なぜ安倍晋三外交は八方ふさがりになるのか。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」) - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
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なぜ安倍晋三外交は八方ふさがりになるのか。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)

安倍晋三総理大臣が率いる我が国の現政権が再び、大きな罠に嵌ってしまったことが明らかになった。先にロシアのソチで行った日露首脳会談の場で「領土交渉と経済支援は別に扱うことを日本側が約束した」とロシア側に暴露されてしまったのだ。ただでさえアベノミクスがデッドロックに入ってしまっている苦境だというのに、あえて対露外交に積極的な安倍晋三総理大臣の姿勢には「必ずや何か戦略があるはず、とりわけ経済支援をロシアに対してまた行うのはそれで北方領土が返還されるからだ」と国民もそこはかとない信頼感を覚えていたはずだ。しかしそうした期待は見事に裏切られた。ロシア側はものの見事に「両者の切り離し提案をしたのは日本側だ」と喝破し、しかも最高権力者であるプーチン大統領の口から「領土を売り渡しはしない」とまで言われてしまう始末。外交の現場レヴェルでいうならば正に「完敗」である。今後、プーチン政権はいくら飴玉(=経済支援)をこちらから与えたとしても領土問題となればびくとも動かなくなるはずだ。状況をここまでに追い込んでしまった安倍晋三総理大臣の責任は重い。

対露外交で積極攻勢に出ること自体が誤りであったというわけではない。実際、「勝ち目」のあるタイミングがあったことはこれまでこのコラムで私が何度か書いてきたとおりだ。それは昨年(2015年)1月頭のことだ。この時、ロシア勢は西側諸国から金融マーケットで猛攻にあっており、正に瀕死の重傷を負っていたのであった。もっともとりわけ米国勢の側においては「やりすぎた」という認識があり、それ以上本当にロシア勢が倒れてしまっては自らが念頭においている世界シナリオから現実がぶれてしまうという危惧があったのだ。そこで我が国の本当の“権力の中心”と米国勢のそれぞれの意思が重なりあう筋より、私の下にこんなメッセージが届いたのである:

「我が国がロシア勢との距離を縮めたいというのであれば、今この瞬間に金融支援の実施を申し入れるのが良いであろう。それが適当である」

そこで私は、人づてで安倍晋三総理大臣に面会を求め、40分ほど会話をしたわけであるが、「総理、おやりになられるのであれば対露接近は金融支援を用いて今しかありませんよ」と申し上げたのに対し、安倍晋三総理大臣はこう述べたのである:

「韓国ならば考えているが。もっとも通貨スワップの申し出に対して、韓国の側が鈍い反応しか見せないのでどうしたものかなと考えている」

その時の表情から見て、明らかに安倍晋三総理大臣の脳裏には「ロシア」が優先事項として思い描かれていると理解は出来なかった。ところが、である。その半年後にサンクトペテルブルクで行われた「国際経済フォーラム(SPIEF)」へ、安倍晋三政権は経済産業審議官をヘッドとする一大デリゲーション(代表団)を送り込んだのである。率直に言って、私は失笑を禁じえなかった。相手が自力で徐々に体力を回復しつつある時に支援を申し入れても全く無意味だからである。この時、私は安倍晋三外交が対露政策という観点で大失敗をしでかすとの予感を強く抱いた。そしてこれがいよいよ現実になったというわけなのである。

昨年(2015年)初頭に仮に我が国がこうした金融支援を申し入れていたとすれば世界の歴史が変わった可能性は大いにあったと私は考えている。安倍晋三総理大臣との面会の直後、私はすぐさまアファナシエフ在京露大使と面会した。私から「仮に我が国が金融支援を貴国に対して申し入れたとすれば如何されるか」と質したところ、アファナシエフ大使は一笑に付しながらこう答えたのである:

「そんなことを日本が出来るわけがない。例えばSWIFTからロシアが外されるかもしれないことについて支援をする可能性があると貴方はいうが、そんな支援を米国が認めるはずがない。そして米国が承認しない限り、日本は動かない。ただそれだけのことだ。しかも我が国(註:ロシア)は中国と非常に密な関係にある。露中経済関係が順調に発展していけば現在の苦境などそもそも全く問題ではなくなる。日本に出番はない」

私の側からは、こうした申し入れが我が国の本当の”権力の中心“と米国勢の、とりわけインテリジェンス機関の内奥から発されていることを付け加えて述べた。するとアファナシエフ大使は早々に立ち去ろうとしつつ、こう述べたのだ:

「日本において皇室が意味を持っているのですか?私には全くそうは思わない。また、貴職もご存知のとおり、我が国(註:ロシア)は米系インテリジェンス機関にはさんざん痛い目に遭って来た。その云うことを信ずるわけがないではないですか」

私は正直、プーチン大統領の日頃の苦労に想いを馳せざるを得なかった。要するにロシア勢の側においても外交ルートにおいて「本当の日露関係」「本当の我が国の構造」を前提に交渉の出来る人物はいなくなってしまっているのである。ちなみにこのアファナシエフ大使はチャイナ・スクール、すなわち「中国語研修組」として有名である。最初からこのルートでは交渉はしない、という堅い決意の下、プーチン大統領があえて「意味の無い遠吠えばかりする番犬」を駐日大使に据えているだけのことなのである。

やや怒り心頭となった私は、その時同席した一等書記官に対して、概要次のようなメールを送り付けた:

「本日の会見は実に残念なものであった。アファナシエフ大使では残念ながら話にならない。本当の日露関係が分かっている人物にお出まし願いたい。モスクワに対してそのように伝えてもらえないか。こちらとしては何時でも話をする用意がある」

その後、1か月ほどたったころであろうか。弊研究所の担当秘書の下に1通のメールが届いた。「N」と名乗る人物だ。読むと在京ロシア大使館経済部に所属している、とある。私はすぐさま、先方が求めている面会に応じることにした。

私がなぜここで面会に応じたのか。明確な理由が一つある。―――それは在京ロシア大使館は六本木・狸穴にある「本館」にいる人物たちは“飾り物”であり、高輪にある「通商代表部」にいる人物たちが“本物”であるということだ。露系インテリジェンス機関の総本山は実は高輪にある。狸穴ではない。そしてプーチン大統領も来日した際、表向きの外交日程はともかく、「本当に会うべき日本人」とはこの高輪にある通商代表部で会っているのだ。

そして面会当日。先方は一等書記官を名乗っていたので30代そこそこの人物が外交の世界の通例にしたがってやって来るのかと思いきや、60代半ばの老練な、しかしどこかしらひょうひょうとした感じの男性がハンチングをかぶりながら弊研究所にやってきたのである。しかもしゃべるのは流暢な日本語。私は「いよいよ本物が来たな」と直感した。

「N」と名乗るその人物は、少なくとも本人が語った話を前提にする限り、実に1960年代末から一貫して対日外交を行ってきた人物であった。ドイツ語でいうならば「alter Hase(古株の野兎)」、非常に手ごわい相手である。私は久々にやる気を沸かせている自分に気付いていた。

なぜならば”このやり方“は社会主義・共産主義の外交そのものだからだ。かつて現役外交官時代に北京で日朝協議を行った際、「実は別名で日本に入国したこともありますよ」と笑顔で小声ながらもかたった先方の担当官から、こう言われたことがあるのだ:

「日本との外交交渉は話にならないのは、常に担当者が変わってしまうことによる。こちらはずっと同じ人物が担当しているのに、日本側では毎回毎回、担当者が変わるのでまた一からの交渉になってしまう。何とももどかしい」

「N」と名乗る人物はその供述を聴く限り、常に対日外交のフロンティアにいた。もっともそれは時には旧ソ連外務省の一員として、そしてまたある時には対日文化親交団体の一員として、である。その「華麗な履歴」を聴かされつつ、私はすぐに理解した。「この人物こそ、対日外交をモスクワにおいてコントロールしてきたソ連=ロシア系インテリジェンス機関の重要人物だ」と。

「N」は私からの金融支援の腹案を一通り聞いた。非常に印象深かったのはアファナシエフ大使の様にけんもほろろ、といった感じではなかったことだ。むしろじっくり拝聴するといった感じであり、その後、こう言ったのである:

「原田さん、露日外交で重要なのは”雰囲気づくり“です。交渉をしていると色々なことがありますが、それでも”雰囲気“を維持することが大切です。安倍晋三総理大臣はこの点、非常に理解されているとロシア側としては考えています。とにかく焦らないことです。雰囲気、雰囲気」

この言葉を聴いた瞬間に、私は対露外交突破の窓が閉められてしまったことを感じた。仮に昨年(2015年)1月頭に安倍晋三政権が巧に対露金融支援に出ていれば、「雰囲気」などという悠長なことを言っていたはずがないのである。だがそれから既に数か月が経過し、事態は沈静化していた。ロシア側が非公式とはいえ、普段とは違う動きを見せた日本側(私のその時の「提案」)に対して大いなる関心を示し、”本物“を派遣したのは本来ならばやる気の表明であったはずなのだ。しかし、もはやロシア側において交渉を急ぐつもりはないということもそこで明らかにされた。ある意味矛盾した行動ではあるが、いずれにせよロシア側としてはフェイスブックでいう「Poke」をしに我が国に人を送ったということなのであろう。ちなみにこの「N」という人物がその後、完全に行方不明になってしまったことは言うまでもない。

そうした一連のやりとりを我が国の本当の”権力の中心“の「舎人」ともいうべき人脈に連なるメンターに伝えたところ、こう言われた:

「ロシアも外交のための人財が枯渇してしまって困っているようですね。もっとも我が国の側にも大きな問題がある。日露外交が一体どこから始まっており、どういったルートでその後、本当のところ行われてきたのか。その意味での深い歴史認識を抜きにして、たまたま選挙で選ばれた総理大臣が云々しても動く代物ではないのです」

端的に言おう。―――プーチン大統領を動かす方法はただ一つしかない。同大統領を「大統領」という職にまで引き上げた最高位の”権威“から、その旨命じて頂くことである。プーチン大統領は熱心なロシア正教徒であり、ロシア正教は東方正教会の流れを汲んでいる。そしてビザンチン帝国が滅亡した後、東方正教会の信徒たちが救いを求めたのがロシアの政治権力者だったわけであり、前者は後者のむき出しの武力に対して精神的権威としての「承認」を与えているというわけなのである。そう考える以上、ロシア正教を動かせば良いということになるが、これが容易ではないこともまた想像がつくのである。

しかし、そうであるからこそ我が国の本当の”権力の中心“は人知れず先手を打っているのである。ヴァチカンにもその教会の内奥に実は1名、我が国の本当の”権力の中心“に対する内通者が高位の日本人聖職者として送り込まれていたことを現代の我が国の政治家が全く認識していないのと同様、このことは永田町・霞が関では全く知られていないことである。旧ソ連が崩壊し、失意にくれていたプーチンに対して、その後の政治権力を獲得するに至る道のりを切り開くための資金を提供したのは他ならぬ我が国の本当の”権力の中心“だったのである。そしてそれが可能になったのは、実は江戸時代後半から脈々と続く高いレヴェルでの日露交流のネットワークがゆえだったのであり、そのことを武人・プーチンはしっかりと認識しているのである。逆に言えばそのレヴェルでの話でなければ一切動かないというわけなのだ。そしてこのレヴェルとの関連性を少々匂わせれば、ロシア側としても真正面から対応をまずはせざるを得ないのは、「N」がわざわざモスクワより当方の下までやってきたことからも明らかなのだ。

先般、森喜朗・元総理大臣がプーチン露大統領より面と向かって、こう言われたとこのレヴェルのラインから聞いた:

「あなたはもはや全く無意味な存在だ。もうロシアに来なくてよろしい」

世界秩序がいよいよ動くこのタイミングだからこそ、「元総理大臣」を名乗るブローカーまがいの人物に会っている時間はないということなのだ。表面的には歓待されたように見えつつも、その実、ゼロ回答であった今回の日露首脳会談を見る限り、安倍晋三総理大臣もまた首の皮一枚なのである。

こうなることが分かっていたので、私は安倍晋三総理大臣のすぐ傍らにいる人物に今回の訪露の直前に次のように伝えたのである:

「アベノミクスと称して諸国漫遊をする中、結果としてロシアの経済利権を世界中で踏みつぶしていた総理にプーチン大統領は怒り心頭です。そうしてやり方ではなく、まずは我が国において陛下の御意向を忖度する努力をされること。それに専心すべきである、と安倍晋三総理大臣にお伝えください」

今回の惨憺たる結果を見る限り、そうやら安倍晋三総理大臣は全くもって聞く耳を持たなかったようである。俗に「上げは下げのため、下げは上げのため」というが、正に同総理大臣が行っていることは「下げ」そしてまた「下げ」へと我が国を誘うことに他ならない。トリックスターとして自意識があるならばまだしも、そうでないとするならば大変である。

ロシアを始め、諸外国にいて絶対的な根元的な階層たちは知っているのである。幕末、我が国と交渉をし、ようやくまとまりかけた時、幕臣たちより「実はタイクーンではなく、ミカドがいる」と囁かれたことを。ミカドと話さなければ最後の最後、我が国とは妥結しないことを彼らこそ実によく覚えているのである。だからこそ、メルケル独首相にせよ、プーチン露大統領にせよ、安倍晋三総理大臣にはけんもほろろ、というわけなのだ。

安倍晋三外交が常に八方ふさがりになるのは、この意味での正しい歴史認識を同総理大臣自身が欠いていることによる。ただそれだけのことである。4日後に開催される伊勢志摩G7サミットを通じて、そのことがあらためて白日の下にさらされることになる。パックス・ジャポニカ(Pax Japonica)という「上げ」のためとはいえ、実に悲劇的なことではある。国民として私たちは今一度覚悟しなければならない。そして私は私で、自らに与えられた役割(「政体」ではなく、これを時には正すものとしての「国体」の外交)を粛々と続けていく。

2016年5月22日 東京・仙石山にて

原田 武夫記す

 

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