スタートアップと解雇規制緩和。(原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 11)
今月(2024年9月)に実施される自民党総裁選に向けて「主力」と見なされてきた候補議員たちの「政策提案」が出そろい始めた。そしてその中でひと際目立った提案をしている候補者2名がいる。小泉進次郎候補と河野太郎候補、テーマは「解雇規制緩和」である。筆者はこの主張を見て、正直、唸ってしまったことをまずは吐露しておきたい。必ずしもこれら2候補の主張の全部に筆者自身は肯ずるものではないが、この1点については「なるほど」と言わざるを得ないからである。
「解雇規制緩和」について我が国では過去に1度、議論が盛り上がりを見せたことがある。2015年頃のことだ。我が国における労働関連法制、特に「解雇規制」関連法制については、ビジネスパーソンとして淡々と日々勤められている方、あるいはそもそも就労されていない方は余りご存じない方も多いかもしれない。しかし「勤める側」ではなく、「雇用する側」に一度転じるならば、そうはいかないのであって、経営者の方であればそれがいかに時代遅れのものであるのか、さらには現実に即していないものであるのかについては、日々の経験からいやという程思い知られているのではないかと拝察する。
雇用、すなわち「雇い」「雇われる」という関係に立つ時、雇用者と被用者(就労者)は契約を結ぶ。契約ということは民事法の世界なのであって、元来は平等の立場であるはずだ。しかし、実際には「雇う側」が強く、「雇われる側」は弱い、と従来、観念されてきた。19世紀後半から世界的に見ても徐々にこの意味での「労働契約の特殊性」が認識され始め、中長期的に見ると被用者を保護してやった方が、彼・彼女らが賃金をもらい、「消費者」として購買活動をしてくれることによる「雇用者」側の利益も多い認識委の下、パターナリスティックな労働法制への転換が世界中で成し遂げられてきたのである。そして我が国ではGHQによる指導の下、現在まで続く労働法制の基礎がつくられ、さらには激しい労使紛争をバックグランドにしつつ、1950年代から1960年代に頂点を迎えた「三井三池争議」を典型とする形で判例が形成され、その上にたってさらに労働者寄りの法制が事実上形成されてきた。
その典型が世界的にも有名な「解雇規制」だ。経営者である読者の皆さまであれば必ずご存じのとおり、雇用者は被用者に対し、即日解雇の場合には1か月分の俸給を支払い、あるいは解雇予告であれば1か月前までに告知をすることによって、労働契約の解消、すなわち「解雇」を出来ると労働基準法上では定められている。事実、その様に大学の法学部では学ぶであろうし、書籍などでも書いてある。
だが、実際にはそれでは「適法な」解雇とされないのが我が国における実情なのだ。まず、「解雇権の濫用」法理がある。いくつかの条件を満たさない限り、解雇は客観的に上記の2つのプロセスを経ても無効とされ、それを司法がチェックする仕組みが判例上、形成されている。まずこれがそもそも論として今となっては再検討すべき点なのであるが、誰も声を挙げられないのが実情となっている。
そしてまたこれに付随して、雇用者側が被用者側に対して労使関係につき様々な形でやっかいな状況になった場合、被用者側の行動を細かく監視し、場合によってはそれについて不法行為(民法)を認定し、損害賠償を求める仕組みが確立してしまっている。細かな条文や法理はともかく、裁判所に提訴が為される前の労働審判のプロセスでは、まずもってこの手のややこしい状況になった場合、雇用者側が当該被用者に支払ってきた月額俸給の4か月分以上を支払くことで「解決」とされるのが事実上の慣例となっている。
以上の様な一連の労働関連法制は、繰り返しになるが我が国の戦後経済復興の「歪」とでもいうべき激しい労使紛争のプロセスの中で形成されたものであり、歴史的に見て意味が無かったと筆者も言うものではない。しかしまずもって言えるのが、こうした労働関連法制が出来上がった結果、我が国の国民経済そのものが右肩上がりであり、そこでの分配・再分配が余裕をもって行われていた限りにおいては、これによる社会的な安定が形成され、維持され得たわけであるが、そうした黄金時代(golden age)が終わり、国民経済全体が傾き続け、ついには分配・再分配すらままならないとなると雇用者の側に多大な負担となり、結果として国民経済、さらには我が国社会そのものの存続すら危機にさらす元凶にそれがなってしまっているとなると、大問題なのである。
今回の自民党総裁選で2人の有力候補がいずれもこの点をとらまえ、「解雇規制緩和」の実現を掲げたのはこうした事態の深刻さを認識する経済界からの強い要請によるものと筆者は考えている。実際、我が国において、ある意味いびつな形で形成されてきた上記の様な解雇を巡る関連法制の結果、「解雇」を巡る事情はかえって不透明さを増してしまっている。労働審判の現場に出て、雇用者の側が何を主張しても、結果として雇用者は4か月分以上の俸給相当額を「解決金」として支払わないと問題解決に至ることはない。また、さらに民事訴訟に至っても同様に事実上の「相場観」が和解金については形成されてきており、特に特定の事項について不法行為認定がされてしまうと、それに纏わる裁判所での「相場観」に従った金額以下での解決を「雇用者」側は実現することが不可能となり、逆に「被用者」側はほぼ間違いなくそれ相応の解決金を手にすることが出来るという流れが出来上がってしまっている。そのため、ひどい場合において、雇用者側は正当な人事権の行使と考え、人事上の措置を講じても、「当該措置は退職勧奨であり、それに基づき精神的なインパクトを被った、したがって不法行為であり、損害賠償請求をする」と被用者側は実に容易に訴え出ることが出来、本来は労働法が想定していなかったものの、戦後形成されてきた「被用者は基本的にか弱く、善である」という法理に基づく救済の果実を得ることが出来ているというわけなのだ。
無論、実際に不法行為が為された場合もあるであろうし、故意による雇用者側による行為、権利侵害ということもあり得るであろう。筆者はこの点について決して否定するものではない。また今回「解雇規制緩和」を政策目標に掲げた2人の自民党総裁候補が念頭に置いているのは、「大企業」における解雇規制緩和であるようであり、その様な緩和のスコープ設定そのものが的外れであるというのが卑見でもある。なぜならば大企業とその被用者(労働者)という場合、「三井三池争議」の時にも語られた「圧倒的な力を持つ大企業=雇用者」に対して、「か弱い被用者=労働者」という構図は今でも続いていると考えるべきなのであって、その意味においては現在までに形成されてきた被用者有利の労働関連法制はその全部を維持すべきではなくとも、多くの部分についてはむしろ原則維持すべきという議論も成り立ち得るからだ。
しかし、である。我が国政府が音頭を取り、経済復興の要として「10兆円プラン」まで掲げられているスタートアップ企業となると話は全く違うのだ。
スタートアップ企業は我が国の法令で言うならば従業員数からいって「零細企業」として始まる。そして往々の場合、技術力や発想力、そして決断力において優れたファウンダーが凄まじいエネルギーで立ち上げるのが常である。そしていくつかのアイデアの中でほぼ間違いなく1つだけが実りを見せ、事業化されていく。そしてその企画・設計・製造・マーケティング・セールス、さらにはバックオフィスといった形で次々に都度のレヴェル感に合わせて、必死の想いでファウンダーは被用者を集め、企業成長を確保していく。それでも「死の崖」を超えられず、多くのスタートアップ企業は廃業に追い込まれる。他方で生き残ることにかろうじて成功したスターアップ企業であっても、一つの事業軸では何とも心もとない状況であることに、我が国の現状ではだいたい年商7億円くらいに到達した段階で気づき始めることになる。あるいはその唯一の事業軸についても、売り物と売り方について刷新が必要となり、「死の崖」以上の大きなハードルを越えるべく、方向転換を余儀なくされていく。
つまりその結果、急成長を遂げるスタートアップ企業の現場であればあるほど、ものすごいスピードで大きな方向転換が必要になってくるわけであり、それについてくる様、これまでの被用者たちは全員求められるのである。ひどい場合には「男を女、女を男」にするぐらい、仕事のやり方・内容のいずれもが変わらざるを得ない。
ファウンダーは大切な被用者たちに対して当然、リスキリングの機会を与える。なけなしの福利厚生費の中から研修費を捻出し、メンバーたちに学ぶ機会を提供するのである。だが、「これまでのやり方で何故ダメなのか?」と最後まで首を縦に振らないメンバーがいる。学んだことを決して役立てようとはしない。だから当然、そこからの企業成長に乗り切れないことになる。
またこうした事情に加えてもっと厄介なのが、年商7億円を超え始めると本当の意味でミドルマネジャーが必要になるという事実だ。これらは多くのアントレプレナーを巡る人事の教科書に書いてあるのだが、そこに書かれている字面以上に実に大問題であることを起業者以外に知らないのが我が国経済における現実なのではないだろうか。それまでの企業の規模感では、ソロプレイヤーで仕事をファウンダーの言うとおりにやってくれるのであれば満点だったのである。しかし年商10億円以上(=我が国における事実上のIPO規準)をも超えるとなると、「仕事を自らやる」だけではなく「仕事をやらせ、管理し、ゴールまで必ず到達させる」仕事、すなわちマネジメントが必須となる。しかも従業員数は50名以上には裕になっているわけであるから、これら50名全員をファウンダー自身がケアするなど、全くもって不可能なのだ。よって、必要なのはマネジャーということになるわけだが、既存のソロプレイヤー(しかも優秀な)に対してこの任を与えることが出来ないので大問題が発生する。なぜならば、ソロプレイヤーは意思疎通をファウンダーとしかとらない場合が多く、しかもそれ以上をなぜしなければならないのか、とりわけslackやteamsといったデジタル・マネジメント・ツールでファウンダーとだけ連絡をとっていればよかったのが、何故にリアルなミーティングなのか、リーダーシップなのか、全くもって理解出来ないのがこの手のソロプレイヤーなのである。よって、「研修」の実施によりその意味でのリーダーシップを是非学んでもらいたいということになるわけなのであるが、ここに至り、かのソロプレイヤー氏は宣言するのである。
「最初と話しが違う。そもそもやり方がおかしい。私は絶対に正しい。学んで自ら変わる必要など全くない。」
360度評価が行われて、ファウンダーが正当な人事権の行使、あるいはパターナリスティックに研修の機会を与えたことについて、下僚たちがまたぞろ支持したとしても、当人は全くもって理解出来ないのである。つまり、スタートアップ企業の成長にとって絶対に必要な「成長に伴いメンバー全員のpivot」をしようとしないのであって、結果、余りにも安易な形で我が国労働法制に対する依拠が行われるのである。結果、ただでさえ猫の手も借りたいくらい忙しいはずのスタートアップ企業のファウンダーとその仲間たちはその繁忙さを増すことになり、実に「超人的な日々」を過ごすことになる・・・。
実に嘆かわしい事態であるが、これが我が国スタートアップ業界を抑え込んでいる本当の重大課題なのである。しかし誰もこの点について語らないのであり、不思議としか言いようがない。IPOを前提としている場合、このくらいの企業成長レヴェル、すなわちPre-IPOフェーズくらいになると当然のとこながら、ストックオプションによる利益分配の「幻想」と言う麻薬が社内にばらまかれているであろうし、監査法人やVCから派遣された取締役たちが目を光らされているであろうから、事態はもう少しましかもしれない。だが、IPOを目標とせず、第一義的には社会的価値創造をベースに起業したスタートアップ企業となると訳が違うのである。ファウンダーはほんのわずかの経営リーダーの仲間たちと共に、正に素手でこうした状況に立ち向かわなければならない。しかしこのことをアントレプレナーシップ教育の現場で誰かが語っている姿を筆者は見たこともないし、これまで論点として公論で語られることも稀であったのである。
側聞するに、解雇規制緩和の一環として「金銭による解決」を表立って語っていないのは我が国と韓国だけなのだという。大企業だけではなく、明日の我が国を担うスタートアップ企業においてこそ、こうした緩和の果実が絶対に必要だ。要するに企業成長にあたりどうしてもpivotが必要であるがそれが嫌というのであるならば、感情的にならず、また1年、2年もかけて争訟に出るのではなく、金銭的解決を明文で謳い、淡々と処理するという仕組みにすれば良いのだ。当然、それは右肩上がりの時代の金額ではなく、右肩下がりの時代に応じたもの、企業規模に応じた金額である必要がある。かつ、リスキリングや、解雇権濫用の法理の徹底についても雇用者側に明文で徹底させれば良い。
しかしながら被用者側も「いやだからいやだ」では通じないことを理解しなければならない。なぜならば生成AIによって仕事が奪われるのは、オフィスワークの大半である一方、職がむしろ失われず、米国などでは昇給すらされているのは現場レヴェルの仕事、しかもコールセンターなどの対人コミュニケーションの仕事であるという「仕事上の新しい現実」が生じているからだ。そしてその意味で、事務職を大量生産するのが特に文系教育では目的とされてきた「大学卒プレミアム」は生成AIの登場でこの意味においてものの見事に消え去りつつあるのであって、単に「自分は大学を出たから当然然るべき待遇を永遠に受け続ける」などということはないのである。
終身雇用は右肩上がりであった時代の我が国に顕著な制度であり、「解雇されないからこそ人事権は会社に預ける」というのがそこでは慣例とされてきた。しかし、「会社の人事権には応じない、何となれば戦後の労働関連法制の果実を受け取るべく、解雇規制を徹底的に利用する」と被用者側が考えるのであれば、もはや「終身雇用→人事権は会社に棚上げ」という流れではない以上、「解雇規制緩和」を漸次的にでも被用者側が受け入れない限り、もはや我が国の社会・経済システムそのものが成り立たないことは誰の目にも明らかなのである。しかもそうした現状を乗り越えようと日々奮闘するスタートアップ企業のファウンダーや起業者たちを、こうした我が国固有の労働関連法制の光と陰の「陰」が覆い続けているのである。これでは早晩、「雇用者」」「被用者」の別を問わず総崩れになるのは目に見えている。
今回の自民党総裁選が、この問題、すなわち「スタートアップ企業における解雇規制緩和」にまで踏み込んだ議論を提起し、その後の状況改善のための起爆剤を与えることになることを心から祈念したい。なぜならば、そうすることによってのみ、我が国は最後の「希望の光(Lux spei)」を見出すことが出来るからだ。
2024年9月7日 博多にて
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役/グローバルAIストラテジスト
原田 武夫記す
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今回のコラム、いかがでしたでしょうか?
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