「欧州ワイン戦争」の最前線 ~気候変動により恩恵を受ける北欧勢とその行方~ (IISIA研究員レポート Vol.104)
英気象庁(UKMO)は、今年(2023年)、世界の気温は、産業革命以前の平均より1.08度から1.32度高くなり、記録的な暑さの年になるとの予測を発表した(参考)。気温上昇は干ばつや砂漠化、熱中症など人類や自然に壊滅的な影響を及ぼすとされている。
かつてのブルゴーニュの気候が現在のラインヘッセンやファルツにまで北上しているとも言われる中で、気候変動による影響は、ワイン生産にもその余波が及んでいる。かつては寒冷でワイン生産地としては無名であったスウェーデン勢を始めとする北欧勢が浮上しつつある一方で、「ワイン帝国」であるフランス勢では、赤ワイン消費量が過去10年間で最低となるなど、その低迷が“喧伝”されている、というのだ。欧州勢における「ワイン戦争」の最前線とその向こう側にはいかなる「秩序転換」が控えているのであろうか。
今、欧州勢においては、温暖化を受けて、ワイン生産地図が塗り替えられているという。例えば、スウェーデン勢ではドイツ南西部フライブルク(アルザス地方)でつくられた品種「ソラリス」から白ワインを、「ロンド」から赤ワインをそれぞれつくっている。
スウェーデン勢のブドウ畑は過去2年間で50パーセント拡大しており、今後5年以内に2倍以上となり、長期的には、10,000ヘクタールに成長することで、10億ユーロ規模の新しい産業になると予測されている(参考)。
(図表:ブドウ品種「ソラリス」(ラテン語で「太陽」の意))
(出典:まつやま国際交流センター)
ワインを生産するためには、年平均気温10~20度が最適だといわれている中で、スウェーデン勢の年平均気温は6度であり、かつてはワイン生産地としては無名で「ワイン不毛の地」とされていた。しかし、スウェーデン勢の気象研究所によると、去る1991年から2019年の間に、スウェーデン勢北部と東部の一部地域で平均気温が2℃近く上昇しているという(参考)。
20年ほど前には、スウェーデン勢の商用ワイナリーは1か所しかなかったが、現在では40以上のワイナリーが経営されている(参考)。とくに、寒冷な気候で生産される白ワインやスパークリングワインは品質が高いとされている中で、スウェーデン勢のワイナリーで生産されるスパークリングワインは「シャンパーニュに味が似ている」ともされ、国際的な賞を受賞するレヴェルにあるという。
さらに、ノルウェー勢やフィンランド勢などの北欧勢では、総じてワイン畑が拡充されている。スカンディナヴィア勢のワインをオンラインで販売する「Nordic Vineyards」社によると、その製品のほとんどは地域内で購入されているものの、近年は欧州勢やアジア勢、特に我が国からのリクエストがますます増加しているという。
また、かつてワイン生産が低迷していた英国産ワインの売上も過去2年間で70パーセント近く増加している。ロイヤルファミリーも愛飲するとされ、英国勢で最高峰のスパークリングワインとされる「ナイティンバー」は昨年(2022年)、英国勢における過去最高のブドウ収穫量を見込み、過去最高の売上を達成した(参考)。特に、英国勢の南部は、「40年前のシャンパーニュの気候とほぼ同じ」と言われるほどワイン造りに適した環境となっているという(参考)。
(図表:毎晩就寝前にシャンパンを愛飲していたエリザベス英女王)
(出典:HelloGiggles)
また、オーストリア勢でも、かつてはその冷涼な気候ゆえに白ワインが主流であったものの、近年では、ツヴァイゲルトやブラウフレンキッシュといった赤ワインの生産量も増え、人気が高まっているという(参考)。我が国においても、オーストリア・ワインの輸入は昨年比1.5倍で過去最高額を記録している。
他方で、これまで「ワイン大国」の地位を築いてきたフランス勢においては、その伝統に陰りが見え始めているとも言えるのではないか。特に、フランス勢は世界のどの国よりも気候変動によって引き起こされた最大の経済的損失を被っているともされている。その上、赤ワインの消費量が激減しているというのだ(参考)。
フランス勢におけるワイン生産を巡っては、昨年(2022年)行われた大統領選の決選投票の動向も懸念事項といえる。すなわち、ラフィット、ラトゥール、ムートン・ロートシルト、マルゴー、パルメといった有名シャトーが並ぶ「シャトー街道」を始めとした「フランス・ワインの産地」を筆頭にマクロン大統領に対する地域的な不満の高まりがみられた一方で、「極右」国民連合のルペン候補への支持が高かったのだ(参考)。
フランス勢の文化的象徴である「ワインの産地」であるボルドー地方等では経済の低迷に伴う失業率の高まりからマクロン現政権に対する不満が高まっている中で、「ワイン・ルート」がルペン候補の「成功への道」となりつつあったのだ。
『アメリカの民主政治(De la démocratie en Amérique)』を著したことで有名な19世紀フランス勢の政治思想家トクヴィルは、次のような「救貧論」を展開している(参考):
- 労働者は、その知性を些細事のみの研究にますます向ける一方、雇用主はその眼を一層大きな全体に注ぐ。そして雇用主の精神は、労働者の精神が狭小化するにしたがって、拡大する。そのうちには、労働者は知性のない肉体力のみが必要になるであろう
- 労働者は「習俗や法律よりも強力な産業の法則」によってこの隷属状態からのがれることはできない
トクヴィルはこのような隷属関係を貴族性のアナロジーに依拠して、「産業貴族(aristocratie manufacturiére)」の支配として把握したが、フランス勢においてはこの「産業貴族」のファミリーにより既存の「政体」勢力がリードされてきたと言えるところ、今次大統領選の結果は、そうしたこれまでの既存の構造が、むしろ崩壊へと向かっている可能性を示唆するものであった。
(図表:失業率(左)と2022年の仏大統領選における投票結果(右))
(出典:LA CROIX、Wikipedia)
このように、ワイン生産を巡って、気候変動による恩恵を受けている地域と弊害を受けている地域とのコントラストが鮮明になる中で、ワインの品質を保証する「AOC(原産地統制呼称)規定」の変更を巡る“角逐”もみられている。去る2019年には、AOCボルドーの認可ブドウに新たに7つの品種が加わったことが話題となっている(参考)。伝統と土地の約束を大切にするフランスでこのようなダイナミックなAOC規定の変更が行われたことは衝撃的だとされているが、
ちなみに、欧州勢(EU)における「AOP基準」において、北欧勢で認められているブドウ農家はデンマーク勢の「Dons」のみである。今後、ワイナリーの北上とともに、こうしたワインを巡る「基準認証ビジネス」の“角逐”がさらに過熱することが容易に想定される。
さらに、より俯瞰的な視点に立って、かつて「小氷河期」の時代には地中海が寒冷化し、むしろ北海、バルト海に面した北欧勢に「富の集積」が移転していたことを踏まえると、こうした「地殻変動」が現在、フラクタルに生じつつあるともいえる。そうすると今後、北欧勢優位の新しい秩序が形成されることとなるのか否か、「欧州ワイン戦争」に端を発する秩序転換に要注意である。
グローバル・インテリジェンス・グループ リサーチャー
原田 大靖 記す
*本コラム内にある見解は、弊研究所の一致した見解ではなく、執筆者個人の見解を示すものである。
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