「国際赤十字」という“聖域”~その光と陰~ (IISIA研究員レポート Vol.84)
「ウクライナ戦争」の混迷が依然として国際情勢を揺さぶっている中で、先月(4月)26日、モスクワを訪問した国連(UN)のアントニオ・グテレス事務総長は、プーチン露大統領と会談し、ウクライナ南東部マリウポリでアゾフスタリ製鉄所に避難している民間人1,000人の退避について、国連と赤十字国際委員会(ICRC)が関与することに原則、合意したとの報道があった(参考)。
(図表:アゾフスタリ製鉄所で赤十字の旗を振る赤十字職員)
(出典:THE TIMES OF ISRAEL)
マリウポリでの「人道回廊」については本年(2022年)3月にもロシア勢とウクライナ勢間で合意したものの、機能せず「失敗」に終わっていたが、国連や赤十字国際委員会も関与する形で行われた今次合意では、去る5月1日(キエフ時間)より実際に避難が開始され(参考)、7日(キエフ時間)には女性や子供らの退避が完了したとの報道もあった(参考)。特に今般の避難成功の要因として、赤十字国際委員会の存在が大きいのではないかと分析する。そこで、本稿では、赤十字国際委員会の創設とその系譜を概観した上で、その裏の側面を探っていきたい。
赤十字国際委員会の起源は、19世紀後半のイタリア統一運動(リソルジメント)の最中に起こったソルフェリーノの戦いにて、その悲惨な状況を目の当たりにしたスイス人実業家アンリ・デュナンが傷者救護の為の国際委員会創設を訴えたことに始まる。
1863年には「赤十字規約」が採択され、同年12月にはヴュルテンベルク王国において世界初の赤十字社が設立された。翌1864年2月には現存する最古の赤十字社であるベルギー赤十字社が設立されている。特に、ベルギー勢がそうであるように、王族たち、いわゆる「根源的な階層」のフレームワークとして形成されてきたということがいえる。ヴュルテンベルク王国は1918年、ドイツ連邦への加盟により消滅したが、現ヴュルテンベルク家当主は未だに“Adel verpflichtet(ノブレス・オブリージュ)”としてドイツ赤十字社に関与している(参考)。
(図表:ジュネーヴにある赤十字国際委員会本部)
(出典:Wikipedia)
そうした面が如実に表れているのが、我が国の日本赤十字社である。日本赤十字社は、西南戦争期の博愛社に起源をもつ組織である。岩倉具視をはじめとする「開明派」の元勲は、「赤十字」こそ、彼らが実現したい“西洋社会”のベースを為すものであり、これをいち早く創り出すことが「西洋化」の証であると考えていた(参考)。1887年には、日本赤十字社が誕生したところで、その社則第2条には、「本社ハ皇帝陛下、皇后陛下ノ至貴至尊ナル保護ヲ受クルモノトス」とあるように、皇室との関係が直接的に明示されている。また、現在の日本赤十字社の定款でも、「名誉総裁は皇后陛下が、副総裁は皇族が務める」とされている(参考)。
このような“象徴的”な関係に加え、去る1921年からは、明治天皇の皇后である昭憲皇太后が国際赤十字に下賜した10万円(現在の3億5000万円に相当)を元に創設された「昭憲皇太后基金」による支援が開始されており、今でも毎年4月11日にその利子が世界各国の赤十字社に分配されている(同時にその運用状況の報告も受けている)。このように、日本赤十字社は、今も昔も、皇室と米欧勢との重要な“結節点”であったということができる。
その後、赤十字国際委員会は、第一次大戦中、ヴァチカン勢との“教派を越えた”協力関係を構築していく中で、「国際化」していく。すなわち、「カリタス・インターナショナル」や「カトリック女性国際連盟」といった、“実働部隊”としてのカトリック系NGOとの協力を背景に、カトリック・ネットワークを駆使した捕虜の身元確認などで、その存在感を増していく。
(図表:イタリア赤十字社に接見するローマ教皇フランシスコ)
(出典:ローマ教皇庁)
このように「国際化」していく中で、戦場でも敵味方関係なく自由に活動可能であるという国際赤十字の“強み”は、時に歴史の“陰”の側面を“演出”することもあった。すなわち、各国諜報機関から、スパイを潜入させる標的として狙われているという側面である。例えば、作家で医師でもあるサマセット・モームは、第一次大戦中、英国赤十字に軍医として所属していたところ、英秘密情報部(MI6)にスカウトされ、それ以来30年間、作家及び諜報員として活動し、来日も果たしている(参考)。第二次世界大戦中には、英秘密情報部(MI6)所属のメアリー・リンデルが、赤十字の看護師として活動する中で、ナチス占領下のフランス勢で連合軍のための脱出ルートを確保したことで知られている(参考)。さらに同じく第二次大戦中、北アフリカで活動していた国際赤十字はドイツ勢のスパイとして活動していたのではないか、と米中央情報局(CIA)は指摘している(参考)。
(図表:1942年、カイロで下船する国際赤十字の看護師)
(出典:Third Sector)
そうした中で、現在の「ウクライナ戦争」に話を戻すと、各国の赤十字社がウクライナ勢において危機に対応している。今次「戦争」において“静観”を決め込む中国勢も、赤十字での“支援”を通じては関与しているが、果たしてその真の意図はどこにあるのか。歴史の“陰”の側面も振り返りつつ、今次「戦争」の行く末を注視していきたい。
グローバル・インテリジェンス・グループ リサーチャー
原田 大靖 記す
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