「シアノバクテリア」が切り開く未来 ~伝統的「ピロール」から科学的「エルガー」へ~ (IISIA研究員レポート Vol.108)
先月(3月)30日、「コオロギ食」を巡る騒動がいよいよ国会でも本格的に取り上げられ始めた。欧州食品安全機関(EFSA)が公表した「ヨーロッパ・イエコオロギ」のリスク評価を示しながら、我が国における独自のリスク評価と安全表示の義務付けが求められた由である。
昨年(2022年)、徳島県の学校でコオロギパウダーを使った給食を出したことが報じられて以来、「コオロギ食」を巡って我が国ではSNS上を中心に話題となっていた。「コオロギの安全性や衛生面は大丈夫か」「なぜ給食でなければいけなかったのか」「アレルギー対策も十分ではなかったのでは」「急にコオロギを推しすぎていて、何らかの思惑や利権を感じる」などの批判も噴出した一方で、「食糧問題を考える契機に」というポジティブなニュアンスの報道もみられた(参考)。
昆虫食を巡っては、国連食糧農業機関(FAO)も“Insects for food and feed”を掲げ、新たな食料や家畜用飼料としての可能性を提唱している中で、特に、「新たな食料の可能性」として、昆虫食をはじめとした「新たなたんぱく源」に注目している(参考)。こうした中で、来る2025年には、世界の昆虫食市場は約1000億円となる見込みとされており、マーケットでは、「昆虫食関連銘柄」なるテーマも作られている(参考)。
(図表:「昆虫食関連銘柄」に関する株価チャート)
(出典:アセットアライブ株式情報)
最近でも、昆虫由来の動物飼料を開発するシンガポールのインセクト・フードテック・カンパニーへの出資を発表した我が国企業の株価が急騰するなど、依然としてこのセクターは注目されている(参考)。
では来る2050年には世界人口が90億人を超え、食糧危機が深刻化するとされている中、「食糧危機」関連で今後注目すべきセクターとして他にどういったものが考えられるか。
本稿では、食糧増産と持続可能な農業のために研究が進んでいる「シアノバクテリア(藍藻)」に注目したい。そもそも「シアノバクテリア」とは何なのか。生物は大きく3つのドメインに分ける「3ドメイン説」という生物学的な概念がある。
(図表:3ドメイン説)
(出典:WIKIBOOKS)
「3ドメイン説」によると、生物は細菌(バクテリア)、古細菌(アーキア)、真核生物という3つのドメインに分類される中で、「シアノバクテリア」は細菌ドメインに分類される原核生物である。シアノバクテリアは地球上で最初に光合成を行った生物の一つであり、約25億年前の大気中に酸素を供給したとされている。光合成の他にもシアノバクテリアには、植物色素、窒素固定などの機能を有しており、様々な分野への応用が期待されている。考え得る応用のシーンとしては、以下のとおりである:
- 食品:シアノバクテリアは、高タンパク質やビタミン、ミネラルを豊富に含むため、栄養補助食品として利用されている。スピルリナやアファニゾメノンなどのシアノバクテリアは、健康食品として広く利用されており、サプリメントやスムージーなどの形でも摂取されている。更に、宇宙食としての利用も検討されており、米航空宇宙局(NASA)が発案した“Air to Protein”(参考)や、我が国の宇宙航空研究開発機構(JAXA)による「たんぽぽ計画」(参考)などが進んでいる
- 医薬品:シアノバクテリアは、様々な生理活性物質を産生することが知られており、中には医薬品としての潜在的な価値を持つものも含まれている。例えば、シアノバクチン(cyanobactin)など新しい抗生物質としての研究が進められている。また、細胞分裂を阻害する作用があり、抗がん剤としての開発も行われている
- エネルギー生産:シアノバクテリアは、光合成によりエネルギーを生産し、その過程で炭酸ガス(CO2)を固定することができる。この特性を利用し、バイオ燃料の生産や二酸化炭素の固定に関する研究が行われている
(図表:シアノバクテリアの死骸によって形成されるストロマトライト)
(出典:Government of Western Australia)
- 環境浄化:シアノバクテリアは、水中の窒素やリンなどの栄養分を取り込む能力があるため、水環境の浄化に役立つとされている。また、去る2011年の東日本大震災後には、シアノバクテリアの一種であるイシクラゲが放射線(セシウム)を吸収していたことが発見された(もっとも、福島第一原子力発電所の事故により発生している「汚染水」にて、その除去が課題となっている「トリチウム」については吸着できない)
(図表:除染の切り札としても注目される「イシクラゲ」(黒い部分))
(出典:Wikipedia)
- ナノテクノロジー:シアノバクテリアは、光合成や窒素固定などの反応を触媒する酵素を持っており、これらの酵素は、ナノ粒子やナノ構造の合成に利用されることがある。また、シアノバクテリア自体が持つ光感受性や形態変化能力は、光駆動型のナノマシンや、環境を感知する「バイオセンサー」としての開発も期待される(参考)
- バクテリア・リーチング(バイオ・リーチング、バイオ・マイニング):微生物の作用を利用して、鉱石から金属成分を溶出して回収するという環境に優しい鉱業技術として「バクテリア・リーチング」があるが(参考)、例えば、シアノバクテリアであるアナベナ・シリンドリカは、藍藻の成長が最も速く、殆どの元素を抽出するため、水田を肥沃にする天然の肥料として使われている(参考)
- 宇宙利用:光合成を行うシアノバクテリアの機能を利用して、宇宙船や宇宙基地での酸素生成に利用される可能性がある。更に、シアノバクテリアは紫外線や宇宙線に対する耐性を持っていることから、宇宙船等の外壁シールドや、惑星のテラフォーミング(環境改変)として活用できる可能性もある(参考)。特に、地表から数百メートルも下にある“ダーク・バイオスフィア”とも呼ばれる光のない地下環境でも水素から光合成を行うシアノバクテリアが発見されているが(参考)、こうした特性は宇宙利用における可能性の幅を広げるものとなろう
(図表:“ダーク・バイオスフィア”においても光合成を行うシアノバクテリア)
(出典:PNAS)
- 農業:窒素固定能力を持つシアノバクテリアの機能を利用して、土壌の肥沃化や植物の生育育成が研究されている
このように、シアノバクテリアが持つ様々な特性から、幅広い分野での応用が期待されているが、特に、近年研究が進んでいるのが、最後に述べた農業分野である。主に農業分野においては以下のような用途が考えられる:
- 窒素固定能力の活用:
―シアノバクテリアは、大気中の窒素ガスをアンモニアに変換する窒素固定能力を持っていることから、土壌の窒素供給を増やすことができる
―シアノバクテリアを利用した窒素固定は、化学肥料に頼らずに作物の栄養を補う環境に優しい方法として注目されている
―特に、アズボルア(Anabaena azollae)というシアノバクテリアは、水生植物アゾラ(Azolla spp.)と共生し、水田での窒素固定に利用されている
(図表:窒素循環のモデル)
(出典:Wikipedia)
- バイオ肥料:
―植物の成長を促進するホルモンや酵素を生産することができるというシアノバクテリアの特性を利用
―化学肥料に比べて環境への影響が少ないとされる
- 土壌改良:
―シアノバクテリアが生成する粘質物質は、土壌の粒子を結合させ、土壌の構造を改善する効果もあるとされている
―農薬やその他の有機汚染物質を分解する能力もある
- 環境修復:
―土壌のみならず水中の有害物質を分解する能力(バイオ・レメディエーション)ももっている
―石油分解酵素を産生することができ、これにより、石油汚染された水域の浄化が期待されている
特に、石油分解酵素の働きをもっているという点は、農業に限らず、科学全般に新たな可能性を開くものとなろう。かつて、石油資源確保に苦慮していた旧帝国海軍は「水からガソリンをつくる」という怪しげな発明話に望みを託し、戦艦大和の建造費以上の予算を投じてその研究開発にあたっていた(参考)。いわゆる「人造石油」であるが、これまでであれば、都市伝説やトンデモ科学の類という見方をされるようなものも、今後、科学的エヴィデンスの蓄積や、解明を通じて、これらが科学的に立証されていくのではないか。
かつて我が国では、古来の伝統に則った「ピロール農法」が注目されていたこともあった。「総じて酸性である我が国の土壌を弱アルカリ性に整え、他方でアルカリ性にしたいからといって化学肥料を用いることによってかえって極端なアルカリ性の土地を創り出してしまうことを防ぐのみならず、有機農法による酸素不足の発生という致命的な欠点なども解消してしまう」というのがピロール農法である。
ピロール農法もその核となるのはシアノバクテリアによる土壌改変であったが、どのような土壌にでも適応できるというわけではないという課題もあり、土壌の状態や特性により改善効果に違いがでることもあった。そこで、現在では、より土壌の性質や周辺環境への適用可能性を高めた農業用土壌改良材「エルガー資材」を利用した農法が、科学的エヴィデンスを蓄積させつつ拡大している。
ピロール農法では、日本古来の文化伝統の重視し、化学肥料や農薬を使わないという面のみが重視されがちで、その効果を科学的に証明するというプロセスに欠けていたために、広く普及するまでには至らなかったという点も指摘できよう。
世界のシアノバクテリア市場は、昨年(2022年)の8億5,511万米ドルから来る2030年までに13億9,495万米ドルに達すると予想されている(参考)。さらに、シアノバクテリアには、現在までに約150属、2000種以上が発見されているが、まだ発見されていないシアノバクテリアやその特性も存在すると考えられている。
シアノバクテリア市場が拡大するにつれて、科学的エヴィデンスも蓄積されることで、特に食の分野においては、心理的な「安心感」のみならず、科学的な「安全性」も証明されていく。そうした中で、シアノバクテリアは食料危機の救世主としてハイライトされる日もそう遠くはないであろう。
グローバル・インテリジェンス・グループ リサーチャー
原田 大靖 記す
*本コラム内にある見解は、弊研究所の一致した見解ではなく、執筆者個人の見解を示すものである。
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