2027年に向けて布石と”Voice of Japan”。(原田武夫の”Future Predicts.” Vol. 99)
日頃、二進法の「デジタル」の世界にばかり暮らしていると、どうしても目先のことばかリを考えてしまうわけであるが、秋が本当の意味で始まった今この瞬間にこそ、目線を上げてしばし考えるべきだと痛感している。とりわけ、弊研究所より繰り返し述べているとおり、来る2028~29年こそが「決定的なタイミング」になるわけだから、その直前である来年=2027年は名実共にcriticalなのである。したがってそこに向けて何ら考え無しに突き進んでいくわけにはいかないというわけなのだ。
我が国では安逸な標語としての「Gゼロ」、すなわち圧倒的な力をもった政府主体が世界において存在しなくなる結果、国際情勢が一気に不安定化する、などといった議論が一時期横行したが、それももはや「過去の言説(narrative)」である様に感じられる。「不安定化」は意図して創り出され、その次にやってくるtotal militarization/weaponizationへの仕込みは、筆者の廻りでも2年くらい前に実感できる様になり、現在ではもはや我が教え子ですらそこに関わる様になっている。そして本邦各紙を見ると、defense procurementこそが我が国を救うといった議論が、「AIによる経済繁栄信奉論」と共に語られ、もはや誰もそれに真正面から異論をはさもうとしないのである。それもそのはず、今や跡形も無くなりつつある「旧民主党=立憲民主党」こそ、こうしたtotal militarization/weaponizationに向けての政治的決断を政権担当時代に創ったわけであるから、反論の仕様がないのである。そしてその背後において実質的な存在であるのが、我が国有数の経済団体なのであって、「平成バブル後に中小企業が食えて行けないので何とかしろ」と防衛産業の拡充を求めてきたのは他ならぬ彼等経済団体の御歴々なのである。確かに、現代経営理論において、「まだ着手していない事業で、既に成功している事業の延長線上で拡充出来るものがあるのであれば、速やかに事業ポートフォリオを拡充すべし」というのが鉄則ではある。そしてまた彼の国では当然視されている「戦争経済(war economy)学」であればなおのこと、「この部分=defense sector」において何ら儲けてこなかったのが我が国であるのだとすれば(実は違うのであるが。一般には知られていないだけだ)、ここの部分にこそ政府予算を「全振り」し、もって国民経済を新興すべし、とテクノクラートたちが考え、危うい「人気投票」に依存した政治家たちが(自らの新規利権獲得の欲望もあって)これに乗るのは当然の流れだというべきなのである。
そうした中で今、全世界的に来年前半から秋に向けて開催される国際学会の案内が筆者の下に届く様になっている。表題こそ違えど、いずれもほぼ同じことを取上げている様に感じられる。すなわち「益々不安定化するグローバル社会」、「全世界的な軍事化が歯止めをかけられなくなっており」、「それでもガヴァナンス(統治)をどの様にすべきか、どの様にして新しい枠組みを創り出すべきなのかという議論は尽きることがなく」、「さらには人工知能(AI)が脅威となりつつある中、これらの問題群を総体としてどうとらえるべきか」といった論点についてこれらの学会では語られることになるのである。
我が国の”全振り”ぶりは、そうした中でまずもって学術的にも注目されるはずの事態だ。なぜならば我が国は戦後、一貫して「平和主義」を掲げ、しかもそれが日本国憲法という「最高規範」によるものとして墨守してきたからだ。そのことを諸国民は知っている。もっとも、それが米国勢による多大な負担の下に維持されてきた体制であることまた事実なのであって、戦略的に言うならば常に「自己の安全保障を第三者に肩代わりさせる戦略(バックパッシング)」を一つには常とする米国勢としてはもはや我慢ならないところまで来ていることまた真実なのである。だからこそ、米国勢は中国勢と、そしてロシア勢と我が国の頭越しで融和の姿勢を示し、我が国はそれを目の当たりにして焦り、「自主防衛」の努力をする様になっている。そしてこれに眼をつけたのが英国勢を筆頭とする欧州勢なのであり、「ウクライナで実戦経験がありますよ」と盛んに我が国へと売り込みをかけているのである。対する我が国の側といえば、唯一歯止めとなるはずの財務省は1990年代の度重なる「不祥事」によって徹底的に押さえつけられており、もはや「気分屋」の総理大臣の一存で幹部人事が左右されるほどの体たらくなのである。そこに財務官僚からのまっとうな歯止めをかける余地はなく、「経路依存性(path dependency)」を破る出来事(critical juncture)を突破したかの様な”全振り”が我が国防衛予算の突出した肥大化に見られている。そして例によって例の如く、誰も「この流れ」が本当はどこに辿り着くものとなるのかを、真正面から語る者がいないのである。
「歴史に盲目な者は未来に対しても盲目である」(リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー)
かつて、ドイツの連邦大統領が語った言葉を今、筆者は想い出している。我が国ではこれから、1920年代半ばから1930年代を通じて生じた出来事が走馬灯の様に、そう、社会統計学における模範例の様に「フラクタル構造」をもって生じるのであろう。そのことはアカデミアにいる者であれば誰にでも分かるはずなのであるが、もはや独立系の財源などは持ちようのないくらいに赤字化してしまっている彼・彼女等に政府当局が創り出すトレンドに逆らってまでアカデミックな正論を論じる余地・余裕など皆無なのである。したがってアカデミアにおいても我が国では明らかに”全振り”となっており、当然のことながら「お茶の間」においてもそうした流れが垂れ流され始めている。これもまた、フラクタルを知らぬ世代が生じる、人の世の性(さが)というものであろうか。
しかし、である。だからこそ、独立した財源を持った我が研究所の様な存在こそが、我が国国内に対してはさることながら、グローバル社会において声を上げなければならないと考えている。無論、多勢に無勢ということはある。実際、「物事は成る様にしかならない」ことも事実だ。しかし、今回は明らかに戦争(warfare)がひとたび起これば、それが「世界大戦」になることが誰の目にも明らかであり、かつその結果、「核兵器」が投入されることもこれまた誰の目にも明らかであることから、人類全体にとって、その結果がどうなるにせよ、大いなる覚醒と、それに基づくガヴァナンス(統治)構造の大きな転換をもたらすことも事実なのである。そしてそれを前提に次の世界はどうあるべきか、という議論がいよいよ始まっているのが海の向こうにおける現実でもあるのだ。来年(2027年)前半から秋までに続々と開催される国際学会におけるテーマは、いずれもそのことを物語っている様に筆者の目には映っている。そうした中で弊研究所は「この重大事」にしっかりと真正面から取り組み、明日に向けた具体的な仕組みづくりのための具体的な提案を、total militarization/weaponizationへと”全振り”をし、その結果を真正面から被ることになる我が国、そう、かくなる非常なる事態へと陥る我が国だからこそのVoice of Japanとして、グローバル社会に対し、アカデミアの厳格な基準をクリアしたレヴェルで発し続けるべきなのだ。
秋の深まりは、同時に思考の熟成を促す。「新しい季節」がいよいよ始まったことを踏まえ、そして来年(2027年)秋にはいよいよ「悲惨な現実」がとりわけ我が国を取り囲む東アジアで生じることが筆者の脳裏ははっきりと映っているが故に。「このこと」を今、明確に書いておこうと思う。今はまだ見ぬ、我が同志たちに向けて。
2026年10月3日 東京の寓居にて
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト
原田 武夫記す