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「決意の年」2025年の年頭にあたり:なぜ「都」は東漸するのか?(原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 25)

いよいよ新年=2025年が始まった。まずは謹賀新年、明けましておめでとうございます。今年も何卒宜しくお願い申し上げます。

今年=2025年が「前半」と「後半」で大きく異なる1年になる、ということは既に昨年末(2024年12月末)の段階において随所で述べたとおりである。またこれについては来る25日に実施する「2025年・年頭記念講演会」においてじっくりとお話をさせて頂く予定であるので、「そこで一体何が起きるのか」を中心に詳細をここでは述べることはしない。むしろ折角の機会であるので、それを超えてもう少し俯瞰した態度で「今起きていること」から「これから何が起きるのか」を読者の皆様と共に考えてみたいと想うのである。

現行法令を前提とする限り、我が国の皇統において「天皇」となる筋は今上天皇の直系から、秋篠宮皇嗣殿の系統へと移り、悠仁親王がその座に就くことが決まっている。無論、「女系天皇論」等様々な議論が依然として我が国立法府において行われていることは事実であるが、そこでの遅々とした議論の流れからいうと、こうした既定路線に決定的な形で変更が加えられるとは想定しがたいものがある。

そしてその悠仁親王を巡っては来春(2025年春)より筑波大学にご入学されることがここに来て報じられた。他の国公立大学へのご入学があり得るのではないかと喧伝され、一部には悪意に満ちたキャンペーンまで張られたことは今思い出しても実に腹立たしい流れであったが、いずれにせよ落ち着くべきところに落ち着いたといった印象が今はある。その限りにおいてはめでたい限りではあるのだが、ここで一つ、私たち日本勢として落ち着いて考えるべきことがあると私は強く想うのである。

それは悠仁親王という将来の「天皇陛下」が筑波の地で少なからず時をこれから過ごされることになるという「新しい現実」である。古来、我が国においては帝(天皇)の存するところが「都」、すなわち国家としての中心であった。今は令和の世であるはいえ、この原理原則には何ら変わりがないことに留意しなければならない。事実、今上天皇は東京にいらっしゃり、その東京が他ならぬ我が国の首都、すなわち「都」として機能している。

だが我が国のこれまでの歩みを振り返ってみると、ある種の固定観念を超えた印象が導かれるのである。「邪馬台国」の所在を巡っては未だに論争が絶えないが、古代のある時期まで我が国においてはとりわけ九州に巨大な政治勢力が存在していたことは事実である。その中心をあえて「帝」とここで呼ぶことにするならば、その所在地である「都」は我が国の中でも西部にまずは存在していたことになる。それが古代を経る中で大和王権の登場によって東でくっきりと姿を表し始め、やがては現在の京都である「平安京」こそ「都」であると称される様になる。そして近世から近代へと移る「明治維新」の流れの中で実は「遷都の詔」すら発されないまま、江戸へと帝は住まいを移され、その地が東の京、すなわち「東京」と称されることになり、現在に至っている。そう、我が国において「都」は長い長い年月を経て東漸してきたというわけなのである。

以上の様な史実を踏まえる時、悠仁親王による今回の「筑波大学ご入学」という流れが果たしてどんな意味を本当は持つことになるのかが、筆者には気になって仕方がないのである。「筑波」の地は大学を中心とした地域こそ文教都市ではあるものの、現在の東京の様に政治・経済・社会・文化の中心であるとは言えないのが実態だ。しかし、古来、我が国においては「帝がおはしますところ」こそが「都」と目せられてきたのである。そして今、今春(2025年春)から生じる新しい現実を客観的に見る限り、「筑波」の地は潜在的に(そう、あくまでも潜在的に、ではあるが)「都」になり得ると感じられるのは筆者だけであろうか。

「筑波」の地には、繰り返しになるが我が国有数の国立大学である筑波大学を筆頭に、各種の国立研究機関が立ち並んでいる。イノヴェーションのためのクラスターであることは間違いない。そしてそこで生まれた技術を製品とするのであれば、近くにこれまた我が国有数の生産拠点である鹿島臨海工業地帯が存在し、そこには我が国有数の財閥系企業の生産設備が居並んでいる。さらに、そこで生産した製品を諸外国に輸出しようというのであれば、最近「第3滑走路」の建設が企図されていることで再び話題となっている成田国際空港が隣接しているのである。新しい「都」がこの地に築かれた場合、繁栄することは目に見えていると語るのは果たして言い過ぎであろうか。

仮にこれが秘められた我が国の「国意」を巡る真意なのであるとした場合、それはバラ色の未来だけを語っている様に想えなくもない。しかし、ここであえてもう1度、都の「東漸」という上述の史実に筆者としては立ち戻ってみたいのである。なぜか?

第一に現在、繁栄の一途を辿っている我が国の首都「東京」から何故に「筑波」の地へと東漸する必要があるのであろうか?これら両者の間をつないでいるミッシング・リンクとしては如何なる事態の到来が真の国意においては想定されているのであろうか。それがえも言えぬレベルの出来事であることは想定に難くない。第二に、仮に「筑波」こそが都になるとした場合、それより東の地域はというと、鹿島・香取を経てその向こう側は太平洋、すなわち大海原なのである。すなわち「その先」はないのであって、「都は東漸してきた」という我が国の歴史を巡る流れがここで大きな終止符を打つことになることもまた、想像に難くないのである。このことが果たして我が国にとって如何なる重大なインパクトを与えることになるのか?

いずれにせよ、国意の側にあっては相当なる「ご決意」があっての行いと見るべきだというのが卑見である。とりわけ2033年まで続く伊勢神宮の式年遷宮に向けた準備期間の始まりにあたってのこの「ご決意」が常世を超えた重大な意味合いを持つことに、私たち日本勢はその始まりにあたる今年(2025年)の年頭においてであるからこそ、気付かなければならないのだと私は強く想っている。

「解き」は確実にやって来る。タワマン価格が異常なまでに高騰し、資産バブルの中心であるかの様に見える現在の「都」である東京にも、である。Xデーは想定以上に早くに到来するかもしれず、そのことを今こそ、思い起こすべきなのだ。そのことを今・この瞬間だからこそ明記しておきたい。なぜならば、出口を失いかけた社会的混乱の後に訪れる「結びの時」においてこそ行われるべきなのが新しい約束の地への「遷都」だからだ。今・ここから音を立てて加速していく「解き」の中だからこそ、この1点を見据えて行動して行きたい。それがやがて生じる絶望の中であっても希望を抱くために星であり、真に未来をもたらす礎なのであるから。

2025年1月4日 東京の寓居にて

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト

原田 武夫記す

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本日のコラム、如何でしたでしょうか?弊研究所では来年1月、恒例の「年頭記念講演会」」を開催致します。今回取り上げたテーマも含め、じっくりとお話をさせて頂きます。ご関心を持たれた方はどうぞ、こちらから講演会の詳細をご覧ください。皆様のお申込み・ご来場をお待ち申し上げております。