さらば、ロシアよ! (連載「パックス・ジャポニカへの道」)
17日(サンクトペテルブルク時間)からロシア・サンクトペテルブルクに滞在している。18日より開催されてきたプーチン大統領肝入りのプロジェクト「サンクトペテルブルク国際経済フォーラム(以下SPIEF)」に参加するためだ。このフォーラムでは私が今年(2015年)から属しているB20の地域会合も行われるため、それに出席することを目的としてこの地までやって来た。今、会合は3日目最終日を迎えている。私は週明けには東京に戻らねばならないので最終日は割愛し、定宿である「Moika 22」にいる。パリ経由で帰国の途に就く前に、今回のSPIEFを通じて”ロシア的なるもの“とその周辺について感じたこと・考えたことを書き記しておきたいと思う。
このSPIEFに私は3回連続で出席している。10年程前に無冠の立場へと自らの意思で舞い戻って以来、私はこうした国際会議を自らの眼と手で見つけては身を投じてきている。その際の基準はただ一つ、「この国・組織はこれから“来る(=急上昇する)”」という直観だ。崩落する直前もそうだが、急上昇する直前もそれを察知し、なぜそうであるのかを説明する。これが弊研究所の役割である。定量分析を粛々と行うアライアンス・パートナーの力添えを得つつ、公開市場分析(OSINT)をもってマーケットとそれを取り巻く国内外情勢の“これから”について考えていく。
そして単に“考える”だけではなく、そこでこれから正に始まろうとするトレンドを誰よりも早く指摘し、いかにして備えるのかについても、それを知るべき立場にある方に然るべき形で伝えていく。―――これが弊研究所の日々行っている業務なのである。そしてそうした観点から、このSPIEFについても未だ一般には広く知られていない段階より、出席し、その実態についてつぶさにウォッチしてきたというわけである。さらに言うならば単に外側から眺めるだけではなく、昨年(2014年)は先方からの招きによりパネリストとしても出席した経緯がある。
そうした立場から言うと、今回のSPIEFに再び、現場で繰り広げられる出来事の数々を見ていてたまらなく気になったことが一つあるのだ。それはロシア勢もいよいよ「本音」を打ち出し始めたな、ということである。
SPIEFは少なくとも昨年(2014年)まで、どちらかというとグローバル・アジェンダに対してロシアとして如何に取り組むのか、その方向性を議論する場という色彩が大変強かった。つまり「あれやこれやと米欧勢から非難されるが、これこのとおり、彼らの言うグローバル・アジェンダについてロシア勢としてもしっかり把握しており、かつそこで掲げられる様々な課題について取り組んできている」ということを世界中に対して示す場として用いられてきたのである。
ところが今回は違った。ロシアがいかに諸外国と交際しているか、いやもっと言えば後者が前者を頼りにしているのかを喧伝する場所としてこのSPIEFは大いに用いられていたのである。それが証拠に焦眉の課題であるギリシアを筆頭に、インド、中国、イタリアと言った諸国勢が招かれ、ロシア勢との関係が如何に深いものであるのか、またその関係性の延長線上においてこそ輝く未来が構築されるべきことを、関係者たちは口々に語っていたというわけなのである。
マーケットの盟友であり、かつ私が知る限り“越境する投資主体”の主としては我が国屈指の賢者でもある人物の言葉を引きながら、私はかねてよりこう述べてきた経緯がある。
「これから国際社会はますます大混乱に陥っていく。だがその中で最初に預言者と救済者が登場する。そして預言者は『この男こそ世界を混沌から救い出す人物なのだ』と救済者のことを指し示す。国際社会は救いを求め、その男の方に一斉になびき、確かにしばらくの間、世界は再び秩序を取り戻したかのように見える。だが3年半ほど経って、人々は徐々に大変なことが起きていること気づくのである。事態は改善するよりも、もっと複雑で、もっと厄介な方向へと密かに向っていたことが分かるからだ。そして国際社会は再び大混乱に陥ってしまう。すると本物の預言者が現れ、こう高らかに宣言するのである。『彼らは偽の預言者であり、また偽の救済者だ。真の救済者はこの人物である』。そしてこの真の救済者の手によって世界は救われ、ここにようやく秩序が再び訪れることになるのだ」
新約聖書「ヨハネの黙示録」を筆頭に、古今東西、いわゆる”預言書“において繰り返されてきたのがこの構造なのである。そして私は、ここで最初に現れる「預言者」と「救済者」が一体誰なのか、この一点に絞ってまずは情勢分析を取り進めてきているのだ。
満員で参加者が広大な会場であっても坐りきることが出来なかった全体会合で、昨日(19日)、「ロシアは引き続き攻撃的な政策を取り続けていくのか」と米CBSの有名司会者に問われ、プーチン大統領はこともなげにこう言い放ったのが忘れられない。
「私はあなたがそうやって『ロシア勢は攻撃的だ』というのを好まない。私たちは単に首尾一貫している(persistent)に過ぎないのだから」
先般、中国・上海にある有名大学・復旦大学が主催した「上海フォーラム」において、とある研究者がロシア勢の最近のやり方をとりあげ、「ハイブリッド戦争(hybrid warfare)」と評していた。まずは対象国の中で「反体制派」が反体制運動を繰り広げるようにする。そして「反体制派」はもはやここまでと住民投票を実施し、分離独立を可決する。当然、体制側はこれを武力鎮圧しようとするがなぜか大量の武器を手にしている「反体制派」は抵抗をやめようとはしない。それどころか、徹底抗戦を始め、ついには内戦になる。その最中に「独立宣言」が出されるや否や、今度はロシア勢がこれを真っ先に「国家承認」する。そしてこう言うのである。「これは住民たちの意思による独立だ。これほどまでに民主主義的な結果が世界にあろうか」
ある意味、中国勢が健全だと感じたのは、こうしたロシア勢の“やり方”について冷静な眼差しを失っていないという点であった。隣国関係において領土の奪い合いは歴史の中で繰り返されている事実だ。だからこそ如何に甘言を弄されるにしても、絶対に気を緩めてはならないのである。とりわけ国土の辺縁部に暮らす少数民族らの帰趨が国家としての中国勢の「統一性(integrity)」の行方を決めるといっても過言ではない以上、「蟻の一穴」すら許さないという態度を密かに見せ続ける中国勢の対応には学ぶべきところがある。
そうした様子を当のロシア勢も如実に感じ取っているようだ。確かに表向き、中国勢からも要人がSPIEFに出席はしている。だが参加者全体においてはというと、ほとんど目立っていなかったのである。そうした様子を見ながら、米系コンサルティング・ファームのモスクワ支社で最高幹部であるロシア人の一人が私にこう語りかけてきた。
「今回、中国からの参加者が少ないと思いませんか。どう思われますか?」
だが、それでもロシア勢の言論という場を使った「ハイブリッド戦争」は終わらないのである。事前に公開情報を通じ、ギリシア勢のツィプラス首相がこのSPIEFのタイミングに合わせ、サンクトペテルブルクまでわざわざやって来ていることは知っていた。そして「よもや」と思ったがやはり、フォーラム中、最大の見せ場である全体会合においてプーチン大統領の次に登壇、こう高らかに演説したのである。
「今の欧州勢はおかしい。欧州連合(EU)は設立当初の精神に立ち返るべきだ。すなわち連帯(solidarity)、公正(justice)、そして社会的正義(social justice)だ」
22日(ブラッセル時間)にEU緊急首脳会合があるというのに、いや、それを目前に控えているからこそ、ギリシア勢はロシア勢のプーチン大統領を頼ってきたというわけなのである。しかも今回、「手ぶら」で来たわけではないことは、首相のみならず、経済大臣も同行していたことからも分かるのだ。つまり、欧州勢(EU)と手を切ることによって生じる大規模な損失をロシア勢が補てんする際の「見返り(collateral)」について最終的な打ち合わせをしたことが容易に見て取れるというわけなのだ。
確かにプーチン大統領はこの席上、ギリシア情勢については一切何も語らなかった。だがその場に君臨していたということ事態が、次のようなメッセージを会場にひしめく国内外の要人に対して伝えていたことになっていたのは言うまでもないのだ。
「悪しき秩序に耐えきれなくなった者は我が国(ロシア勢)をどうぞ頼るが良い。暖かく迎え入れていこう。そして共に在るべき世を創り出すため、立ち上がろうではないか」
ちなみにミャンマー勢からはこの全体会合に副首相が出席していた。これも昨年(2014年)にはなかった出来事である。イスラム教徒「ロヒンギャ」に対する激しい人権侵害がいよいよ露呈し、国際問題化する中、一時は最後のエマージング・マーケットとしてもてはやされていたはずのミャンマー勢は窮地に陥っている。米欧勢がグローバル・マクロ(国際的な資金循環)を廻すため、あえて一旦は上げておきつつ、次に落とし、犠牲にしようとしていることは誰の眼にも明らかになりつつあるのだ。だからこそ、ミャンマー勢もまたロシア勢のプーチン大統領に対して救いを求めてきたのだ。
こうして新約聖書「ヨハネの黙示録」の前段がデジャヴの様の目の前に浮かび上がり始める中、私がどうしても気になって仕方が無かったことが一つある。それは他ならぬ安倍晋三政権の”亡霊“がサンクトペテルブルクに登場したということである。
我が国からはとりわけ昨年(2014年)、SPIEFへの表立った出席者はいなかった。なぜならば対露制裁をかける中、「対露接近はまかりならん」と米国勢が外務省ルートで我が国に圧力をかけてきたからである。無冠の私は全くもって無関係であったわけで、パネリストを務めるようロシア勢から依頼があったのもそうした事情があったのだと拝察する。
ところが今年(2015年)のSPIEFは全くもって様子が違ったのである。何を隠そう、初日最初のセッションとして「日露関係」に関するセッションが行われたからである。そして次のような組織から錚々たる人物たちが出席していた:
―経済産業省(経済産業審議官)
―国土交通省(国土交通審議官)
―三井物産
―川崎重工
―日本郵政
―ファーストリテーリング
―日本放送協会(NHK)
我が古巣の外務省からはというと、原田親仁・駐露大使が可哀想に、観客席の最前部に陣取っているだけであった。つまりこの話は外交ルートではなく、明らかに経済産業省を筆頭とする「各省庁ルート」で調整された案件だったというわけなのだ。現在の安倍晋三政権における外務省の苦境ぶりが実に伺われる光景であった。
そして官民を挙げてこの様にサンクトペテルブルクに乗り込んだのは良いが、結局、一同語る内容が全く同じだったことも非常に気になった次第である。こんな感じに、である。
「我が国の総理官邸は対露関係に大変意を用いている。ロシアの人々の生活がより良いものになることを望んでおり、そのお手伝いをしたいと考えている。9月には極東地域で経済フォーラムが実施されるが、そこにもまた我が国からは官民を挙げて大規模なミッションを派遣することになるであろう。その様にして弾みをつけた上で、今年(2015年)年末までにプーチン大統領には是非、来日して頂きたいと我が国は考えている」
私が得ている非公開情報によると、今回も我が国に対して米国勢はかなりの圧力を外交ルートでかけてきたのだという。すなわち経済分野とはいえ、ロシア勢を中心とした世界秩序構築の一助となるこのSPIEFになど、公職にある者を派遣するなというのである。その鼻息がいかに荒かったのかは、上述のとおり、元来こうした類の動きでは我が国を「特命全権大使」として代表すべき大使がフロントの座席に座り、我が国を代表して発言しなかったことからも明らかなのだ。
しかしこの様に外務省を外した結果、どうなったのか。それは官と民、さらにはグローバルと国益重視の伝統的外交、の両方の挟間に身を置いている私の眼には一目瞭然であった。驚くことなかれ、我が方からの出席者からは判を押したかのように「北方領土問題」について言及が一切無かったのである。「ウクライナ問題について我が国も大いに憂慮している。是非一刻早く善隣関係を取り戻して頂きたい」などという言葉は飛び交うのであるが、我が国の国益中の国益とでもいうべきロシア勢との「未解決の領土問題」について、これら官民からの出席者は一言たりとも発言しなかったのである。「私たち日本勢は何とおめでたい民族なのだろうか」―――そう、絶望にも近い嘆息を覚えざるをえなかったことをここではっきりと記しておこう。
そして同時に有名なマーケットの確言を思い出したのである:
「日本人とアラブ人がやって来たらそのマーケットは終わりだ」
”情報リテラシー“に疎い我が国が一気呵成にある方向へとなだれ込む時。その時には必ず、米欧勢が先回りしており、あらかじめ設定された枠組み(フレームワーク)の中へとまんまと流し込まれたのは他ならぬ日本勢であるということに私たちは一切気付かないのである。普段からグローバルな交際をあらゆるレヴェルで繰り広げ、重層的な情報収集と複眼的な分析によりグローバル・マクロの帰趨を考え抜いている諸国民たちとは違い、「これは安心」ととりわけ”お上“から言われると一気にその方向へとなだれ込むのが私たち日本勢の常なのである。その結果、いかに大量の国富、そして時には人命すら失われてきたことであろうか。
(ロシア人女性ガイドと共に足早に会場を後にする鳩山由紀夫元総理大臣)
件の新約聖書「ヨハネの黙示録」を思い起こすにつけ、今目の前で繰り広げられる我が国の「ロシア詣で」が鼻についてならないのである。そしてだからこそ、時代を先取りすることを任とする私と私の率いる研究所はこう感じざるを得ないのである。
「さらば、ロシアよ!」
時代精神の行く先を示す羅針盤は明らかにロシア勢以外の“次”を指示し始めたようだ。SPIEFに出席するのもこれがおそらく最後になるはずだ。チャイナ・ショック、そしてロシア・ショックと断続的に激しく揺さぶられる中、我が国は深刻なダメージを今後受けることになる。
「目に見え始めた新秩序の向こう側にある、未だ目に見えない秩序こそ見て取り、それに向けて今から前に向かっていくこと」
時代精神の行く先をとらえる私の心は、サンクトペテルブルクの状況をつぶさに見る中、むしろ我が国国内へと集中し始めている。これからの“現場”は外国勢ではなく、我が国だというのである。なぜか。――――程なくして分かることになるはずだ。そしてそれこそが、誰かにフレームワークを与えられ、猛進しながら自滅するのではない、本当の「パックス・ジャポニカ(Pax Japonica)」の始まりなのである。
2015年6月20日 ロシア・サンクトペテルブルクにて
原田 武夫記す