローバル・マネーを注ぎ込んでもらとうという算段なわけであるが、正にこここそが我が国における「本丸」なのである。そしてそれを国家主権の「向こう側」に資本の力で奪われてしまうというのであればもはや我が国は国家としての存立基盤すら奪われてしまうことは必定なのである。しかし、そんなことを語る者は表でも裏でも誰もいないのである。いや、もっと「海の向こう」は巧妙なのであって、もしそうした議論が出てきたとしても「日米同盟」をかざし、それでも難しければ我が国の側においてこれまで育んできた「第五列」をもって投資の任にあたらせるのである。日米、というと必ず顔をのぞかせるこの「経済人」が、実のところ米国の情報機関に対して長年にわたり我が国の次世代リーダーたちのプロファイリング情報を流し続けてきた者だと誰が知っているだろうか(そうであるのに「国家情報戦略会議」などという屋上屋を作ろうとしているのであるから全くもって失笑である)。

そしてその隣には、我が国政府が10.7兆円をかけて「フィジカルAI」に投資を官民挙げて投資を行うと記されていた。要するにこれこそが「親方日の丸」なのであって、曰く「開発主義国家(developmental state)」のやり方なのである。我が国の官僚制により集う「トップ・エリート」たちが練りに練ったプランで、かつての同窓生のルートを用いながら民間を「行政指導」していく。民間の側は上は大企業から、下は零細企業までこのラインに従う限りにおいて融資を受けられ、あるいは保証を受けられるので自ずからこうした「指導」のラインで整然と行動していくことになる。政治家はというと、これまで本来は高級官僚であった者が政治リーダーになっているのが常だったのであり、彼等も「阿吽」の呼吸でこうした「行政指導」を追認し、資金分配を率先して行っていく。そして本来ならば「余剰人員」が出た場合には「戦争経済」を廻して、事実上「処断」するというやり方を戦前とっていたところ、これを無くすべく、「戦争経済」の部分は世界最強のドーベルマンである米国勢に「日米同盟」の名の下任せ、「思いやり予算」を与えてきたのである。その代わり、「余剰人員」としてこれまで排除してきた様々な部分社会や最下層の人々に至るまで次々に国富を持って包摂し、「労働集約的」すなわち”誰も首にしない、だからこそ服従を徹底的に求める社会・経済”を成功裡に構築してきた。これこそが「高度経済成長」の本質に他ならない。こうした姿を1980年代当時の米人学者はら「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで称し、畏怖の念を隠さなかった。

翻って本日の件の「朝刊」である。

別冊を開くと、「働く方はこんな権利で守られています!」と労基法及び関連法令でビジネスパーソンが踏まえておくべきルールのトップ5(!)が掲げてあった。「退職後も未払い賃金は3年間請求権があります」「飲み会後の部下からの御礼メールは証拠にはなりません」等など、だ。多くのビジネスパーソンがこんな記事を読み、知恵をつけている姿が目に浮かぶ。

しかし、だ。これもまた「親方日の丸」「開発主義国家」だからこそ、あり得るルールだということに誰も気づいていないのである。「親方日の丸」に従って企業運営を行うからこそ、パイの分配に預かることが出来る、とするならば経営者たちは率先してこうした「労働者に圧倒的に有利なルール」に従うはずあである。なぜならばそれもまた「パイの分配を預かるための条件」だからである。そして現に「10.7兆円が・・・」といった記事を読むとそのことが我が国における最適化された「経営道」であるかの様に思えてしまう。

だがしかし、このこと、が有効性を持つためにはたった一つ、条件があるのである。それは政府=「親方日の丸」が資金を我が国の最下層に至るまで分配出来ること、である。かつて「日銀と政府は一体」と豪語し、赤字国債の発行について何ら疑念を呈さなかった(全くもってマクロ経済学の基本がわかっていない)「一強」総理がいたが、マーケットはそうは問屋が卸さないのである。我が国の圧倒的な債務問題であるわけだが、これすら我が国の高市政権は「総債務と純金融債務は違う」などという笑止としか言えない議論(議論にもなっていないが)を展開し、静かに両者の差分である「社会保障費」の支払い停止へと進みつつあるのである。当の財務当局が内々では「長期金利は6パーセントまで何とか我が国は持ちこたえられるが、それ以上になったらば破綻する」と既に15年ほど前から試算していると、そのリーダーシップの口から直接お聞きしたことがある。それもそのはず、企業の現場では「この仕事やってください」と上司が正当に言うことすら、「時間外なので無理です」と言われ、それ以上に指示をしようとすると「ハラスメント」認定を受けてしまう、というトンデモナイ国の在り方(何も民間企業だけではない、至るところで官僚・役所の世界でもそうなのである)になっている我が国においては、本当の付加価値が生まれることはなく、単に「ゆでガエル」の様にインフレの中で、日本株、しかも大型株が実態経済とは明らかに乖離した形で株価上昇の時を迎え、「小金持ち」の気分を漂わせているだけなのである。しかし程なくして、「この幸せな時」は終わる、と筆者は考えている。それは今年(2026年)の秋から、である。いずれにせよ、我が国では経営者になるということが、単に「罰ゲームを永遠に受け続ける」マゾヒズムの世界になりつつある。

「崩れていく国家・ニッポン」・・・こうした一連の流れの中で我が国は米欧勢、そして諸国勢によってsqueezeされつつある。そのことを知らないのは当の私たちニッポン人だけなのである。願わくば、そうした「グローバル・リーダーシップ」の向こう側において究極のマネーフローの源泉が、我が国の本当の”権力の中心”であらんことを。結局のところ、古来、「スメラギのgovernance」とはそうやって行われてきたのかもしれない。「嵐」は常に、海の向こう側から襲ってくるのである。

2026年6月20日 東京の自宅にて

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト

原田 武夫記す