我が国の歪んだ「南洋史観」 ~進む令和の「脱亜入欧」とその陥穽とは~(IISIA研究員レポート Vol.107)
先月(2月)、フィリピン勢の当局は狛江市を始めとする「広域強盗事件」の実行犯とされる容疑者を我が国へと強制送還した。同事件を巡っては、本邦メディアによる報道をみていても、未だにフィリピン勢の後進性を前提にしているとの感が否めなかったと感じたのは筆者のみではなかろう。
(図表:「獄中資本主義」とも形容されるフィリピン勢の刑務所)
(出典:New York Times)
そもそも拘束中なのに、なぜ犯罪指示を出来たのか、という素朴な疑問から始まり、収容施設内でも携帯電話やパソコンを使えたり、出前を頼めたりするという実情が次々と報じられる中で(参考)、我が国でもその「獄中資本主義」とも形容しうる実態が驚きをもって“喧伝”されていた。
確かに、収容者が一方では自由な待遇を享受しているものの、他方では過酷な状況下に置かれているという構造は未だに残存しており、是正されなければならないものであろう。しかし、神戸市外国語大学の木場紗綾准教授が「東京新聞」のインタヴューで指摘しているように、「東南アジアの多くは対等な法治国家」であり(参考)、そうしたことはフィリピン勢においてもまた然り、ということを忘れてはなるまい。
(図表:今次強制送還に関して記者会見を行うフィリピン勢のレムリア法務大臣)
(出典:JAPAN Forward)
同インタヴューでは、現地の知日派ジャーナリストによる反応として次のような声も紹介されている(参考):
- 日本での過熱報道に驚いている。フィリピン勢の悪い部分ばかりが取り上げられており、歪んだ国というストーリーが作られている
- 確かに汚職の問題はあるが、各省庁は改革を進めており、そうした面も報じて欲しい
- 日本人は長くトップ・ドナー(最大の援助国)であった記憶から、未だにフィリピン勢を格下に見ているのではないか
実は、こうした東南アジア勢に対する歪んだ認識は何も今に始まったことではない。戦前、そして戦後長らく我が国は、東南アジア勢(南洋)の変化ないし発展に鈍感であったと言えるのではないか。
我が国の国家安全保障に関する基本方針である「国家安全保障戦略」でも、2022年版では、2013年版と比較して、「アジア勢の軽視」「米欧勢への傾斜」を指摘しうる。まさに令和の「脱亜入欧」である。例えば、下図のとおり、機械学習によるテキスト・マイニングの結果を見ても、2022年では「ASEAN」の文字が消えていることがわかる。
(図表:2013年(安倍政権)の「国家安全保障戦略」内におけるキーワード)
(図表:2022年(岸田政権)の「国家安全保障戦略」内におけるキーワード)
(出典(共に):筆者作成)
我が国の東南アジア研究の第1人者である矢野暢博士は、「南方関与」「南進論」は「傍系思想」であり、正統なイデオロギーになり得なかったと指摘している。戦前より、曖昧かつ非連続的な扱いゆえに、東南アジア勢(南洋)に対する「誤解」も少なくないということだ。
そうした中で、明治期に打ち出された「南進論」のエートスを、大正期、昭和期にまで伝達し、我が国の南方への関心を高め、相互の関係を促進する役割を果たしたのが「南洋協会」である。
(図表:「南洋協会」が発行していた『南洋協会雑誌』)
(出典:日本の古本屋)
同協会は、スポンサーとして台湾総督府、外務省、農商務省などが背後に存在した準「公的」機関であったが、それらスポンサーの利害が交錯し、全体像が把握しにくいというのが実態であるが、同協会より発行された『南洋協会雑誌』を振り返ると、我が国における「南進論」の系譜、現在に至るまでの南洋史観(東南アジア勢に対する認識)を掴むことができる。その系譜を概観すると次の通りである(参考):
- 明治期:国内では満たされない飛躍的で自由な経済的上昇を海外に夢見た「ロマンチシズム」に基づいた南洋史観
- 大正期:実利的な欲求(資源開発)が高まり、現在に至るまでの南洋史観の原型が形成された
- 戦前:「南進」が「国策」に昇格した
- 戦後:「謝罪対象」から「援助対象」、そして名目上は「対等なパートナー」へ
本来であれば、「対等なパートナー」との認識に立つべきところを、未だに「援助対象」とみなしており、「上から目線」で、現実と乖離した世界観の下で、東南アジア勢と接しているのではないか、という疑念が浮かび上がる。
我が国が「国家安保戦略」で傾斜を強めている米欧勢はむしろ「南洋関与」を強めている。バイデン米政権は、「国家安全保障戦略(NSS)」(2022年10月)で、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP: Free and Open Indo-Pacific)」達成のために東南アジア勢との「深い結びつきの構築を追求する」と掲げている(参考)。
(図表:バイデン政権により発表された「インド太平洋戦略」の表紙)
(出典:WHITE HOUSE)
実際に、米欧勢は以下のような動きを近年みせている:
- バイデン米大統領は昨年(2022年)11月12日、東南アジア諸国連合(ASEAN)勢との首脳会議の冒頭演説で、双方の関係を「包括的戦略パートナーシップ」に格上げすることを表明(参考)
- フィリピン勢を訪問したオースティン米国防長官は本年(2023年)2月2日にガルベス国防相と会談し、フィリピン国内で米軍が使用できる軍事拠点の新たに4カ所設定し、9カ所とすることで合意した(参考)
- 昨年(2022年)12月には、史上初のEU-ASEANサミットを開催(参考)
- 一昨年(2021年)には、英国勢が空母「クイーン・エリザベス」率いる打撃群をインド太平洋地域に展開(参考)
アヘン戦争の時代、すなわち1840年代には、世界の富の80パーセントはアジア勢に集結していたものの、第二次世界大戦を経て1945年にはこれが30パーセントにまで低下した中で、現在、TPPやRCEPといった地域統合の流れ、更には英国勢と、その背後において実質的な存在であるロンドン・シティ(City of London)の意向も踏まえると、再びアジア勢に向けた「富の東漸」が加速しているのは言うまでもない。
令和の「脱亜入欧」を我が国が進める中、当の「欧」は「亜」へとシフトしているということを踏まえつつ、現実と乖離した「南洋史観」を早急に改めなければ、我が国はそうした「富の東漸」の着地点としての地位を失いかねないのではないか。
グローバル・インテリジェンス・グループ リサーチャー
原田 大靖 記す
*本コラム内にある見解は、弊研究所の一致した見解ではなく、執筆者個人の見解を示すものである。
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