『女神信仰の国、ベトナム』(連載「美と心の旅」・その3)
フラヌールです。特別コラムニストとして本日は連載の第三回をお届けさせていただきます。
少し前の話になるが、シルバーウィークに家族でベトナムを旅行した。
家族揃って海外旅行だなんて、何年ぶりだろう。小学三年生以来だ。
父は元来、気の小さい優しい人だから、北欧での学会参加のため渡航した際にパスポートを紛失したのがトラウマで、以来学会は他の若い人に任せていつもお留守番役だ。一方、母は一人で毎年のように欧州旅行を楽しんでいる。なんでも最近のツアーは一人女性の参加が多いのだとか。
そんな筆者は大学生になって、国際協力というキラキラワードに惹かれてみたり、チリ人とのハーフの子に恋したり、一・二年生のすかすかの時間割を埋めなければならなかったりして(要するに暇人)、随分と海外旅行に行った。ボリビア、パラグアイ、インドetcと、一般的な親ならかなり心配するような第三国まで乗り出していたわけだけれども、両親は結構そんな危なっかしい娘の旅の話を楽しんでいたと思う。というより止めてもどうせ行くだろうからしょうがない、と初めからお見通しだったには違いない。
さて筆者は母親から、「お父さん、膝も腰も悪くなったし、これから途上国(というか旅行するのに体力がいりそうな国)を旅行するのは難しくなっていくだろうから今のうちに旅行を企画して」とのミッションを受けた。そして、私はハノイ⇒ホイアン⇒フエ⇒ホーチミンというベトナム北上コースに決めた。
「日本のことが一番好きな国は?」で一位がベトナムだったし*1、フォー(ベトナムの米麺料理)作りにはまっていたし、ベトナムが自分の中でちょっとしたブームだったという理由もある。
さて、前置きが長くなってしまいました。今日はハノイにあるベトナム女性博物館について書かせていただければと思う。
海外旅行といえば、もちろん現地の人の生活を観察し、話してみると同時に、大抵の人は博物館、美術館といった文化施設に行く。残念なことに、世界遺産に登録されているタンロン遺跡は展示の仕方が煩雑で庭も手入れされておらず、ホーチミンにある国立美術館は一階にしか館員がおらずたとえ観光客が直接手で触れても気づけないだろうし、展示物は窓から入ってくる風やほこりが当たり放題という状態であった。国家、国民がこのような文化財産を大切に扱い、またそれをいかに説明し展示できるか、というのが国の文化的成熟には欠かせず、外国人から評価されやすい側面である。この点で、シンガポールやインドネシア、マレーシアが現代アートの新星を輩出している中、ベトナムからアーティストがなかなか浮上してこない理由を垣間見た気がした。
さてそんな中で充実した展示でひときわ目を引いたのはハノイにあるベトナム女性博物館であった。文字通り、ベトナム女性について、“家庭での女性”、“歴史のなかの女性”、“女性のファッション”といった3つのテーマに分けて展示されている。特別展としては、ベトナムの伝統信仰であるWorshipping Mother Goddess(地母神、慈母崇拝)に関わる展示がなされていた。
ベトナム人女性は美しく、よく働くといわれる。
トラン・アン・ユン監督の『青いパパイヤの香り』をご存じだろうか。在仏ベトナム人監督、スタッフによってパリ郊外で撮影された50年代のサイゴンに生きる一人の女性の半生を描いた物語だ。主人公や、使用人として主人公を雇う一家の母は、共に寡黙ながら(主人公のセリフは数えられるほど少ない)よく働き、思慮深い人物として描かれている。彼女らの静かな微笑みや優雅で落ち着いた動作は美しく、そして強く、古来の日本の母像を彷彿とさせるものがある。
筆者のベトナム人女性のイメージはこの映画に感化されていたが、現地の女性たちは大きい声で話し、もっと快活であった。そして働き者であった。男女問わずであるけれども、東南アジア諸国の中でもサービス精神は随一といえるだろう。
ベトナム人の精神には原始時代から女神信仰が浸透している。
農業国であったベトナムで、女神さまは土、水、稲を象徴していた。時代と共に、戦争の中で現れた英雄的女性や、大きな業績を成し遂げた王女、皇后なども「女神」として崇められてきた。また、カカア天下の国であり、金銭管理は女性が行い、家の登記も女性名義でなされることが多い。
歴史上も女性の活躍したエピソードに事欠かない。西暦40年頃、中国(後漢)の支配下でベトナム側に徴税権を取り戻すことに尽力し、中国からの反乱を二万もの軍を率いて制圧したチュン姉妹は、ハノイのハイ・バー・チュン区(ハイ=2、バー=女性の敬称)という区の名前の由来にもなっており、ベトナムの女性英雄として今でも親しまれている。
1987年にベトナム女性連合により設立されたベトナム女性博物館では、チュン姉妹からフランス統治時代の独立運動から南北分断後の女性の戦闘、ゲリラ活動が、女性の実名を挙げながら紹介されており、個人所有物の展示や当時の映像を見ることができた。
54年ジュネーヴ協定後、南ベトナム解放民族戦線で戦う女性たち(女性博物館HPより)*2
さらに印象的だったのは、現代社会で活躍する女性を紹介するコーナーである。それらは企業家や少数民族、ベトナム戦争を生き抜いたご老人など、様々な女性のインタビューや、写真パネル(ブログトップイメージ参照)が展示されていた。“女性”というテーマでここまで多岐に渡って網羅的な展示をしている博物館は見られない。その他の美術館がお粗末な管理状態のベトナムにおいて、改装を経て更に充実した展示を誇る女性博物館の存在はまさにベトナムの女性の強さを示しているように思え痛烈な印象を残した。
さて、1週間で4都市をかけ巡る個人旅行はかなりハードで最終日は歩くのもやっと・・・であった父であるが、帰国後は年末もどこか行くか、と普段自分から提案なぞ滅多にしない彼が照れた顔で話すのを見て家族旅行の威力を知った次第である。
*1 http://dentsu-ho.com/articles/2996
*2 http://www.baotangphunu.org.vn/Tin-tuc/180/1954—1975-southern-vietnam
【執筆者プロフィール】
flaneur (ふらぬーる)
略歴 奈良県出身、1991年生まれ。都内医学部に在籍中。こころを巡るあれこれを考えながら、医療の『うち』と『そと』をそぞろ歩く日々。好きなことば : Living well is the best revenge.