「見えないものを見る」と、認知負荷。(原田武夫の”Future Predicts.” Vol. 95)
最近、よく考えあぐねる言葉がある。「認知負荷」という単語だ。認知心理学ではかなりメジャーな概念・単語であるらしいが、恥ずかしながら筆者は最近になってこの単語を知った。
どういう意味なのかというと、「ある出来事を認識・認知するために脳内では負荷が生じている」という状態を指しているのだという。生身の人間の脳を人工知能(AI)に置き換えれば良いかもしれない。AIを作動させるためには電力がいる。つまり資源が必要であるわけだが、その様に資源が必要だという状況のことを「負荷」と表現するのである。
なぜこんなことを言い出すのかというと、恥ずかしながら筆者にはつい最近まで全くもって分からなかったことが一つあったからだ。それは「ある物事に直面すると”全振り”してしまうタイプ」の方々のことである。恐らく読者の周辺に結構な数でこの手の方々はいるのではないかと想う。例えば仕事場や勉強する際、ある大きなタスクが与えられるとする。それに対してどうするのか、というと筆者の私見では3つのタイプがいるように思える。
第1にとにかく「適当に対処するタイプ」。タスク全体を把握・理解しようともしないし、スケジュールも立てないのである。とにかく適当に接している。したがって当たり前だが、最後の最後までタスクをこなすことは出来ないわけであって、成功体験を積めない。当然だがそれが心の傷となって、ますますやらなくなる。「負け組」はこうして自己増幅(self-reinforcement)していく。
第2に、「分かりました、とにかくこれだけをやりますので邪魔しないで下さい」と”全振り”するタイプ。完璧主義者であり、真面目な方に多いのがこのタイプだ。このタイプの方は巨大なタスクに立ち向かえば立ち向かうほど、アドレナリンが出るようであり、他方で他との意思疎通を完全にシャットアウトし、タスクをこなそうとする。
そして最後に(これが筆者が属するタイプなのであるが)「マルチタスク・タイプ」である。決して能力は完璧というわけではないのだが、複数の課題・局面に直面しても、それら俯瞰し、むしろ相互間の相関係数すらイメージ出来ることで加速度的にタスク処理が出来たりするタイプである。常に複数のタスクを同時にこなしている。このタイプは第2の”全振りタイプ”とは違い、どんなにタスク負荷がかかっても周囲とのコミュニケーションを遮断することがない。いや、むしろ外部からの情報量の高さが、俯瞰の度合いを高めてくれるので、仕事量が多ければ多いほど、全く別の方々と接触し、情報を集めようとするのである。
さて。ここでいう「認知負荷」とは正しく第2のタイプを読み解くカギなのである。筆者はかつて、コーチングの「師匠」に教えを乞うたことがある。その時、二言三言、筆者の言葉を聞いて、「師匠」は立ちどころにこう言ってくれたのである。
「原田さん、貴方は”見える人”なのですね。しかし全員がそう見えるというわけでもなく、全員の脳は人それぞれ違いますから。まずはそこから出発するように。」
第2のタイプに「認知負荷」だけではなく、もう一つ厄介な要素が加わるとさらに事態は理解するのが周囲からすると難しくなる。それは与えられたタスク、そしてそれをこなすべき環境の「閉鎖性」だ。つまり「完璧であること」、そして「外部には絶対漏らしてはならないこと」、さらには「仮にこうしたルールを反した場合、当該コミュニティからの追放という重い罰が待っていること」といった諸条件が重なると、”全振りタイプ”の方は自分で創り出した檻の中から抜け出ることが難しくなる。第3のタイプであれば外部に活路をかえってもとめ、相対化し、俯瞰して見ることによってそうした「閉鎖性」こそ、実は相対的であるということ、そしてそうであることには当該コミュニティの脆弱性が露呈していること、をたちどころに突き止めてしまうので、そもそもその「枠外」での解法(solution)を求めようとするのである。これこそが実はイノヴェーション(innovation)の源泉なのであるが、第2の”全振りタイプ”からすれば、ある種、絶対に容認できないかもしれない。第2のタイプからすれば第1のタイプは全くもって「論外」なわけであるが、第3のタイプもまた「認められない」のである。これがまた厄介な問題を世間では様々は生み出しているように思うが、どうであろうか。
組織においてまずは中央省庁、そして現在はスタートアップで「働くこと」を意思決定ライン、あるいはリーダーシップとして経験し続ける中でつくづく思うのであるが、実のところ、組織、しかも伝統的なそれであればあるほど、実のところ新陳代謝のため、必要としているのは第3のタイプのリーダーなのである。なぜならば立ち止まることは「組織としての死」を意味する中、立ち止まらせないためには「エントロピー増大の法則」を逆回転させるために、これら第3のタイプだけが出来る”俯瞰”そして”相対化”が必須だからだ。しかしその部下はというと、「優秀」と人事評価される場合であればあるほど、第2のタイプ、すなわち”全振りタイプ”であることが往々にしてあるのである。「成果物」だけを見れば確かにそうかもしれない。しかし現下の状況の様に、いずれの組織でも「足元でついている火が止まらない」様な状況である時、”全振りタイプ”がかけてしまう集中するための時間、これを事態がもはや待ってくれないことが多々あるのである。第3のタイプであるリーダーはそのことにすぐさま察知し、「あれ、どうなった?もう出来たか?状況が変わったからここを修正してくれ、加筆してくれ」と矢継ぎ早に指示を出すのであるが、とりわけ経験値の低い担い手であった場合、第2のタイプにとってこれについていくことは実に至難の業となる。それでも持前の「完璧主義」でこなそうとするため、勢い深夜残業、そして週末も「自主」出勤を続けることとなる。(少なくとも表向きは)「閉鎖性」を旨とする様な組織であればなおのこと、「資料の外部持ち出し禁止」と指導をされるため、なかば「仕事場に住んでいる様な状況」にまで陥ってしまう。さすがに上司たちも「これはまずい、人事から叱られる」と気づき始め、「いや、そこまでやらなくても良い。こちらで受け取るから、休みなさい」と言い出すわけであるが、当の本人はというと、「いや、これは私の責任です。私にやらせてください」とがんと言ってきかないのである。挙句の果てには、「出来てる?」と上司に言われるのに対しても返答すらしなくなる場合すらあり、「遮蔽」し始めることとなる。
「で?その後どうなってしまうの?」
読者は必ずや、「続き」が気になることであろう。恐らくは会社・組織の中で少なからずそういったタイプを見たことがあるはずだからだ。とりわけ人生における前のステージで「優秀」「優等」と褒められていたタイプの方がそうである場合が多い。なぜならば「第2のタイプに徹することでそうした成功を以前は得た以上、今回のステージもそうすれば良いのだ」とこれら第2のタイプの方々は本気で、心底信じているからだ。いわばそれは「信条」といっても良いかしれないのであって、下手にその部分を「いや、そうではないから」といったところで、決して耳を傾けるはずもないのだ。むしろ「遮蔽」されてしまい、意思疎通のチャネルが一切閉ざされてしまい、事態はますます悪くなる。
大学における実務家教員であり、同時に組織リーダーでもある筆者として、こうした事態に対する解として今現在、考えていることは以下のとおりだ。
第2のタイプは本当に誠実であり、組織にとって、そして世の中にとって必要な存在である。しかし如何せん、VUCAとも呼ばれる現状の社会では下手をすると「生きづらく」なるのである。よってその根本にある状態を因数分解してやる必要がある。そしてこれは端的にいうと「学習曲線」✖「認知負荷」の掛け算で決まって来るというのが筆者の考えである。
事態への対処能力が高まって来ること、これを「学習効果」と呼ぶのであれば、第2のタイプは真正面からタスクに取り組むため、時に「完全なる専門外」であり、遅々としているかもしれないが、「学習」は進み、「学習曲線」は右肩上がりにやがてなっていくはずなのである。しかしここで最大の問題が、学習局面が「右肩上がり」にあんるためにはそれなりに時間がかかる必要があるということである。第3のタイプからすれば「あ、それは今取り組んでいることの外側に思考の補助線を引けば一発で解くことが出来る」という課題であっても、外部を遮断してしまう第2のタイプには一切通じないのである。よって、第3のタイプは第2のタイプに接するために基本、「待ち」「待つこと」を学ばなければならない。つまり事態が根本から改善するには「時間がかかる」のである。
VUCAな状況であっても、上長から部下である第2のタイプである部下に対して「褒める」「評価する」という意味での報償(reward)が与えられているのであれば、それはそれで何とか一定期間は持つことであろう。しかし厄介なのはそれによって第2のタイプはますます自らの「遮蔽」しかねないという点である。なぜならばそうして集中することによって「成功が導かれる」という学習がかつてなされていたからこそ、第2のタイプはその意味での自己増幅(self-reinforcement)をしてしまうからである。そうした場合、直属の上司による「褒める」「評価する」は逆効果になりかねない(特に中長期的には)。
しかし、である。第2のタイプであれ「生身の人間」であり、かつそれを取り巻く状況は刻刻と変化し、場合によっては「認知負荷」が下がることは当然あるのである。筆者は、こうした「認知負荷」が下がる状況において、事態を相対化させ、もって第2のタイプが下手をすると「自滅」へと進まないための手助けをするのも第3のタイプが為すべきことであると最近考えている。ただし、それには条件がいくつかある。
満たすべき最大の条件が、第3のタイプから第2のタイプに対して行うコミュニケーション、それ自体が「認知負荷」にならないことである。「負荷」になってしまったらば第2のタイプは全く遮蔽してしまい、「聞く耳を持たなく」なる。LINEであれば「既読」にすらしなくなることであろう。これでは元も子もないのである。よって、「見えてしまう」第3のタイプにとってはある意味、実に辛いことではあるが、とにかくまずは「間を空けること」が不可欠なのである。そして同時に、深く関わってきている第2のタイプに対して、その状況の変遷について言及することなく(言及するとそれがまた「認知負荷」になってしまう)、しかしあくまでも彼・彼女等をとりまく状況を仔細に内々把握した上で、その「認知負荷」が下がる絶妙なタイミングで、全く関係のない、それでいて共通の軽い話題での意思疎通を試みるべきなのである。さしもの第2のタイプも、そうした瞬間には心を開く可能性がある。そしてそうすることが決して”リスク”などではなく、むしろ「安心してそこでのやりとりから、心の豊かさを得ることが出来る」と分かれば、いわば「認知負荷」の放水路が出来始めるのである。さらにうまくいけば、そこで第3のタイプとのやりとりから自然と「相対化」「俯瞰」の効能を学ぶことが出来れば、賢く熱心な第2のタイプの成長は加速度的に進み始めることとなる。
あとはその「認知負荷の放水路」をほんのわずかではあっても、静かに拡充しつつ、他方で時をかけることで上述の「学習曲線」が指数関数的に上昇し始めるのをひたすら待つしかない。そしてあるタイミングで認知負荷を学習度が超える「閾値(threshold)」を超えることが出来るならば、第2のタイプは次のフェーズへと着実に進むことが出来るのである。その時、はじめて第3のタイプだけがすることの出来る「俯瞰」「相対化」こそが、真の価値創造(value creation)のために不可欠であり、かつ第2のタイプをうまく活かすため、真のリーダーシップに必要であることを身をもって理解することが出来るのである。
ヒトの世とは実の良くできたものである。なぜかこの様に3つのタイプが存在している。第1のタイプは第2のタイプにとって「克己」するために必要なのだえり、不要では決してない。しかし第2のタイプだけでは世は進まない。必須なのは、「見えないものが見える」第3のタイプが、第2のタイプのすばらしさを心底理解し、たとえ物理的にはいなかったとしても併走し続け、もってベクトルの和合だけがもたらす力により「世の中を前に進めること」なのである。このこと、を最近学びつつある。だから、私は「生きること」を止められない。大事なことは、第2のタイプがなぜ意思疎通を遮断するのか、その本当の理由を第3のタイプが「心の叫び」としてとらえ、時の利をもって対処し続ける胆力を持つこと、なのだ。
2026年8月29日 東京の拙宅にて
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト
原田 武夫記す