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新「善悪の彼岸」。そろそろ「べき論」を真正面から語ろうではないか。(原田武夫の”Future Predicts”. Vol.26)

かつて外務省を自主退職したばかりの時のこと。「アジア学」の碩学の一人に、こんなことを言われた。

「君、本気で言論界でやっていきたいのであればこんな本を書いてはならないよ。自らの経歴を汚すことになる。」

拙著『24時間でお金持ちになる方法』を上梓した時のことだ。「保守系言論人」として朝鮮半島を厳しく批判することで知られるこの碩学がその時見せたしかめっ面を筆者は忘れることが出来ない。なぜならばこの碩学は親切心から、我が国の「アジア学」の首領(ドン)に筆者を紹介し、(今は亡き)この首領(ドン)は筆者らを東京会館のフレンチレストランに招待までしてくれていたからだ。「君、僕の顔に泥を塗るのかね」といった感じであった碩学に対して、「はぁ、まぁ・・・」とお茶を濁し、筆者はその場を後にした。

爾来、今の様な「無頼者」の身を続ける中、同じ様なことに何度も遭遇した。つまりこういうこと、だ。「あなたは外交官であったし、公務員であったのだから、自分たちの様な欲望にまみれた俗世間に関わってはならないのだ。いつも純白、綺麗な世界の住人であってもらいたい。後のことは自分たちがその辺でやっておくので」。しかし筆者はというと、こうした声とは真逆の方向で生きてきた。バッカスの神と踊れというのであればギリギリのところまで踊るし、むしろそのことを根源に人間というもの「そのもの」を直視するところから、常に始めてきたつもりだ。今でもそのやり方について後悔は決してしていないし、今後もそれをやめようとは思わない。

むしろ、最近、こう思うのである。そろそろ「べき論」を私たち日本勢は正面から語るべきなのではないか、と。しかし「産経言論人」の一人であったかの碩学の様に、「外面だけのべき論」を語る様であってはならないと思うのである。むしろそこでは人間社会の駆動力はバッカスの神が宿るところにあるのであって、そこを自然にビルトインした仕組みの中でなおかつ刻苦勉励することで全体が高みに到達する様な、そんな全く新しい基盤インフラシステムへの転換こそが、今求められていると筆者には思えてならないのである。

かつてドイツ・ベルリンに留学していた時、熱心にかじりついた本の一つにこんなものがある。

Friedrich Nietzsche “Jenseits von Gut und Böse”

かのニヒリスト、フリードリッヒ・ニーチェが著者。そして邦題は『善悪の彼岸』という。時は19世紀の終わり、西洋文明がいよいよ落日へと差し掛かるところでニーチェはこの著作を世に問うた。ドイツのプロイセンにせよ、あるいは英国のヴィクトリア朝にせよ、19世紀末にまで至る時にあって西洋社会は表向きは「建前の規範、道徳」に満ち溢れていた。しかし同時に勃興し、徐々に隆盛を極めてきた資本主義とその背後において実質的な存在としての完全なる自由主義はこうした建前とは裏腹に肥大化の一途を辿って行ったのである。ニーチェはこうした状況の中で「建前」を打破すべきと喝破し、同時に人間が自己自身の意思へと回帰し、そこに強さを見出す中で再生すべきことを説いた。だが結局は他律的な惰性に流された大衆はというと、そうした自己の確立へと至ることはなく、むしろ「強き指導者」を仮初であっても望み、やがてはそれに完全に依存する中、とてつもない殺し合い=第二次世界大戦へと突っ込んでいったのである。そして現代もまだ、その延長線上にある。

そして今。再びこの永遠に解くことの出来ない様な課題がその巨大な首をもたげ始めている。ここ近年、ある種の強烈な規範論が世間を席捲してきた。「ジェンダー論」「多様性の尊重」などなどそのヴァリエーションは無限にある。多種多様な主張の様に聞こえるが、これらはいずれも一つの共通の性格を持っている点をここではハイライトしておきたい。それは一見するとこれらは少数者の自由を守る様に見えつつも、その実、その他大勢に規律を強制的に課すものなのである。しかしその結果、「善きもの」はかえって「悪しき」とされるものの巨大さを浮かび上がらせることになる。「もっと率直にこのことについて語ろうではないか」と言い出す勢力が世界中で力を噴出させつつある。トランプ米次期大統領がその典型なのであるが、いよいよ世界中のインターネット事業主体やソーシャル・メディア事業主体がこれになびき始めることによって、「気候変動対策」も含めたこうしたある種の「建前上の規範論」が大きく崩れ去りつつある。

だが、これで「終わり」ではないのである。無秩序に自由を求めるだけならば、次に待っているのは単なるカオスであり、弱肉強食の世界なのである。これでは決して最終的な解には到達など出来るわけがない。そうであるが故に今、あらためて私たちは自らに問いたださなければならないのである。バッカスの神と共に踊りつつ、同時に世界の隅々にまで調和をもたらす仕組みは本当に無いのか、と。そして仮にそのための方途があるのだとすれば、それはどの様にして実現することが出来、かつそのための道のりはどういったものになるのか。―――このことこそ、「未来を語る」全てのリーダーが今、大いに語り、議論すべきことなのである。

以上を踏まえ、そしてまた正にこのことこそ、今後の己の行動において基本原則となるという強い確信を抱きつつ、弊研究所は来る1月25日に「2025年度・中期予測分析シナリオ」をリリースさせて頂く。タイトルは「欲望と、自重と(Cupiditas et Circumspectus)」である。筆者自身の強い想いとしては未来シナリオ、ここに極まれりといったところであろうか。共に「次の時代に向けて今こそ歩み出そう」とする御仁には是非手にとって頂ければと切に願っている。そこにあることこそ、人類にとって永遠かつ究極の問いに対する答えそのものなのであるから。

2025年1月11日 東京の寓居にて

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト

原田 武夫記す

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本日のコラム、如何でしたでしょうか?弊研究所では本年1月25日(土)に恒例の「年頭記念講演会」」を開催致します。今回取り上げたテーマも含め、じっくりとお話をさせて頂きます。ご関心を持たれた方はどうぞ、こちらから講演会の詳細をご覧ください。皆様のお申込み・ご来場をお待ち申し上げております。