茶の文化と民藝
本日6月21日は夏至の日です。いよいよ暑さも本格的になってきました。皆さん、しっかり水分補給はされていますか?私は元々かなり水分を摂るほうなのですが、最近はお茶にコーヒーに紅茶にと毎日3~4lくらい水分をとっています。さて、今日はお茶と器のお話をしましょう。
お茶と器が大好きな私は、各国を旅するとき、それぞれのお茶文化を観察するのが大きな楽しみです。旅の間にいろいろな観光地を巡りますが、結局一番心に残っているのは現地の友人や行きずりの人にもてなしていただいたお茶のことだったりするものです。
イギリスではロイヤルウースター、ウェッジウッドなど老舗ブランドが多数ありますが、現地に行ったら必ず行くのはアンティーク・マーケット。毎週末、地元住人や観光客でごった返す各アンティーク・マーケットにはビクトリアンの陶器やガラス食器、銀食器からヴィンテージ・コスチュームやジュエリーが所狭しと並び、ものを通じてタイムスリップしている気分になります。そんなアンティークの食器に注がれた紅茶の美味しいことといったら!
ご存知イギリス料理(?)は美味しいと言えないので、滞在中、甘党の私はお菓子と紅茶ばかり飲んでいました(笑)
紅茶の最大値産地であるインドでは、品質の高いダージリン、アッサム、ニルギリが収穫されています。けれども地元民にとって一番馴染みが深いのは路上の屋台でミルクと茶葉をぐつぐつ煮てお玉で豪快にすくって渡されるチャイ。
インドで飲む熱々チャイは砂糖たっぷりで日本で飲むと甘すぎて飲めないくらいなのですが、蒸し暑い現地で飲むと本当に美味しく感じて何杯でもいけちゃうのですよね。
お茶ではありませんが印象に残ってるのはトルコのコーヒー文化。ターキッシュ・コーヒーは、粉状にしたコーヒー豆を水から煮立てて上澄みだけを飲む、かなり濃い(というかドロドロしています)コーヒーです。オスマン帝国内のイエメン統治者が約450年前に皇帝にコーヒー豆を献上した時からの伝統的な飲み方で、ユネスコの無形文化遺産にその文化と伝統が登録されています。イスタンブールにはコーヒー占いをやってくれるカフェが多数あり、占い好きのトルコ人の友人は毎週のように通っているのだそう。飲み終わったらカップをソーサーでふたをして願い事をしながらグルグル回してひっくり返したあと、カップの模様を見てくれるのです。
それからお茶といえば中国が外せません。骨董屋のような古びた店内に所狭しと並べられているのはジャスミンなどの花が入った瓶や、円形状に圧縮して紙で包んだプーアール茶など。店内に入ると「まずは座って飲んでみて。」と、何杯もお茶を豪快に入れてくれます。
中国茶の作法は日本とかなり異なり、茶器も三口くらいで飲み切れるほど小さいのです。それにしても我が国で今日まで茶の席で大切に使われている井戸茶碗などの高麗茶碗は元々朝鮮半島から渡ってきたものでした。しかし実際に現在も実用されているのは我が国だというのは面白いことです。
日本にお茶が伝わったのは奈良・平安時代の頃で、千利休らにより『茶の湯』の体系が完成したのは室町・安土桃山時代です。私は毎日のように祖母・母が抹茶を立てるのを見て育ちました。やんちゃな幼稚園児がお茶の時に考えていたことといえば、「なぜ正座しなきゃいけないの?」「なぜみんな静かなの?」「三口分を飲むのになぜこんな大きくて地味でゆがんだ器を使うの?」などということでした。
正座による精神神経集中の要素は身体性を持って幼いながら実感していたことでしょう。そして、お湯が煮え立つプクプクという音、酌からお湯を器に注ぐ音、庭の木々のそよ風に揺れる音などから、静かに待つことで聞こえてくる日常で気に留めない音に気付いたことでしょう。しかし、幼心には、なぜ非対称で渋すぎる茶碗を選ぶのか、そしてそれらがなぜ非常に高価であるのか理解できませんでした。
徐々に井戸茶碗の渋さを素敵だと思えるようになったのは、年を取り、その深みのある表情を愛おしく感じるようになったからでしょうか。
さて、突然ですが上の写真の井戸茶碗を、皆様は美しいと感じますか?口元は歪んでいますし、急いで作ったために釉薬が垂れて、かいらぎ(梅花皮)と呼ばれる高台に焼き付けられた粒々は不揃いです。そう、こちらは朝鮮・李朝時代(16世紀)に大量生産された日常使いの茶碗でした。
しかし、この茶碗こそが井戸茶碗で唯一国宝に指定されている『喜左衛門井戸茶碗』です。大量生産の失敗作がなぜ国宝となったのでしょうか。
飾り気のない素朴で渋い姿、そして雑味のある静かな色感にかいらぎがアクセントとなり一つの景色を描き出しているようで素晴らしいと先代の茶人がこのように見立て、無二の味わいを喜んだからこそこの茶碗は5世紀以上の時を超えて国宝として受け継がれたのです。
民藝とは民衆が日々用いる工藝品のことを言い、この喜左衛門も民藝品の一つです。作者は無名の職人であり、民のために民によって日常用に作られたものです。自然姿も質素であり頑丈であり、形も模様もしたがって単純で、作るものの心の状態も極めて無心です。美意識等から工夫されるわけではありません。
釉薬が垂れたために自然に生じたかいらぎを眺めながら思い出されるのは、民芸運動の父・柳宗悦の言葉です。
特別な品物より民藝がなぜ美しいのかという問いに、柳はこう答えています。
「意識よりも無心が深いものを含み、主我の念よりも忘我の方がより深い基礎となる。作為よりも自然が、一層厚く美を保証する。個性よりも伝統が、より大きな根底と云える。人知は賢くとも、より賢い叡智が自然に潜む。」
昨今の『民藝』ブームには目を見張るものがあります。特に『Discover Japan』や『家庭画報』、『サライ』といったライフスタイル誌では頻繁に民藝特集が組まれ、柳の「用の美」といった言葉が度々引用されているのを目にします。しかし、柳らが唱えた民藝の意義というのは本当に伝わっているのでしょうか。なぜ「下手」と云われるものに美が宿るのか。それはどんな世界から生まれ、いかなる心がそれを生んだのか。民藝は、美の問題であると共に精神の問題、そして社会の問題であるということを忘れてはなりません。
参考
『民藝とは何か』柳宗悦 講談社
【執筆者プロフィール】
flaneur (ふらぬーる)
略歴 奈良県出身、1991年生まれ。都内医学部に在籍中。こころを巡るあれこれを考えながら、医療の『うち』と『そと』をそぞろ歩く日々。好きなことば : Living well is the best revenge.