君、死にたまふことなかれ。あるいはAI-enabled governanceへの道(原田武夫の”Future Predicts.” Vol. 80)
4月に入り、しかもその後半になって、ふと与謝野晶子の詩を思い出している。「君、死にたまふことなかれ」、だ。与謝野晶子はこの詩を1904年の日露戦争の最中に発表した。日露戦争といえば我が国が「帝国主義列強」と初めて正面衝突をした戦争だ。我が国全体が異様な高揚感に包まれ、「撃ちてし止まん」と全国民が息巻いていた。そんな中、与謝野晶子は独り、戦地にいる弟に真正面から「死んではいけない、死なないでほしい」と切々と謳い上げたのである。当たり前であるが、激しい時流の中で「反戦詩」を謳った与謝野晶子は糾弾され、さらし者になった。しかし彼女は絶対に自らを曲げることはなかったし、この詩を取り下げることをしなかったのである。
そしてあれから120年余の時が経った我が国において、今、この詩のことを改めて筆者は思い起こしている。「あの戦争=日露戦争」において米国勢の差配によりなぜか”戦勝国”とされた我が国はロシア勢との間でその後、現在にまで続く「敵対関係」に入ることを余儀なくされ、程なくして今度は第一次世界大戦へと突入していく。そしてそこでも”戦勝国”となったはずなのであるが、中国勢における「利権分割」においては当初期待していたほどの利にありつくことが出来ず(何せ、そのためのヴェルサイユ講和条約の席上で、我が国代表団は何と「一言も発言出来なかった」のであるから。これが外務省において初任者研修で2年以上の「在外研修」を行う契機となったことは余り知られていない)、しかもその後に米国勢が一方的に課してきた「ワシントン体制」の下、軍艦の建造すらままならなくなり、臥薪嘗胆を余儀なくされた。そうした中で「世界大恐慌」がNY株式市場における暴落から”演出”され始めると同時に米国勢は英国勢と共に我が国が「生命線」としてとらえてきた中国勢における「幣制改革」を、金銀マーケットの操作によって余儀なくさせ、東アジア勢を大混乱へと誘い込んでいく。我が国の側は幣原外交により「円圏(Yen Zone)」の構築を図り、これを迎え撃とうとするが、結果的にこれまたどういうわけか「平和」ではなく「軍事侵攻」を唱えてやまない軍人たち(関東軍)によって方向転換が生じてしまい、「満州国建国」「リットン調査団」「国際連盟脱退」「日中戦争開戦」「国民総動員法・国見徴用令」「真珠湾攻撃」「ミッドウェー海戦・ガダルカナル玉砕」「沖縄戦」「広島・長崎原爆投下」「ソ連による満州侵攻」と進んで行き、”最後の時”を迎えることになる。
結果、誰が正しかったのか?そう、与謝野晶子が屹立して謳ったあの歌、”君、死にたまふことなかれ”こそ、正しかったのである。
今週、自由民主党にて安全保障部会が開催された。その場では防衛当局関係者ですら驚くほど、「好戦的な発言」が所属議員たちから相次いだと側聞している。やれ、中国が攻めて来る、ロシアが攻めて来る、というのである。「あの時」と全く同じ構図であり、”あの時”にはカラーコード計画で実際のところ「我が国」こそ仮想敵国として当初から想定した米国勢が全体の戦争シナリオを書いていてそれに我が国はものの見事に巻き込まれてに過ぎないわけであるが、その意味での「本当の歴史観」など、(恐らくは大量の政治献金をバックにしながら)こうした「国民代表」たちは全くもって持ち合わせていないのである。世界全体が我が国を「搾り取り(squeeze)」にかかっていることは誰の目にも明らかなのであるが、我が国では「政体」勢力のリーダーたち、そしてそれに使える官僚たちにそうした認識はなく、ただひたすら操作され、「防衛産業こそ我が国の経済的復活には必要」とばかりに、国民に対して「ドローン投資」を勧めるほどの有様だ。その姿は第二次世界大戦中、国民に対してひたすら「貯蓄」を勧め、戦費調達に充てようとした時の内閣の「国民運動」すら思い起こさせるものである。人間とは、実に「学ばない存在」である。確かに一つ一つの流れは論理的に裏打ちされているように見えなくもない。しかし、筆者の様にあえて「後衛の位置」にいて俯瞰し続けている立場から見ると、明らかにまた”あの方向”へ向かっていることが分かるのだ。だからこそ、思うのである、”君、死にたまふことなかれ”、と。
今週にはNYで国連総会が実施された。その場で次期事務総長(Secretary-General)に立候補した4名に対する加盟国・市民社会の代表たちによる公聴会が行われたのであるが、筆者自身、弊研究所の姉妹団体である一般社団法人日本グローバル化研究機構(Research Insitute for Japan’s Globalization (RIJAG). 国連経済社会理事会(ECOSOC)において諮問資格(consultative status)を持つ)の代表理事として質問を行った。この質問に対しては、候補の一人であるグロッシ国際原子力機関(IAEA)事務局長が回答してくれた。
筆者がその場で聞いたのは端的に言うと次の様な問いである。―――「人工知能(AI)の実装によって可能になる新たなガヴァナンスについてどう考えるか。具体的には(1)その活用により人口動態上問題となっている世代間の様々な問題をどの様に解決するのか、(2)人工知能とデータ活用により地方から中央へと向かう新たな価値創造のための分散システムをどの様に構築するのか、(3)政治的な対立を超えて、人工知能をベースとした機能統合をどの様に地域内で進めていくのか。」これらはいずれも”AI-enabled governance”として国連が取り組んでいる議論の延長線上にある論点であり、かつ筆者が国連大学AI叢書の一環として刊行予定の英語書籍(Springer-Nature)において、正に我が国を題材としながら論述している主題でもある。我が国は戦後に驚異的な復興を遂げた。そして高度経済成長の果実を享受したのであるが、そうであるが故に我が国は「経路依存性(path dependency)」に陥り、その後「失われた30年」という厳しい現実に直面した。そうした「開発主義国(developmental state)」のなれの果てからどの様に復活(resurrection)を図るのか、そのためにどの様な「制度配置の再転換(institutional reconfiguration)」が必要であり、かつそこで私たちが必然的に決める方向性に実装されることで人工知能(AI)は全く新しい我が国の在り方をどの様に形作っていくのか、さらにいえばそこで生じる「新しいモデル」が全世界に対してどの様な形で模範となるのか。これについて探究するのが今回の著作なのである(この一連の流れこそが、弊研究所がヴィジョンとして掲げる”Pax Japonica”に他ならない)。
「何を迂遠な。中国、北朝鮮、そしてロシアによる対外的な脅威が”現実”である以上、そんな高邁なことを言っていたらばやられてしまうぞ」
件の議員たち、そして鼻息の粗い最近の「革新官僚」ならぬ外務・防衛官僚の諸氏からはそんな声が聴かれそうだ。しかし、だからこそあえて筆者は、”あの時”に孤軍奮闘した与謝野晶子の様に高らかに語りたいのである。”君、死にたまふことなかれ”と。人工知能(AI)を統合システムとして用い、それによってドローンを飛ばして大勢の人々を殺傷する、そんな戦場における「悪魔の国」に我が国をしないことこそ、本当に我々が求めるべき道である、と。「恩讐の彼方」にこそ、人工知能(AI)を真に活用する道のりがあるのだ、と。
この秋にはローマで国連とヴァチカン勢が共同で、この意味での学会を行うのだそうた。筆者もそこで壇上に上がるべく先日既に論文要旨を送り、事務局から「興味深い。論文全文を楽しみにしている」との返信を頂いたところである。無論、「東のスメラギ、西の聖」という二項対立を考えるならば、警戒しなくてはならないことは多々ある。しかし少なくとも「平和」を語る向きに今は、そう、確たる意識をもって組することこそ、為すべきことだと思ってやまない。
”君、死にたまふことなかれ”---民族として、私たち日本勢全員が果たしてこの120年余の間に本当に「学んで」来たのか否か。それが今、問われている。
2026年4月25日 東京の寓居にて
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト
原田 武夫記す
(*弊研究所では引き続き、こうした「次の次」の時代を共に創造するメンバーを募集しています。こちらとこちらの記事をご覧頂き、是非ご関心のある方は「Pax Japonicaに対するご自身の想い」を400~600字以内でまとめた上でメール(recruit●haradatakeo.com(●は@です))までご連絡下さい。皆様のご応募をお待ちしております。)