私の使命。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」) - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
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私の使命。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)

職業柄、数多くの出版社、あるいは著者の皆さんから書籍や雑誌を戴くことが多い。普段は些事にかまけて目を通すことがままならなかったりするわけだが、たまさか時間が出来たのでこれら献本をつれづれに整理していると次のような気になる文章に出くわすことが出来た。少々長いが、話の発端として引用することをお赦し頂きたい。

 

「生命が存在する世界、マクロの世界で時間を考えるときに問題になるのが、エントロピー増大の法則というものです。エントロピーの正確な定義を説明すると長くなってしまいますが、単純に『乱雑さ』と考えることができます。

例えば箱の中を半分に仕切って、片方に赤い気体、もう一方に白い気体を入れたとします。この状態は赤と白がはっきりと分かれているので『秩序』があります。つまりエントロピーが小さい。仕切りを取ると赤と白の気体は必ず混ざり合い、乱雑になります。すなわちエントロピーが大きい状態です。逆に気体が混ざり合った箱を放置しても、自然に赤と白に分かれることはありません。これがエントロピー増大の法則です。気体に限らず、マクロな物質すべてに当てはまることです。

私はこの不可逆性に着目しました。生命の起源を考えると、最近有力視されえちるのは、海底火山の吹き出し口で誕生したという説です。そんな場所は水の分子が激しく運動する。エントロピーのとても大きな所です。物理法則だけで考えれば、秩序体(生命)が生まれても、熱運動によって乱雑に壊されてしまうはずです。しかし実際に生命は生まれた。あるとき自動的に自己増殖をするようなシステムが発生したとして、どんな能力を持っていればそれが生命となることができるのか、それは単なる物理的法則や機械的なシステムを超えたものでなければならないでしょう。

誕生した後も、生命は生き残るために常にエントロピー増大の嵐に立ち向かわなければなりません。生物ももちろんマクロな物質ですので、放っておけばすぐに無秩序(死)に向かうはずです。しかし、死に到るまでは秩序は保たれている。エントロピーを減少させる方向に生きているわけです。このように、エントロピー増大の法則に立ち向かい、生命として誕生し、生き残ろうとし続ける意思、これを私は生命の主体的意思と呼んでいます」(橋本淳一郎「宇宙を創造した生命の意思」(「MOKU」2015年10月号所収)より抜粋)

 

生命、とりわけ人間のそれを、普遍則としてのエントロピー増大の法則との逆相関関係において論ずるという方向性は、かつて私が遇々、ご挨拶申し上げる機会を得た清水博先生と相通ずるものがある。ただし清水博先生の場合には、自由な意思をもってこれ(エントロピー増大)に対抗するということをもって「生きる」のは人間のみであるとするのに対し、橋本淳一郎先生の場合にはより広く「生命の主体的意思」として取り上げている点が興味深い。より巨視的な観点からするとそれで良いように私も考える。

橋本淳一郎先生の論で更に興味深いのは、このことと、相対論における「時間概念」とを結び付けて論じていることだ。更に引用を続けたい。

 

「主体的意思は必ずエントロピー増大の方向に向かって生まれます。逆にエントロピーが減少する世界を考えると、乱雑な原子・分子の配列から勝手に秩序が生まれてくることになりますから、このような世界では主体的な意思は生まれる必然性がありません。主体的意思が生まれるためには立ち向かう壁が必要不可欠なのです。

私は、この主体的意思が、過去から未来へと向かう時間の流れを生んだと考えています。・・・(中略)・・・ある瞬間、生命の前にエントロピーの増大する方向と減少する方向の選択肢が示されたとします。・・・(中略:註「相対論は時間の流れの向きを考えないので」)・・・時間の流れはないのですから、あらゆる瞬間に選択肢が存在します。そうすると主体的意思は、生き残るために必ずエントロピーの増大する方向を選択します。エントロピーの減少する方向は主体的意思の喪失、死を意味するわけです。次の瞬間も、その次の瞬間も生き残るためにエントロピーの増大する方向を選び続ける。この不可逆なベクトルが時間の流れを生んだのではないでしょうか」(同上より抜粋)

 

なぜかくも長文の引用をしたのかといえば、私はかつて統合論(Integrationslehre)と日本文化論とを融合した形でドイツ語の論文を記した際、これに似たことに言及した経緯があるからだ。その際、誠に直感的にではあるが、私は概略次のように論じた。

 

「日本人は時代の節目に到達すると必ず、あらためて『統合』をし直す。その際に同時並行で進むのが時間概念に関する精神上の整理なのである」

 

これまでの日本史の流れを振り返ると、一つのパターンを読み取ることが出来るのである。まず我が国の社会はある段階からどういうわけか、とめどもなく混乱し始める。とにかく大混乱となるのである。従来のシステムを維持しようといくつかの改革が試みられるけれども、結局は徒労に終わる。大失敗するのだ。

だが不思議なことにある一点を超えると一気に逆向きの動きが始まる。システムを整理し、全く新しい形へと進める力がどこからともなく働き始めるのである。従来支配的であったものは全てその力を失い、全く新しい若々しい勢力が力強く芽吹き始める。そしてその嚮導でいよいよ我が国全体が清新なシステムへと移行し始めるのだ。

こうしていわば「ニッポンVersion2.0」がやおらその姿を現し始めるのと同時に語られるようになることが一つある。それは「時間概念」の変更だ。この時、人々は口々に”時間“について語るが、そこで語られる”時間“はかつてのそれとは全く違うことが強調されるのだ。かくて「時間(概念)」と「(国民)統合」が同時に刷新される中、我が国の歴史は次のフェーズへと入り始める。

全く語られることが普段はないことだが、少なくとも私の目から見ると「日本史」とはこれらの事共の繰り返しである。したがってそうである以上次に気になるのは、「今が一体どこに位置しているのか」という点なのだ。

このことを、先ほどの橋本淳一郎先生(及び清水博先生)の議論をも踏まえつつ考えるならば、こうなるのではないか。―――「安保法制」や「異次元緩和」など、これまでの我が国における流れからするとどう見ても過大なエネルギー発露としか考えられない出来事が次々に決められ、矢継ぎ早に実施されてきている。要するに我が国という一つのシステムをある方向へと整えよう(安保法制の場合には「国家安全保障」の”正常化“、あるいは「異次元緩和」の場合には”インフレ転換“など)というわけであるが、結果として生じているのは大混乱に過ぎない。すなわち我が国というシステム全体は明らかにエントロピー増大に見舞われているとういわけなのである。かつての律令制における班田収授でいえば「年籍(戸籍)」にあたるマイナンバー制度もまた同じだ。統治者の側は整えようと躍起になっているが、結果を見るとむしろ逆であり、整えるどころか大混乱が生じてしまっている。そうした事態だからこそ、「統治者」の側は必至になってさらにエネルギー(圧)をかけてこれを整えようと躍起になる(「一億総活躍プラン」)。だがこうした”作用“はむしろ”反作用“を生んでしまい、システムとしての我が国はむしろエントロピーを増大させていく。すなわち不可逆的に「崩壊」へと進むのである。

それでは今、私自身は何をすれば良いのであろうか。――――先日、東京・晴海で行った我が国のリーディング・カンパニーにおける若手幹部社員研修で、ランチの場においてであったが、一人の男性受講者がはっきりとこう聞いてきた。

「これからが大変な時代であるようだということはよく分かりました。それでは原田先生ご自身は何をこれからされるのですか」

未だ漠としていることを是非お赦し頂きたいわけだが、私はこうした問いかけに対して次のように考えている。

第一に為すべきことは、以上の明々白々たる事実を一人でも多くの同胞に伝えることである。単なる景気循環や、政権交代といったレヴェルを超え、より本質的に今起こり得ることが私たちの「生命原理」に伴う出来事であることを理解している日本人が一人でも多くならなければならない。なぜならば我々日本人は極限まで追い詰められる、すなわちエントロピーのとめどもない増大にこれから直面するからこそ、そこでやおら全く清新な「生命の主体的意思」が発露し始めるのである。これが我が国、そして世界全体の刷新の大きな原動力になることをあらかじめ自覚しておかなければならないのだ。だがこのことは余りにも重要であるため、対面にて迫真の伝達をしなければ聴く者に通ずることはない。ましてや既存の流通経路などを用いた伝達(出版、テレビなどのマスメディア)ではその真意は、そこで流れているエントロピーの増大にかき消されてしまいかねない。そのため、これから少なくとも2年間は我が国全国を飛び回ってこれを伝えるか、あるいはインターネットという直接対面をリアルタイムで可能にする遠隔通信媒体を積極的に用いるかしなければならないのである。2018年、あるいは遅くとも2020年までの間、劇忙になることは目に見えている。

第二に私が果たすべき役割は、我が国をこれまでの流れにつなぎとめている窮極の「鎖」を断ち切る作業をリードすることである。端的に言うならば我が国の本当の“権力の中心”があえて、その後、我が国がエントロピー極大化を経て急浮上することを可能にするべく、太平洋の向こう側の超大国との間で結んだ“契(ちぎり)”を断ち切ることである。相手方は「100年の盟約」と信じ込んでいるため、これは寝耳に水となる。我が国国内でもこの“契”を未来永劫のものと解釈し、こうした仮初めの“契”から利得を得ている者が数多くいるため、そうした切断は実に大変な作業となる。だが「敵を倒すためには味方から騙す」のが必勝法なのである。そうとは決して感じさせない中、一撃必打でこれら全てを打ち壊さなければならない。最後にこれこそが今後の御代と宣誓しなければならないのでその限りにおいて「公職」への再帰は必要であろうが、しかしそのこと自体が目的なのではない。なすべきことは我が国がエントロピー極大化に抗する形で次のフェーズへと向かうための「生命の主体的意思」を自ら呼び起こし、その無窮の力でこの「100年の盟約」を叩き切ること、それ自体が目途なのである。それ以上でも、それ以下でもない。

そして最後に私が為すべきもう一つのことが、こうした根元的なる作業を次世代の日本人へとそれとして伝えるべく、根底にありながらも永続するシステムを創り上げることである。そのためにはこの新たなシステムそのものがグローバル・マクロ(国際的な資金循環)と直結しつつ、他方でその表層におけるさざ波(ヴォラティリティ)に翻弄されることなく、滴り続ける蜜蠟の様にゆっくりと、しかし着実に太い幹となる経路をつくらなければならない。このシステムを通じて流れ込み、かつこれを通じて飛び出していくものの様子を見ながら、100年後、700年後、あるいは800年の後に再び同じ状況に陥ることになる我が国において、このことについて語り、同胞を励まし、嚮導し、もって次のフェーズへと我が国と世界全体が進みゆくための仕組みに、この根元的なシステムはならなくてはならない。

世界は実のところ去る7月25日頃から新たな構造へと突入し始めているが、今朝もまたその歩みをさらに加速させたように早朝の澄み切った空気を浴びながら感じた次第である。その様な余りにも大切な時だからこそ、以上をもって私自身の宣誓とし、ここに書き記しておくことにしたい。

2015年10月25日 東京・仙石山にて

原田 武夫記す

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