北陸で「現在の局面」を考える。 - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
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北陸で「現在の局面」を考える。

今、このコラムはJR特急「サンダーバード」号の中で書いている。ふと思い立ち、北陸新幹線開業で沸く北陸地方が見に行きたくなった。金沢から関西地方までは未だ新幹線が延伸していない。3時間の旅を満喫している。

先日、秋田魁新報に招かれて秋田の地で3年ぶりに講演を行った。講演前、事務局の方からこんな話を聞いた。

「インバウンド、インバウンドと世間では沸いていますが、実は秋田、そして東北ではそれ程でもないのです。中国人観光客が大勢やって来るのかと楽しみにしていたものの、蓋を開けてみれば何のことはない、秋田や東北まで足を伸ばしてくれなかった。引き続き、厳しい経済状況が続いています」

その話に触れた私に対し、別の同地人士はそうした状況に陥った理由の一つが、秋田では「港湾」「海運」よりも「陸運」に力を入れたインフラ整備が行われてきたからだと言う現地での評価を教えてくれた。秋田港は実に立派な港湾施設である。臨海鉄道まで通っている。だが、その岩壁に巨大な中国客船を呼ぼうという発想と行動が見られないわけなのだ。つい先日までの「韓流ブーム」のメッカとして随分と儲けてしまい、呆けてしまったのかもしれない。次の一手にまで頭が回らなかったのだ。その結果、今では閑古鳥が鳴いてしまっているというわけなのだ。今更「なぜ秋田はミニ新幹線で我慢したのか」などといっても仕方がないのである。とにかく、事態は深刻なままであった。

こうした状況は何も秋田、そして北東北だけではないのである。我が国で地方の行脚をすればするほど痛感するのが、全く同じ光景が全国で見られることだ。景気が良い話として聞くのは時折やって来る言葉の通じない中国人観光客による「爆買い」の噂話だけである。

そうした中、我が国政府は遂に「勝負」に出るのだという。“虎の子”である日本郵政・ゆうちょ・かんぽの3大企業を一気に新規株式上場させるのだ。莫大な財政赤字を抱え続けている我が国政府にはもはや後が無い。とにかく歳入を増やすべく、なけなしの政府保有資産の大量売却を2012年から始めている。その最初のクライマックスがいよいよ今年(2015年)11月4日にやって来るというのである。当然、政府は御得意の「官製相場」でこれを飾ろうと躍起になるのは目に見えている。日本株のとりわけ大型株の株価を指標もろとも引き上げていき、政府自身がこのIPOで高値売り抜けを画策するのである。いよいよ我が国最大の「公営ギャンブル」が東証で行われることになるというわけだ。

だが、何のことはない、グローバル・マクロ(国際的な資金循環)の主たちはそんなに甘くはないのである。定量分析を見る限り、我が国の株式マーケットにおいて一斉に「長期・買い」のスタンスをとり、今や遅しと”その時“を待った機関投資家たちを尻目に、「中国経済の悪化」を理由に徹底的な”売り”を始めたのである。経済紙は待ってましたとばかりに「世界同時株安の様相」といった記事を書き飛ばし、不安を煽っている。

もっともそんな誘導は何のその、「個人」はむしろこの局面で一気に日本株を買い増しているのだという。「銀行におカネを預けるな」などというふざけたネーミングの本が乱れ飛び、射幸心に煽られていた2007年頃とは全く状況が違うのである。それでも生き残った「個人」たちは正に百戦錬磨、全くもって賢いのである。「上げは下げのためであり、下げは上げのためである」という“復元力の原則”をきっちりと体得したからこそ、生き残ってきたわけであり、この局面で「チャイナ・ショック」が煽られようとも、負けじと買い進んだのである。

率直にいうとその勇気はさしあたり報われることになる。なぜならば「11月4日」という官製相場のゴールが見えているからだ。目先の地政学リスクの”演出“が仮に過ぎ去れば、マーケットに暗雲を差し掛けているのは唯一、「チャイナ・リスク」だけとなる。だがこれは逆を言うと、中国勢を巡る論調のさじ加減ひとつでいかようにでも状況が変わることを意味しているのである。それに米国勢は今後、あらためて「9月の政策金利引き上げ」へと向かって期待を高めていく。ドル高・円安にふれることを予期し、その連想で「日本株高」へとこれまた期待が高まっていきやすくなる。こうした流れは未だ確定的ではないけれども、総じて言えば「11月4日」に向けて官製相場が成り立ちやすい状況に我が国は置かれていくのである。いや、ただでさえ支持率が下がり、「健康不安説」が流されてしまっている第2次安倍晋三政権には後が無いのである。そのシャカリキの努力によって日本株マーケットは急反騰すら見せることになる。件の「個人」はついにそこで”勝利“する、かの様に見える。

だが、賢慮ある本当のヒトたちは、そこで慢心はしないのだ。大事なことはただ一つ、そもそもヴォラティリティから逃れる手段を講じることが、ほんの一時だけ訪れる弛緩のタイミングにおいて出来るか否かなのである。「何が起きても変わらないもの」にヘッジをかける形で、かつ「リスク分散を適度に行い、その代りに高度の利潤獲得は断念する」。「短期ではなく長期を志向」し、「純粋な利殖ではなく、マネーがもたらす国境を超えた人脈の豊饒さにこそ意味を見出す」という姿勢。これから2年間にわたっていよいよ始まっていく我が国の資産バブル展開の次なる弾みの中で、「さらにその次に生き残る日本人」はその様に、高騰する株価とはむしろ逆行するかの様な地味な、しかし堅実な人生のスキーム作りに励むはずなのだ。

高度経済成長期の様に、増え続ける「国内の中間層」を目当てに観光業や農業を営み、収入が足りなくなったらば公共事業を親方日の丸にやってもらい、その利権分配で食いつないでいくなどという、典型的な「我が国地方」のやり方はもはや通用しないのである。目の前に13億人もの消費者を抱える中国勢がいるではないか。これをなぜ利用しようとしないのか。もっとも利用するといっても、「独り占め」したり、「短絡的な思考で突っ込む」といったやり方ではダメなのである。しかるべきレヴェルでの人脈ネットワークを構築し、協働する中で共に裨益し、利益分配を中長期的に行うスキームづくりを行うべきなのである。そのチャンスは都会よりも、地方の方が実のところ数多く持っている。なぜならば中国勢が喉から手が出るほど欲しいものは現地では完全に破壊された「自然(じねん)」だからだ。まずはそこから始め、ブランドを広大な中国大陸で確立する。一旦出来たルートを「売り先は中国勢だが、第3国のパートナーも絡ませる」といった形で拡充し、さらに安定的に拡大していく。「中国崩壊」などというキャッチフレーズに踊らされてはならない。「国家」としての中国は崩れ去っても、13億人もの人口はそこに厳に存在し続けるのである。後はやり方、その一言に尽きる。

「諸君、日本外交にとって中国こそが問題である」

かつての宰相・吉田茂は我が国の外務研修所で講演を行った際、若き外交官たちを前にそう一言檄を飛ばすや否や、立ち去ったのだという。今から考えると正に至言としか言いようがない。外交だけではないのである。我が国全体にとって、あの広大な大陸に暮らす無尽蔵の人々の豊かさを増す作業から、どれだけ巧みに裨益するのかが、死活問題なのである。

もっとも繰り返しになるが、我が国だけでそれを行ってはならないのである。それではあの「不幸な過去」において負い込まれた時と全く同じになってしまう。華僑・華人ネットワークのハイレヴェルはもとより、第3国をも裨益させる形で包括的なスキームを創り上げること。しかもその中心人物に私たち日本人が座り続けるよう努力することこそ、今求められていることなのだ。その作業にはもはや中央政府や地方公共団体らの支援など必要ないのである。「民のことは民でやるべき」なのであって、大いに海の向こうへと飛び出し、己のシンクロニシティ一つだけを頼りに宿命を運命へと変えていけばそれで良いのである。あとは「やるか、やらないか」、ただそれだけである。

今、目の前の崩落の中で怒涛の勢いにて始まる官製バブルという「濡れ手に泡」に幻惑されてはならないのである。無論、そこで最低限の資産形成を「個人」は行うべきではある。だがむしろ重要なのは、そこで「地方に在ることの不幸」をかこうことではなく、全く新しい形でより安定的な収益スキームを中長期にわたり、海の向こうの友人たちと創り上げるという歴史的な作業に一日でも早く着手することなのである。「戦後70年談話」などという無駄な作業を行う暇があるのならば、私たちはむしろこうした「本当に今為すべきこと」に着手すべきなのである。

収穫期が程なくしてやってくる北陸の稲穂を車窓の向こう側に見ながら、今、そう強く想う。私も、その意味で「口先だけの言論」ではなく、ここでいう「スキーム作り」に既に着手している。地方発のこの試みがどうなるのかはまだ分からない。徐々にその全貌を明らかにして行ければと思う。「暁鐘」は既に打ち鳴らされている。

2015年8月22日 金沢にて

原田 武夫記す

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