どこを見渡しても混沌とした世界。本当は何を目指しているのか?(原田武夫の”Future Predicts”.(Vol. 1)) - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
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どこを見渡しても混沌とした世界。本当は何を目指しているのか?(原田武夫の”Future Predicts”.(Vol. 1))

世間との関係で事実上「断筆」してから早いもので8年が経つ。すなわちいわゆる書籍という意味で日本語では2016年に対外的に「断筆」し、英語では2017年に「断筆」した。無論、その後、何も書かなかったというわけではない。弊研究所の会員制サーヴィス「原田武夫ゲマインシャフト」向けの月報(IISIAマンスリー・レポート)、さらには日々の調査分析レポート(例えばIISIAデイリー・レポート)では日々粛々と分析を行った結果を綴っていた。しかし、2003年から始めた一般向け書籍の執筆という観点では、いったん筆を折ったのである。それには無論、理由がある。

端的に言うならば「書くスピードをはるかに超える量とスピードで世界の真実に触れたから」なのである。かつてかの空海(弘法大師)は至るところへ飛び回っては布教を行い、同時に社会改良をしてまわっていたという。そのため、空海直筆とされる書籍はほんのわずかしかないのである。無論、比較のレヴェルではないとは思うが、2017年に英語で拙著”Pax Japonica”(Lid Publishing)をグローバル社会全体に問うて以来、なぜかそんな空海の「気持ち」が分かるようになった。すさまじい知識、データが脳内に入って来るようになると、およそそのアウトプットが追い付かなくなるのである。だから、私はいったん「筆を折ること」にした。

そうである以上、アウトプットにあたり的確な枠組み(フレームワーク)を頭の中に叩き込む必要がある。だから私は2018年より3年間にわたり3つの博士課程前期(修士)プログラムの門を叩き、学位を得た。そうした中で折しもCOVID-19によるパンデミックが発生、蔓延した。最後は立教大学大学院人工知能科学研究科にて文系から理系への転換、すなわち「理転」にまで挑戦し、成功した。そうしている中で私が必要としていたフレームワークとは何かをようやくつかみ取り始めた気がしている。さらに言うならばそのことを前提にこれまでの己の歩みを一つ一つ、そのフレームワークの中で整理し、一旦折っていた筆をつなぎ直し、一つ、そしてまた一つと、ゆっくりにではあるが「窮極の真理」を書き綴り、それをもって世を変える、世を救う活動に、静かに、しかし着実に取り組もうという気になってきた。このコラム(”Future Predicts”.)はこの延長線上で踏み出す第一歩であるとご理解頂ければと思う。

非常にシンプルに言うならば、私が折々の兆しをとらえつつ、このコラムで伝えたいことはこういうことである。―――地球上の人類社会は「成長の限界」をはるかに超え、「地球」をそのものを、いや「宇宙」(さらにはその向こう側)をも破壊する地点にまで到達しつつある。そうした中で私たちはえも言えぬ窮屈さを感じ、やり場のない怒りをどこに向ければ良いのか四六時中考えるようにすらなっている。しかもそれは「大政治」の世界においてだけ見られる現象ではないのである。そうではなくてむしろ社会階層の至るところまでエンパワーメントが蔓延った結果、私たちの日常生活のすべての領域において毎日の様に見られるようになっているのである。何かをすると「ハラスメント」「#MeToo」などと言われ、「権利主張」の大合唱の中で結果、何も行えず、何も行えなくなっているのはそのせいである。無論、こうした言動・行動・活動はあるべき「衡平性(equity)」を実現するための範囲内であれば問題は無いというべきだ。それに私は同意する(誤解無きよう申し上げておくが、私の母方の一族はむしろ社会的に見れば下層から這い上がった者たちであり、ひときわ強い共同体意識と共に権利意識も一部には強い一族であった。元キャリア外交官というだけのレッテル貼りをする輩と読者諸兄が根本的に異なる知性と悟性を持たれていることを強く期待する)。しかし現代の我が国におけるそれは、明らかに「度を超している」のである。そのことはTBS系で最近されたドラマ「不適切にもほどがある」で滑稽に描かれたばかりのことでもあるので、読者諸兄にも記憶に新しいことなのではないかと考える。

我が国は今、明らかに資産インフレに向かい始めている。その結果、かつてトマ・ピケティが世界中で喧伝した不等式「r>g」そのものが我が国社会において現実になり始めているのである。つまり、まともに「肉体」を主に用いて働いて得ることに出来る報酬(g)よりも、資産をまずはつくるべく投資をし、その利回りを得ること(r)の方がはるかに早く、効率も良いというモデルどおりの状況が我が国社会で出現しているのだ。依然としてマーケットでの勝敗を気にし、それに一喜一憂している御仁が多いようだが、それは間違っている。なぜならば「r>g」という不等式は、何も怠惰だが「金持ち」の者たちが適当に投資をし、rを稼いでおり、その結果、「資本によって働かされる哀れな一般人」が稼ぎだすgよりも大きくなるから生じるものではないからだ。

あらためて強調したいが、「全くもってそうではない」のである。高速で増殖するrの背後にあるのは、膨大な知識とデータであり、かつそれを脳内で処理・演算する能力に他ならない。と、言うとまた「格差社会と教育」の議論を喧しく語る御仁たちがいると思うのだが、それもまた的外れなのだ。いくらカネがあって、卒業生たちと教員らがハイグレードな場(学校)へと入学するための受験とそのための準備が出来るとはいっても、そこでrを高速で増殖させるためのメソドロジー(手法)を無意識のままに学ばなければ、批判者らが述べる様な問題は全く持って生じないのである(曰く「金持ちたちによる総取り」)。それでは一体、rを増殖させるための本当の秘訣とは一体何なのだろうか。これこそが現代、そして近未来以降の新「人新世」を乗り切るための秘訣に他ならない。

こう思った時、私が真っ先に思い出したのが先般、香港勢のリーダーシップにおいて現在「当主」を務めている人物と行った会話である。同家は香港勢における名家中の名家であるが、御存命であられ矍鑠とされている先代当主の強い意向により、我が国と香港勢、そして中国勢をつなぐ越境型奨学金プログラムを10年ほど前から展開されている。今年(2024年)晩秋にはその創立10周年記念式典を東京で開催するとのことなのだが、今回はそのご相談にあずかりに私は会話の場に向かった。現在の当主は女性であり、実に聡明な方、しかも香港勢における繊維産業を取り仕切られている方なわけであるが、青年時代に父(先代当主)の強い意向により、我が国、そして米国勢へと留学をさせられたのだという。今回の会話の中で、私とはそこでご自身が得た「感覚・センス」をシェア出来るかという点が一番の論点であったようだ、結果として見ると。話がこの下りになった時、私は次の2点に触れることとした。

第一に、現地における言葉が全く通じない状況に、ある程度の年齢になってから放り込まれた時、「壮絶な絶望感」にも近い感情に襲われるということ。何せ、下手をすると現地の方々は言葉を全く語ることのできない当方を「獣」扱いにすらするからである。こちらとしてはそうした処遇を受けて、反発するためには何はともあれやるべきことが一つしかないことを知るのである。それは現地語を徹底してマスターすることである。このプロセスを通じて徹底した「自責」を自ずから身につけることになる。事態を変えるには、日々刻苦勉励し、言葉を覚えるしかないのであるから。

第二に、そうこうしている間にふと気づくことがある。それは外国語を徹底してマスターすると、母国語とは違う脳内プロセスが並列して出来上がることに気づくのである。いわばPCの中に二つのCPU、GPUが敷設されるようなものである。その結果、「思考するスピード」が凄まじく速くなってくる。しかもこのことを意識するとさらに早くなってくるのだから不思議なものだ。そして1つの言語をマスターすると、2つ目、3つ目も必ずうまく行く。「やり方・勉強の仕方」を知っているからである。その度に脳内のCPU/GPUは増えていくから、秒速で、いや、ミリ秒速で思考し始めていく。しかも世界はグローバル化であり、デジタル化の時代にあるのである。どこまでも大量のデータ・情報を取込み、さらにそれを時間・空間へと拡散していくことにより、成功する確率は他者より格段に高くなる。

「そうは思いませんか?」———そう、語りかけた私の言葉が終わるや否や、件の女性「当主」は大きく頷き、「全くそのとおり。そう、正にそのセンスこそが私たちの奨学金のプログラムが本当は承継したいものなのです」とまで言ってくれた。国籍、立場、経歴が違えど、結局、ヒトと人間とはこの差なのではないかと最近つくづく思う。ヒトとはこの意味での「窮極の真理」を体得している方々であり、人生は常に充実し、やるべきことを知っているのみならず、実際に縦横無尽に動き回っている方々である。無論、「同調圧力」などものともせず、己が信じた道をまっすぐに生き抜いている。そうした中で積み上がって来るのがrに他ならないのだ。膨大なデータ・情報を脳内に並置されたCPU,GPUを用いることて処理できるのだから、成功しないわけがない。他方で人間とは、そうした意味での意識ある存在としてのヒトとヒトの間を、おねだりをしながら、あるいはそうしたヒトたちを何とかして引きずりおろそうと執念を抱きながら漂い続ける存在である(ヒトとヒトの間を漂うから人「間」なのだ、というのは我がメンターの弁)。

それでもヒトは歩みを止めないのである。なぜならば「成功」は「成功」を呼び、とめどもないrが舞い込んでくるからだ。これまでの資本主義社会においてはそうした自覚ある存在としてのヒトは、生産手段の一つとして「自らはそうではないこと」に対して永遠に不平をかこち続ける存在としての人間を用いるしか手段を知らなかった。だがこれからは全く違うのである。とめどもなく増殖していく情報・データを脳内に並列したCPU、GPUによって処理する限界にまで達することを通じ(ここまでで必要とされてきたのが弊研究所が述べる”情報リテラシー”(information literacy)に他ならない)、ヒトはいよいよ己を個人(分割不能な存在=individual)であることを止め、個々の局面に応じたアバターをAI(人工知能)によって操作し、その限りにおいてヒトの一部・局面をそれとインターフェースさせることを同時複合的に行うという意味での「分人(dividual)」駆動社会へと移行していくのである。この点については、武田秀明が論文「分人型社会システムによりAi共存社会の枠組みに向けて」で述べていることが大変参考になる。テキストから画像、動画にいたるまでありとあらゆる情報・データを処理し、演算して最適解を導き出す汎用型人工知能(General Artificial Intelligence)への移行が盛んに語られているのはそのせいである。

(出典:武田英明)

この様に考えると現下の情勢下で行われている「ウクライナ戦争」「イスラエル戦争」といった地政学リスクの”炸裂”、さらには不安定さを増すグローバル経済・金融マーケット、さらには自民党「裏金」事件を更なる景気として怨嗟の念渦巻く我が国政治システム、さらにはロイヤル・ファミリーという「高いレヴェル」に至るまでこれから間もなく何に襲われるのかは明らかなのではないだろうか。あらゆる主観的な見解を排除し、客観的に俯瞰する限り、この世にあるこれら全ての事案を貫いてきたのは上記の意味でのヒトと人間の乖離という不可逆的な流れなのだ。人間は「他責」を旨とするだけに、ヒトの一つ一つの言動に対してそれが如何にイノヴェーティヴであり、全人類、そして地球・宇宙(さらにはその向こう側)にとって必要不可欠なものであっても社会的責任を既存の規範・ルールをもって問い、「個人」という統一した存在としてヒトをあくまでもとらえ、潰そうとしてきたのである。だが「分人」駆動社会となると話は変わるのである。ヒトの言動は分割され、それぞれについてその合法性・正当性が問われることにならざるを得ない。最終的に帰責されるべきは「分人」なのであって、そこには他の「分人」が関与する余地はないと、これからの人類社会における法規範は徹底して修正されていくことになる。そうなると、他の「分人」の複合体としてのヒトの人格は何があっても貫かれることになり、さらにそれが電子演算機とのコネクトによって「無限性」を得ることになるならば、結果としてそれが得ることになるrは無限大に近いものになっていくのである。しかも「分人」そのものはAi技術の発展により、ますます増殖して行く。これまで個人単位で数えていた「人口(population)」を分人単位で考えることになれば、実は我が国を筆頭にグローバル社会全体を蝕み始めている少子高齢化問題の根源にある(先進国を中心とした)人口減少がこれによって食い止められることにすらなるのだ。他方で人間はというと、他責と怨嗟の中で自ら立脚することを知らない限りにおいて、感情を持つことがなくその限りにおいて常に高性能・優秀なAiとの比較においてgの質的・量的低下に巻き込まれ続け、「獣」化への逆行を余儀なくされる。

rはこの様にして確かにヒトの手の中で無限大の増殖し続ける。それではその先に何が見えるのだろうか。―――曰く、1980年代前半に英・ウィンザー宮で全世界から集められた優秀な女性たち数十名に対して与えられた使命としての「バーセル・ミッション(Basel Mission)」はこの問いに対して、こう答えるのだという。

「その先でヒトがなさなければならないのは”神”との対峙なのであり、かつそれと自らが同一であることの確認なのです。」

彼の地・下妻からウィンザー宮へと招かれ、このミッションの始動に向けて生涯をかけてこられた我がメンターのもう一人はこう私にかつて教えてくれた。「日本株の歴史的高騰」も、「朝鮮半島有事の可能性」も、はたまた「東アジアにおける天変地異の危険性」も、何もかも”この重大事”を起点として考えるべき出来事なのである。見せかけの「我が国企業の業績改善」などは二の次だ。そして今月(2024年4月)に加速をさらにつけながら混濁の度合いを深めていくマーケットとそれを取り巻く国内外情勢が向かう先もまたこの一点なのである。さらに”その先”を凝視しながら、(不定期にはなるであろうが)この新しいコラムのシリーズを通じて、同行の士に対してveritasを伝えていくことにしたいと思う。

2024年4月7日 東京・丸の内にて

原田 武夫記す

【お知らせ】

●いかがでしたでしょうか?この新コラム・シリーズにおける内容を更に深く、詳しく、そして分かりやすくご説明し、もってマーケットとそれを取り巻く国内外情勢の歴史的な大転換へと立ち向かわんとする皆様のために2024年4月20日(土)に東京・東銀座にて弊研究所主催を開催させて頂きます。詳しくはこちら(下線部をクリック)してご覧の上、是非お申込み下さいませ。

【参考文献】

武田英明. “分人型社会システムによる AI 共存社会の枠組みに向けて.” 情報通信政策研究 5.1 (2021): 113-129.

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