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真の東北復興プランとは何か。  (連載「パックス・ジャポニカへの道」)

 

先週7日から8日にかけて、杜の都・仙台に出張してきた。今月(4月)27日から同地で立ち上げる「東北グローバル経営者・起業塾」に対する現地関係者の皆様からの更なるご協力を得るためである。当日は地元経済界屈指のイノヴェーターであられる先達に終日アテンド頂いた。その御蔭で当方が単独ならば絶対にセットすることの出来なかったアポイントメントの数々をこなすことが出来たのと同時に、東北の”今“が抱える重大問題の真相をとらえることが出来た。

それではここで私が言う「東北の“今”が抱える重大問題」とは一体何かといえば、他でもない「東北復興」なのである。もっともこれだけを聞くと「またか」と読者は想われるかもしれない。しかし”何でも見てやろう“の精神で現地に赴き、そこに暮らす方々と直に交わり、現場の雰囲気を文字どおり体感することによってのみ理解出来る事実が必ずあるのだ。今回もそうであった。地元人士の方々と数多くのミーティングを重ねることによって、私の脳裏で「エウレカ!」となったことをまずは吐露しておきたい。

まず議論の出発点とすべきなのが、私たち日本勢が一般に抱く「東北」と言うものに対するイメージである。私たちが学校でまず習うのが源義経をかばった奥州藤原氏である。その次に出て来るのが戦国武将として名高い伊達政宗だ。いずれも時の中央の権力とは一線を画し、独自の路線で「王国」を打ち立てたことで知られる。しかしそれだけに「東北はよく分からない場所だ」というイメージが子供心に植え付けられることになる。

それから教科書は幕末から明治維新で「奥羽列藩同盟」に列した東北の諸藩が塗炭の苦しみを味わった史実に触れる。このあたりから東北については、何かしら「可哀想な存在」というイメージが徐々に刷り込まれることになるのだ。そしてそうしたトーンが決定的となるのが戦前日本を繰り返し襲った冷害とそれによる東北地域の農村における苦境なのである。「娘を売りとばす」ことが日常茶飯事であったことが語られ、さらに戦後になっても農閑期には父親が「出稼ぎ」に出なければならなかったといった史実がハイライトされることで、こうした「悲劇の東北」というイメージはクライマックスを迎える。

さらにこうした一連の流れに止めを刺すのが「2011.3.11」すなわち東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所からの放射性物質の大量拡散なのである。これを通じて東北はイコール「悲劇の土地」ということになるのみならず、「だから絶対的に未来永劫、守られなければならない存在」としてアンタッチャブルとなる。こうした場合における我が国での常として、「東北」はもはや議論を行うべきテーマではなく、黙って金銭的な支援を行い続けるべき存在として取り上げられることになるのだ。その延長線上に、現在のいわゆる「復興支援」が行われていることは言うまでもない。安倍晋三政権も、明らかにこうした“伝統”に則り、間もなく行われる国政選挙を控え、「思考停止」を決め込んでいる。

誤解を恐れずにあえて言うならば、東北各地に暮らす方々がこうした「思考停止」に伴う財政援助から多かれ少なかれ裨益したことは紛れもない事実である。「失われた命」「失われた生活」の代わりに国、地方自治体、さらには東京電力よりそれぞれの皆さんがそれなりの金額をある日突然、得ることになった。その結果、これまた人間の哀しい性なのであるが、同じく「思考停止」に陥ってしまっている向きが多分にいるのである。「悲劇」に対するトラウマを消すべく、いたずらに華美な消費にすら走る中、「思考停止」が明らかに蔓延している。

しかし、である。こうした「甘い状況」が未来永劫続くはずもないのである我が国政府はそもそも昨年度(2015年度)までを集中的な復興期間としてあらかじめ設定していた経緯がある。そのため、ここに来て復興予算の国による全額負担を見直すと堂々と表明し、他方においては総額で9兆円もの「未消化分」の復興予算があることが会計検査院によって白日の下に晒されたりもし始めているのである。

言うまでも無く、こうした動きを我が国政府が見せる背景には、いわゆる「アベノミクス」に代表される現下のマクロ経済運営との関係がある。このコラムでも繰り返し述べてきたとおり、今、我が国が行っているのは「実質金利のマイナス化」である。すなわち(1)名目金利をまずは思いっきり下げ(=狭義のマイナス金利)、次に(2)商品(コモディティー)価格の暴騰によりインフレ率を引き上げる、のである。その結果、「名目金利―インフレ率」の値である実質金利が盛大にマイナスになる中、「カネを借りないリスク」を“演出”し、イノヴェーションの嵐を引き起こして一気に景気回復を図るというのが、そこでの展開シナリオなのである。

だが、この処方箋は「劇薬」をも処方しているのである。インフレ率が商品(コモディティー)価格の急騰によって引き上げられるとなると、最初は良いが、ある段階から名目金利も引き上げなければならなくなる。米国勢が既にその憂き目にあっているわけであるが、我が国も早晩そうなることになる。しかし、我が国は公的債務の累積残高が実に240パーセント以上にも上っているのである。「長期金利が1パーセント上昇すれば国債利払いだけで10兆円の捻出が必要になる」という悲劇的な状況の中、ある段階から我が国は早々に事実上の”デフォルト(国家債務不履行)“を目指すのか、あるいはソフト・ランディングのためにあらゆる措置をそれまでに講ずるのかの選択肢を迫られることになるのだ。マーケットにおける肌感覚から言えば、早ければこの2年以内、遅くとも5年以内にこうした「真実の時(moment of truth)」が訪れるのである。

そうなった場合、「復興だから」といって容赦はされないのである。そもそも「9兆円も余っていた」などというスキャンダラスな復興予算はその時、最大限切り刻まれていくことになるのは必至だ。現地で散見されている「復興バブル」はその瞬間に終わるのである。今行うべきは、この意味での「真実の時(moment of truth)」に何を為すべきなのか、そのための思考と準備作業を急ピッチで進めることなのだ。

それでは今、何を考え、何を為せば良いのか。―――やや前置きが長くなったが、この問いに対する私の答えは実にシンプルだ。東北が今、行うべきこと、それは「国・地方自治体に原則として頼ることなく、民間レヴェルで業を起こし、それによって域外からビジネス・ベースで富を取って来る仕組みを創り上げることにより、東北の地で雇用を拡充し続けること」に他ならない。こう聞いて「当たり前だ」と読者は想われるかもしれないが、実は現地ではそうはなっていないのである。

確かに東北の現場レヴェルでは実にたくさんの「創業支援」「イノヴェーション」「起業」のためのスキームが官民挙げて用意されている。スキームだけではなく、これを実施するためのリアルな機関の数も無数にあるのだから驚きだ。しかし、その結果、「創業」「起業」「イノヴェーション」が次々に東北で行われ、続々と成果を収めているのかというと全くそうではないのである。これまた誤解を恐れずに端的に申し上げるならば、東北はこの観点ですっかり沈み込んでしまっている。先の「震災」で「復興予算」が大量にばらまかれることによってその傾向はさらにひどくなった。その結果、掛け声だけはするが、誰も本気で「創業」「起業」「イノヴェーション」など考えなくなったのである。

正直、これまで私はなぜそうであるのかが全く理解出来なかった。東北には東北大学を筆頭として、世界でも最高水準の技術シーズを山のように抱える研究機関や民間企業が多々あるのである。他方で、これまで述べてきたとおり、官民挙げて大量のマネーがそこに投入されている。しかも人々は何かといえば口々に「創業」「起業」「イノヴェーション」を大声で語ってもいるのである。少なくとも”表向き“は、である。だが、現実には「創業」の嵐も、「起業」のうねりも、はたまた「イノヴェーション」の連発も東北からは一切聞こえて来ないのである。「何故なのか」―――私自身、これまで悩み続けていたことを告白しておく。

しかしようやく、今回の2日間にわたる仙台出張で、正に1990年代前半までの「東北イノヴェーションの頭目」というべき先達に手引きをして頂きながら、現地の人士を周らせて頂く中で、私はこの自問に対する「答え」を得ることが出来たのである。

「東北は憐みの対象である」―――そうした一般的な印象論(パーセプション)がそもそも間違っていたのである。戦後復興の中で我が国の大企業、とりわけ製造業大手はその下請け企業の集積地点を、国内における比較において労賃が安かった東北地域に求めたのである。とりわけ冶金や金属工業について伝統的に強かったこの地域では、そうした伝統の延長線上に立って優れた部品産業が構築された。さらにその先で例えば磁気記録や半導体に纏わる技術、さらには「光通信」などといった情報通信技術が続々と生み出されたのである。そう、東北こそ、イノヴェーションの中心地であったのである。

製造業を支える実体ある技術革新という意味での「イノヴェーション」の集積地点、さらにはそれを支える鉱物資源とその周辺の産業がいかにこの地域に、結果として富を外部からもたらしたのかは、例えば1976年から三菱地所が仙台市泉区で整備を始めた広大な地区開発の「現場」を見れば分かるのである。都内では想像もつかないような巨大な欧風家屋が、道幅も明らかに我が国では桁外れに広い道路の両脇に並んでいる。少なくとも当時、この東北の地にあってそれだけの不動産物件を購入する力を持っている人々がいたということなのである。このことは何も仙台・泉だけではなく、それ以外の東北各地にも同様の「開発」の遺構が見られることから分かる。

ところが、そこで「外部から富をとってくる」という重大な役割を果たしていた我が国の製造業大手の拠点が、1990年代以降、一つ、また一つと閉鎖され、あるいは東北の地を去って行ったのである。「平成バブル崩壊」「人口縮小」「円高」さらには「震災」といった悲劇が矢継ぎ早に重なる中、大企業は無情にも東北を去って行った。そした後には、これら大手企業に対する「下請け」として一時は繁栄を謳歌してきた年商10億円前後を中心とした企業群が残されたのである。これらの小企業では、創業者は同時に技術者であり、その性格からして愚直である場合が多々あるため、現代的なマーケティング手法などおよそ頼りにしないのである。「良いモノを造れば必ず売れる」と信じ、日々開発を進め、しかしながら結果的にそれも売れないため、物憂い日々を送っている。

そうした中で「経営権」を表面的には譲られた、これまた往々にして創業者の娘である「社長」はどうしたら良いのか全く分からないままなのである。無論、往時の勢いの中、これら事業承継者たちは一流の教育を受けている場合も多い。海外留学体験すらあるのである。しかしこうした教育を通じて得てきた知識をそのまま東北の現場にある自社に適用しようとしても到底無理だということにすぐに気づくのである。何せそれまでは大半が「国策企業」である大手企業にだけ製品を粛々と納入していればそれで良かったのである。そこには本当の意味でのマーケティング(=読んで字のごとく「マーケットを創ること」)などと言うものは存在しなかったのである。あるのはかたくなにプロダクト・アウトの発想でモノを作り続ける創業者である「会長」の強固な意思だけなのである。その結果、これら東北企業たちは煩悶を続け、出口の無い旅を続けさせられているのである。

それ以外の企業セクターに何か知恵があるのかというと、全くそうではないのが現実だ。製造業が東北で大車輪の活動を続けていた時、これにインフラやエネルギーを提供していた企業たちが経済界のいわゆる「頂上団体」で幹事を務めている場合が多い。東北もその例に漏れないわけだが、しかしそもそもが「安定供給」を旨とするこれらの企業セクターに対して、ダイナミックなイノヴェーションを起こすための思考と行動を求めてもお門違いなのである。そのため、結局は何も起きないのである。

その一方でそれでもない若干は存在しているヴェンチャー、あるいはスタート・アップ企業はどうかというと、これまた東北の地を根底から変革する勢力にはなり得ていないのである。なぜならばこれらの企業はたいていの場合、「IT企業」であり、かつて中心を占めていた製造業が創り出す富と雇用の規模感からはかけ離れているからだ。しかも東北の地をマーケットにし続ける限りにおいては、やがて市場は飽和し、衰退していってしまうため、これらIT企業は意欲ある経営者によって率いられていればいるほど、結果として東京へと事実上移転していくことになる。しかしそうなると現地ではますますアウトサイダーになっていくのだ。彼らが残念ながら、東北の変革、あるいは「復興」にあたって中心的な勢力にならない根元的な理由はここにある。

もっとも誤解しないで頂きたいのだが、東北に「イノヴェーション」の息吹がないのかといえば決してそうではないのである。「平成バブル崩壊」直後までの間、我が国製造業大手の東北における拠点において正にイノヴェーションのうねりを担っていた人士がかろうじて今でも多数、時に御高齢ではあるものの、東北の地で活躍されているのである。多くの場合、彼らは「後継者」となるべきイノヴェーターを探しだし、育てるべく、躍起になっている。その思考たるや今の言葉でいう「デザイン思考」そのものであり、フットワーク軽く、まずは”何でも見てやろう“なのである。そして実際に様々な企てがこれら、「大規模製造業の東北拠点」の勇ましき”落ち武者“と呼ぶべきイノヴェーターたちによって繰り広げられているが、いかんせん、マジョリティーにはならないのである。なぜならば、彼らの語るイノヴェーションの根幹において、エコシステムの中心としての必須の役割を果たすべき「大規模製造業」がもはや東北の地には存在しないからだ。そのため、彼らの努力もむなしく、結果として「東北では何も起きず、何も始まらない」といった日々だけが続いてしまっている。

「真相はよく分かった。それでは貴方ならばどうするのか」

待ちきれない読者は必ずやそう私に問いかけて来るはずだ。無論、私には腹案がある。この試案をベースに、一方では上述の「東北グローバル経営者・起業塾」に参加する皆さんと議論を重ねていきたいと思うし、同時にこれを中央と東北、その両方で意味ある関係人士への働きかけを続けていきたいと考えているところだ。

紙幅の都合もあるので、あくまでも「箇条書き」で私の試案におけるフックというべき諸点を並べるならばこうなる:

―大規模製造業各社が去ってしまったのは、産業立地が総合的に見て東北について他との比較では必ずしも有利でなくなったからである。感情論ではなく、この事実について客観的な分析を施すべきであり、そこで導かれるいくつかの改善点を根底において正すことが出来れば、これら大規模製造業各社は国内大手のみならず、海外勢も含め、またぞろ東北へと殺到するはずである

―その際、インフラ整備や労賃などといってしまっては、エマージング・マーケットと比べて東北が負けてしまうのは目に見えている。現地において非常に不思議なのは、「金融」という切り口で産業立地をドラスティックに改善しようという試みが全く聞こえてこないことだ。しかし大規模製造業各社が「パナマ文書」を巡る最近のリーク・スキャンダルを筆頭として事件の連続の中で悩んでいるのは、「金融」という意味での立地に他ならないのである

―つまり簡単に言えば「特区」を利用して、東北の適当箇所に関する法人税を徹底して下げ、国際競争力がある状況を実現するのである。もっともそうすることによって「租税回避地を日本は創るのか」という攻撃を対外的に受けることは目に見えている。しかしそうすることの大義名分が立つ場所が我が国、しかも東北地域にたった一つあるのだ。「震災被災地域」、とりわけ福島第一原子力発電所から拡散された放射能物質によってまともにはもはや使えなくなったことが明らかな土地である

―もっともそこに「工場建設を」と主張するのでは誰も来るはずがない。そうではなくて、こうした地域に「特区」として設定する租税特権を利用するためには、東北の他地域での工場や拠点建設を義務化すれば良いのである。そして「キャプティヴ保険」をキーワードにしながらこれら「特区」」と「帰ってきた大規模製造業各社」とをつなぐことが出来れば歯車は再び東北で廻り始めるのである

―東北の地元で今や行き絶え絶えであった元「下請け」の優れた製造業各社や、あるいは「落ち武者」に過ぎなかったかつてのイノヴェーターたちはこうした措置によって一斉に息を吹き返すことになる。なぜならば前者にとっては部品納入先が軒先に戻って来るからであり、後者にとってはこれら各社に送り込むべきイノヴェーター人財(創発型人財)のリアルな需要が当欲で一気に高まるからである。こうして、めでたく東北の地へと富は戻り、雇用は拡充の一途へと転ずることになる。もはや東北は「憐み」「憐憫」の対象ではないのである。東北は世界中からの「憧れの的」へと転ずるのだ。

「がんろう 東北」などと戦時中の”竹槍“よろしく精神論を叫ぶ暇があったらば、私はこのくらいのレヴェルでの”戦略“を思い描き、すぐさま実行の移すべきなのである。確かに残された時間は極めて少ない。しかしだからこそ、”今やらねば何時やるのか“の精神で突き進むべきなのである。他ならぬ”今“こそ、始動の時なのだ。輝かしい我らが未来に向かって。その中心は「東北」なのだ。

2016年4月10日 東京・仙石山にて

原田 武夫記す

 

*2016年4月27日から弊研究所が仙台にて開催する「東北グローバル経営者・起業塾」(全6回)の詳細については こちら をご覧ください(個人のお客様限定の無料ご招待(10名限定)の御申し込み期限は4月13日正午までです)。

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