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日経平均の「瓦落」。そして「アートと科学」の時代の終焉。(原田武夫の”Future Predicts” Vol. 9)

6月頭から始まっていた広島大学教育学部での客員教員としての集中講義期間が終了した。ほぼ毎週、水曜日の夕のフライトに乗って広島空港へ。広島で宿に泊まり、翌朝は研究所としてのルーティンをこなしながら昼過ぎより講義を行う。そして夕方には反対向きのフライトに乗って羽田へ戻る。ある意味、「修行僧」の様な生活をさせて頂いたわけだが、実に多くを学ばせて頂く機会となった。この様な貴重な機会を与えて下さった先生方にまずは御礼を申し上げたいわけだが、そう安堵していたのも束の間、今度はグローバル金融マーケットで一気に「瓦落」が生じた。特にひどいのが日経平均株価であり、昨日(2日)は遂に終値ベースで2000円以上の「瓦落」。そして夜には日経平均先物も暴落が続いた上に、頼みの綱のはずのダウ平均株価も暴落となって、週明けどうなるのかが誰でも予想がつくような展開になってしまった。

すなわち、前回のこのコラムで書いたとおりとなった、というわけなのである。アラブ人と「日本人」が来たらばそのマーケットは終わりだ。「新NISA」という言葉で踊らされ、特に若い世代の皆さんがにわか個人投資家となり、特に「安全だ」と言われてきたインデックス型投信に積極的な投資を行い始めたばかりだと聞く。

「まだまだ老後までには時間があるのだから、今回の下落など全く問題無い。1回や2回くらい下げても、合計で18年間以上、連続してこのタイプの投信に投資をしてけば元本割れしない可能性が高いと言われているではないか。大した話ではない。」

多くの若き個人投資家の皆さんがそう思っているのではないかと愚考する。だがしかし、これは全くもって間違った考えなのである。「今・ここ」で思考停止してしまうのではなく、「いや、待てよ・・・」とこうした展開の背後において実質的な”何か”に気づき、必死になって勉強をし始める、とならない限り、我が国の若き個人投資家たちは決して浮かばれることはないのである。なぜならば、投信のファンドマネジャーと称するある方が、今回の「瓦落」の直後にこんなことをかの某有名経済新聞でコメントをしたりしているからである。

「米雇用統計が想定以上に悪く、米国勢における景気後退が顕著になった。そうした中で円安の是正も始まっており、我が国企業の為替差益も飛び始めてしまっている。景気改善だから日本株は買いとも言えず、何とも言い難い心境だ。」

「おい、ちょっと待てくれよ!」と大声で叫びたい。そう、我が国の若き個人投資家(のみならず、往年の個人投資家も少なからず含まれているわけだが)が頼りにしているはずの投信ファンドマネジャーたちですら、この体たらくなのである。今や、誰を頼って良いのか分からない、というのが本当のところなのである。だからこそ、筆者は先日(7月20日)に実施した「2024年夏・IISIAセミナー」で来場された300名近い皆様に対してこう”絶叫”したのである。

「皆さん、いつまで有価証券投資をしているのですか??時代はまずは”解き”の時を経て、次の時代に向かい始めているのです。1秒でも早く目覚め、次に向かって歩み始めなければ。」

正直、ご来場されていた方々の多くが「きょとん」とされていた。その意味で手ごたえが無かったといっても過言ではない。しかし、どうだろうか。あれから2週間程度で「現実が追随した」というわけなのである。その意味で筆者にとっては広い意味で”情報リテラシー(information literacy)”の勝利であると宣言すべき状況ではあるのだが、どうであろうか、読者の皆様にとっては。多くの皆様が週明けに生じる「追証の嵐」に心底怯えているのではないかと拝察する。非常に残念だが、これもまた淘汰の時であったというわけなのだ。

かくなる上はどうすれば良いのか。―――マックス・ヴェーバー(Max Weber)がかつて『職業としての政治(Politik als Beruf)』の中で述べた「それでもなお(dennoch)」という精神で今、臨もうとされている方にだけ、ここから先はメッセージをお伝えしたいと思う。すなわち「ここからの立ち直り(recovery)をどうすべきか」ということである。端的に申しげて、方法は2つあると考える。

まず1つ目として、「事ここに及んだ」からこそ、ご自身の「勘ピュータ―」だけに依拠するのをやめ、「拡張現実(augumented realities)」を創り出してくれる人工知能(AI)の世界に頼りを求めるべきであるということをお伝えしたい。普段、このコラムはAIが描画した「可愛い女の子」のアニメーション画像をサムネイルにして展開している。少々おどけてであるが、今回はあえて弊研究所が会員制サーヴィス「原田武夫ゲマインシャフト」の会員の皆様だけにアクセス権への申込を許可させて頂ている最新AIアルゴリズム「Prometheus I/II」による日経平均株価のトレンド分析の最新計算結果の描画(2024年8月2日朝)を提示させて頂いた。問題はこの一見するとよく分からないチャートについて、読者がご理解出来るかどうか、またそもそもアクセス権をお持ちかどうかという点にある。

端的に言うならば、これは日経平均株価そのものの実数値に関する未来予測チャートではない。それでは何かというと適切な統計学上の処置を施した上で、「他の個別・特殊な要因による影響がなかりせば」日経平均株価の日々の終わり値の差分が日次でどう動くのかについて、「トレンド」を導き出すべく計算したチャートなのである(トレンド分析)。そしてこれを見ると次のことが立ちどころに分かるであろう。

―今回の「瓦落」の直前で急騰している。すなわち日経平均株価としては直前のトレンドとしては「急上昇」だったわけであるが、実際にその様な動きが今回、日経平均株価の実数値でも生じている。

―そしてシャープに急落する様にトレンドは見えるが、これでおしまいというわけではないのである。むしろ来る11月頭頃までに複数回にわたり、かつ直前に生じた急上昇からすると、より高い値を目指した急上昇が続くといった流れが計算上は見えているのだ。いわゆるself-exciting type(自己励起型)と呼ばれる展開であり、このことを前提にポジショニングを考える必要がある。

弊研究所ではここに来て一般社団法人人工知能学会の中でも「金融とAI」を専門に研究されているアカデミア及び実務の皆様との親交を深めつつある。そうした中で常に話題になるのが、「時系列分析を金融とAIにおいて顧慮すべきではないのか」という論点である。現状見る限り、この分野は統計学上の限界が明らかになっているとされ、むしろ企業や政府、そして中央銀行が開示する公開文書のテキストを自然言語処理し、AIのアルゴリズムをもってそこ抽出される特徴量から、何らかのマーケット予測が出来ないかという方向に多くの研究者たちが流れている印象を強く受ける。確かにこれはこれで重要であり、弊研究所としてもこの分野の第一人者である国内研究者のチームと共同研究を早々に開始し、会員の皆様に対して広くご提供できる体制を整えるべく動いている最中である。

だが、時系列分析による金融マーケット分析が全くもって無意味ではないということもここで強調しておきたいのである。事実、今回のPrometheus I/IIの計算値には「事実が追随」した。問題は時系列分析そのものにあるのではなく、それをどう読み取るのか、すなわちそれを「拡張現実」として用いる分析者の側の知識と経験にあるのである。事実、上述の「AIを用いた自然言語処理と金融」の分野における第一線の研究者の方と懇談させて頂くと、当方にとっては当然である地政学リスクの仕組みや、それ以外の分析のための思考の枠組み、さらにはそれらを背後で支える膨大な公開情報や非公開情報といったものにこれらの研究者の方々がアクセス出来ていないことに気づく。そうであるからこそ、時系列分析であっても、現実とずれてしまうということだけをもって、ある種のバグであり、AIだけでは解決できないと放棄されているのが研究の最前線における実態なのだ。よってこの部分を今後は弊研究所としてもこれらアカデミアのチームに対する知的支援という形で貢献させて頂ければと考えている。結果として、このコラムの読者である皆様にとっても「金融リテラシー」を現下のマーケットにおける荒波を乗り越えるための有効なツールを創り出せるのではないかと考えている次第だ

そしてもう1つ。「アートと科学」の時代から離脱せよ、ということである。「??」と想われるかもしれないが、実はかなり重要なことだと愚考している。

現代社会を貫くもの。それが「科学(science)」であるということは読者もご存じのとおりである。そしてまた重要なのが、この「科学(science)」が観察者が見たからそうなるのだ、そして全ての観察者から見て再現性があるのだ、と言う一点で担保されていることによって、大きな壁にぶち当たっているという現実なのである。一見すると「当たり前のことではないか」と想われるかもしれないが、実は大きな問題がここには潜んでいる。

例えば今回の金融マーケットにおける「瓦落」という現実も、あくまでも観察されるべ客体なのであって、観察を行う主体としての己は別のところに存在しているということを、私たちは暗黙裡に前提としている。だからこそ、客体としての「自然(じねん)」に含まれる金融マーケットでの現象に対して、それとはかけ離れたところにある主体としての「私」は永遠に非包含なのであって、後者は前者に翻弄し続けるのである。今、全ての出来事がその様にして「科学的(scientific)」に取り扱われ、結果として不可知論へと私たち人類は陥ってしまっている。

さらにこうした傾向を助長しているのが「アートと科学(arts and science)」なる分野の台頭なのである。問題はここでいう「アート」なるものが、本来の古典的な意味でのそれではなく、18世紀のプロイセンで活躍した美学者、アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン(Alexander Gottlieb Baumgarten)以来の歪曲された「美」概念、そして「アート」に固執したものであるという点にある。これに続くヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)が助長して全世界に普及することになるこのトレンドは一言でいって、「美は元来、そのものとして存在し、それを大勢の者の力で表出させるのがアート」という中世までの考えを一蹴し、「美は芸術家個人が思いつきで描き、創り出すアート作品においてだけ示されるもの」という現代風のアート概念へと転換させたところに特徴がある。懸命なる読者の皆様は既にお気づきであろうが、正にこの「全体性」から「個別性」への視座の転換こそ、科学において最終的に量子力学が打ち立てた原理原則と全くもって同じなのである。その結果、「アートとは既にある全体性=カミが様々な形で表現したもう輝かしい構造の表現」ではなく、「アートとは風変りな発想をすることをもって生業とする芸術家と呼ばれる者たちのきまぐれによって出来上がるもの」となってしまった。しかもこうした「アート」を生業とする者たちが今や、どういうわけか「科学者(scientist)」として最も資質があるとまで言われ始めたのである。本来は「全体性」を解き明かすことに本当の意味があった科学が、今や「自分が主体だと信じてやまない自称”科学者”による思いつきの作業」に堕してしまったのはこうした18世紀以来の流れに原因を求めるべきなのである。かなり根深い、そうかなり「根深い」のである(一番厄介なのがこうした者たちが依然としてアカデミアの中でそれなりの地位を占めてしまっている点にある)。

近世以来、人類社会が陥ってしまったこうしたトレンドの中で救いの道のりを見つけるとすれば、あくまでも禁欲的であり、特殊から全体への回帰を解き続け、最後にはコンゴ上空で命を奪われたダグ・ハマーショルド国連事務総長(当時)が遺した次の様な言葉を知るべきだと筆者は考えている。

イエスの≪無頓着≫ぶり―――彼は集税人や罪びとと並んで食卓につかれ、売春婦とつきあったりされた。これは、あるいは票集めのためだったのであろうか。おそらくは、かような≪宥和策≫によって彼らを改宗させることができるとお思いになったのであろうか。それとも、彼の人間性が十分に深くもあり、また豊かでもあったために、未来の建設の基礎となるべき、あの万人の共通の、破壊することのできないなにものかを、こういう人たちの奥底にんも掘りあてることがおできになったからではあるまいか。(ダグ・ハマーショルド/鵜飼信成訳『道しるべ』(みすず書房)より抜粋)

己こそが優れているから真実、そしてその窮極にある美を突き止められるわけではないのだ。そうではなくて至高経験(peak experience)を知る者は日常的な「全体性」にこそ、全てが宿っていることを知っている。実は20世紀初頭から我が国においても知られてきた新しいミッション(Basel Mission)の本質はそこにこそあるのであって、このことに触れ、驚嘆し、かつえも言えぬ喜びを知る以上、そこにある不変の「全体性」のためにだけ生きる己を自覚することで「未来」は着実に前からやって来ることになるのである。その結果、「我良し」の精神は自ずから心の中で氷解し、主体と客体の間にそびえたっていたはずの永遠の壁も打ち崩されていく。そしてふと気づくと、「今起きていることの全て」が意味のあることであることを知り始めている自分を自覚し、さらにその方向へと前に進む度に、確信へと続く道のりが開けて行くことに気づくというわけなのだ。

時代はその意味での私たちにおける「解き(ほどき)」を求めている。とめどなく既存の秩序があらゆる分野で崩れて行っているのはそのためである。しかし「このこと」は余りにも重要であるが故に徹底して現在の「解き(ほどき)」は進むのである。現下の「マーケットにおける瓦落」もそのためである。このことを知らずして救われる者はいない。いや、このことに私たち全員が気づくまで、マーケットどころではなく、天変地異から始まり、多くの未曾有の出来事がこれから(目測では3年にわたり)続いていくのである。

かつて賢者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)はこう語った。

Sapere aude! Habe Mut, dich deines eigenen Verstandes zu bedienen! (Immanuel Kant, “Was ist die Aufklärung?”)

ここでいう悟性は私たち自身がこれまで身に着けてきた、外界を理解するためのカテゴリーだえり、オブジェクト(object)である。これを、後世の者たちは誤解し、「要するに自分がどう思ったのかが一番なのだ」と誤解した。これが現在の自由主義、合理主義、そして資本主義がもたらしている惨劇の元凶であることに気づかなければならない。しかしイマヌエル・カントは実はこうも言っているのである。

Zwei Dinge erfüllen das Gemüt mit immer neuer und zunehmender Bewunderung und Ehrfurcht, je öfter und anhaltender sich das Nachdenken damit beschäftigt: der bestirnte Himmel über mir und das moralische Gesetz in mir. (Immanuel Kant, “Kritik der prakitischen Vernunft”)

夜、大空に現れる星座たちを眺め、それに圧倒される中においてこそ、不変・普遍なるものに満ち溢れた己の心を見出すのである。そしてその気持ちをもって己の日常に立ち戻り、歩み出す時、次なる人類が少しずつ始まっていく。実に迂遠な様に見えるが、現在の「解き」を止め、さらにはそこで生き残っていくためにはこのある意味「単純極まりない事実」を認めるしかないのである。それこそが、「ひも理論」でいうところの12本の揺れる「ひも」の向こう側において新しい13本目が奏で始めるために必須のことだということを、今こそ私たち全員が悟らなければならぬ。そう、筆者は強く想っている。とりわけ来る秋からは国連(大学)との関係性構築に加え、国連科学教育文化機関(UNESCO)と弊研究所の共同プロジェクトに関する協議が始まることになっている。そこではあくまでも「このこと」をベースにしながら前進していきたいと想う。

2024年8月3日 東京・丸の内にて

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 代表取締役CEO

原田 武夫記す

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今回のコラム、いかがでしたでしょうか?

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