「ニッポン総括」の時代。(原田武夫の”Future Predicts.” Vol. 91)
5月の怒涛、6月の平穏、そして7月前半の再び怒涛を経て、このコラムを書いている今(19日昼)、お陰様で我が国有数の保養地にて静養させて頂いている。毎年この時期には来ているわけだが、その度に思うのは、人心が如何様になろうとも、自然(じねん)は変わらず青く芽吹くということである。新緑がまぶしい木立の中でこのコラムを書いている。
そうした中、とある局から取材依頼を頂いた。当然のことながらこの場で詳細を詳らかにすることは出来ないわけであるが、察するに、ようやく「今起きている物事の本質」に我が国有数のメディアで精勤されている皆様方も気づき始めているのだろう。まだお答えはしていなけれども、既に「質問一覧」をお送り頂いて、それを一瞥するにそう、強く感じた。いい加減、目覚めなければならない状況に置かれている、我が国は。やれ「芸人」だ、「スポーツ選手」だと連続して出して(かりそめの)「視聴率」を稼ぐ、ということだけをやっていれば良いという時代はとっくのとうに終わったのだ。ましてやYouTubeを筆頭とした動画サイトでありとあらゆる、玉石混交の「情報」が飛び交っている今である。視聴者の側が本当に関心を抱いているのは単なる「暴露」ではなく、「その先に向けての思考の補助線」なのである。だからといって、どこぞのアカデミズムの住人の様に「理論」「見識」を振りかざしてその場の議論(?)を盛り上げれば良いというわけではない。「巨人の肩の上」、すなわちこれまでの学問的、科学的な作法に則った上で述べられることを述べ、もって視聴者の側らに「本当の思考」を促すこと。これこそが求められている役割なのであるが、どこをどう見てもそうした役割を果たしている御仁は大手メディアでは見当たらないのである。その代わりに、憤懣やるかたなきと今やYouTuberに堕してしまった(!)先輩外交官たちが口角泡を飛ばし、対中批判を繰り返す、経済安全保障の必然性を熱く語るといった日常が展開し始めている。そうして状況を見て、2014年から(今から遥か昔より)YouTubeで言論を展開していた筆者は、動画コラムを控えるようになった。「誰しもがやり始めたらばそれは終わり」なのであり、「誰もやっていないからこそ、それはこれから来る」のである。筆者は今、全く違う方向で作業をし始めている。
私たち日本勢は知らないのである。他ならぬ「ニッポン総括」の時代に入ったということを、である。といっても精神論を語りたいのではない。そうではなくて、焼け野原から立ち上がった戦後日本、昭和(後期の)時代にあって、私たちが未曾有の繁栄を享受できたのは決して偶然ではなかったという真実に基づきつつ、その時代、そこでのやり方が「終わった」ということを私たち国民全員がまざまざと認識するべき時が到来したのである。そしてそこでしなければならないのが、これまではそうした繁栄と安定を可能にしてきた「制度」そのものの再配置なのであって、今行うべきはそれ以上でもそれ以下でもないのである。しかし、我が国のリーダーシップはといえば、政治、経済、文化を問わず、全員が全員、そうした「既存の在り方、制度」にぶら下がり続けていて、全くもって動こうとしないのだ、このままいけば、明らかに我が国は「滅亡」する、間違いなく。
「何を言っているのか、だからこそ高市早苗総理大臣は身を粉にして”働いて、働いて、働いて・・・働いて”いるではないか。実際、様々な方面でいかに批判をされようとも大胆に政策を転換し始めている。彼女を総理大臣に選び、自民党を政権与党の座につけたのは他ならぬ私たち国民なのであるから、それに協力しないなどというのは全くもって非国民的態度ではないか」
一部の読者からそうしたお叱りの声を受けそうだ。事実「引きこもり総理大臣」高市早苗女史はともかくとして、これまでとは全く違う方向へ、特に安全保障政策と「戦争経済」に引きずられる様に日々、残業を強いられている官僚の皆さんを筆頭に、「働いて、働いて、働いて」いることは否めない事実だ。かつてに比べて勤務環境が大幅に改善した霞ヶ関といっても、深夜残業は全くもって無くなっていない。それに、公務員同士で明らかに就業に関わる権利という観点で「下」の者が「上」の者より優位にあるというのが現状である。よって「下」の者が権利主張をし始め、これを阻むと人事考課で大きく減点されることを恐れたミドルマネジャーたちは、部下たちのいない執務室でひとり黙々と作業をしているのが日常となっているとも漏れ聞く。何はともあれ、そうした状況があることは事実である。
他方でマーケットはというと、件の「キオクシア」株を筆頭に”とんでもないこと”になっている。17日にリリースした音声レポート「週刊・原田武夫」において詳述させて頂いたわけであるが、これとて、「現地の実態」を知っている筋からの第一次情報を得ている限りにおいては「こうなること」は分かっていたのである。しかも株価を実に昨年の35倍(!)にまで釣り上げた米系”越境する投資主体”の雄は「暴落」する約1週間前に 保有していた同社株を「全株売却完了したこと」を公言してはばからなかったのである。後に残されたのは、なけなしのボーナスを得て、ようやく「自分も株バブルに乗ることが出来る!」とばかりに大量購入をした我が国個人投資家たちの嘆息だけである。いつものパターンとはいえ、余りにもひどすぎる。もはや米系”越境する投資主体”のせいにだけには出来ないのであって、こうした「再生系」の企業の上場株には少なからず我が国政府の関与があることを踏まえれば、全くもって「国家的欺瞞」といっても差し支えないというのが筆者の見解である。
それでは今、「本当に求められていること」とは何なのか?―――実は今最も求められていることは「国家能力(state capacity)」の再定義なのである。もっと平たく言うならば、そもそも「国家とは何であり、国家に私たちは何を望み、また何を”望まない”べきなのか」という問いかけである。
戦後の我が国は、「親方日の丸主義」でやってきた。敗戦直後の荒れ野から立ち直るにはそれしか手段がなかったからである。「内奏」という形で「象徴」ではあっても、その実、不断のご関心をもって事の成り行きを見守られいたことで知られる昭和天皇を頂きに抱きつつ、旧軍の規律をもって政治・行政・金融・産業・文化の全てが整然と集団主義で立ち向かった、かつそこには「温情」というべき巨額の資金が「上から」投入され続けた、その結果が我が国戦後の繁栄なのである。この在り方を「開発主義的国家(developmental state)」というが、、このやり方が余りにもうまく行き過ぎたが故に、我が国はそこから抜けられなくなってしまっているのである。「産業(動力)革命」から「情報革命」を経て「知能革命(AI)」と至る中で、我が国はそもそも出発点において、「誰も飢えさせない」と国是として事実上掲げたため、最終的には人工知能(AI)の社会実装という側面で大きく出遅れ、なおかつ、その担い手であるべきデジタル人材の育成をしてこなかった経緯がある。その結果が、現在の我が国を取り巻くすべてなのであるが、あいも変わらず、今度は「自動車(トヨタ等)がだめならば、軍事産業(三菱重工等)だ」とばかりに、これまでの「成功方程式」をほぼ変えずに、軍需産業=防衛産業に当てはめ、その場しのぎで何とかしようとしている。当然、「戦争」に対する抵抗感は強い。しかし、これこそが「新しい利権・票田」と睨む狡猾な政治家(せいじ・や)たちは盛んにこう叫ぶのである。
「今や、中国・ロシア・北朝鮮は今すぐ我が国に攻め込む勢いである。国家インテリジェンス能力を高めれば我が国が既にそういう状況に置かれていることが分かる。だからこそ、全振りで防衛産業(=軍事産業)にカネを注ぎ込むべきであり、自衛隊の処遇を改善すべきなのだ。人命?心配することはない。なぜならば現代戦は「ドローン戦争」なのであって、ヒトは死なないのであるから」
乞う連呼してやまない(その実、自分の子供はというと英国系インターナショナルスクールに通わせ、それこそ何かあれば国外脱出をしようとしているのか?と思わざるを得ない)若き我らが「防衛大臣」の滑稽な姿を見る度に、私は、今年の5月にプラハで行われた安全保障フォーラムで見た光景を思い出すのである。「ウクライナ戦争」で激戦地となった地下工場施設のある「マウリポリ」の守備隊長のウクライナ人将校がパネリストでその場には出ていた。すると将官と見られる他の国の軍服を着た参加者からこんな質問が飛んだのである。「今後、世界の戦争はドローンが決定打になると思いますか?」
すると、このウクライナ人将校氏はとてつもなく疲労困憊したといった表情を浮かべながら、こう語ったのである。
「戦争は・・・ドローンでは決しない。最後は「歩兵(infantry)」だ。歩兵こそが戦争の行く末を最終的に決める。このことの意味が分かりますね?」
壮絶なマウリポリ攻防戦を戦い抜き、生き抜いたこの歴戦の猛将の言葉を聞いた参加者一同は一斉に口をつぐんだ。そう、これが「世界の真実」なのである。
今や時代はその意味で「ニッポン総括」の時代、なのである。これまで私たち日本勢は「高度経済成長」「モーレツ」「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称していた時代に、その実、世界に対して何をしてきたのか。どれくらい「お世話」になっていたのか、世界各国に。そうであるからこそ、「落ちぶれても兵器を外国に売る国家になぞならない」(宮澤喜一)とのスローガンを国是に掲げる犠牲となってきた国々、諸国民に対して今こそ、手を差し伸べるべきではないのか。しかもにわか「死の商人」の血塗られた手ではなく、「愛」の手を持って。それこそが、我が国外交が今こそ、目指すべきではないのか?「我が国防衛産業の冗長性を打破するために、まずは政府開発援助で我が国の軍事技術を”同志国”に移転させ、もって有事の際には相互補完性をもって対処する」などという、所詮は市ヶ谷・霞ヶ関という「マウリポリの惨劇」を知らぬ者たちが机上で計算し、作文し、垂れ流すステートメントなど聞き流し、今こそ私たち日本勢が「一億総懺悔」の精神をもって虚心坦懐に向き合うべき真実なのではないか。
少しずつ「これはおかしいぞ」と気づき始めた、かつての教え子たち(今や霞ヶ関や我が国経済・金融・産業の中でミドルマネジャー、あるいは若くしてトップとなっている)にそうした「真実の時」について静かにこの夏から語り始めたいと思っている。昨年から、あるいは今年から、霞ヶ関に入り始めた我が教え子たちがこうした先輩方の年次になるにはあと15年、いや20年がかかる。筆者はそれまでしっかりと生き残り、力の限り、この「真実」そして「日本勢が本当になすべきこと」について伝えていきたいと固く決意している。この変わらぬ、新緑の自然(じねん)の中で。
2026年7月19日 「新緑の木立」の中の寓居にて
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト
原田 武夫記す
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