「最終戦争」で自滅する我が国を救うには。(原田武夫の”Future Predicts” Vol. 23)
「それにしても武夫はよく頑張るね。たいていの場合には、この国を救おうと頑張れば頑張るほど周囲の人たちの余りにも身勝手で無関心な行動に嫌気がさしてしまうものだけれども。『それでも何とかならないか』と頑張ってもどうにもならないことに気づく。だから、志の高い人はこの国では必ず途中で変節してしまい、むしろ逆向きに走り出してしまう。あなたが最後の最後にどうなるのか、しっかり見届けていきたいと思う」
American Sepharadic elites、すなわち米国勢を取り仕切る閥族勢力の一つを継ぐべき方からこんなことをかつて言われた。今から19年前、2005年のことだ。この方は今、神戸にいる。余りにも優秀すぎるため、American Sepharadic elites、すなわち米国勢取り仕切る「本当の」ユダヤ勢のエリート集団から選ばれた日本人。そうした人物からこう言われたことを、本日(14日)たまさかこれから神戸の地に向かう直前だからこそ、思い出している。
北の大地に暮らす我が古神道の師からはこうも言われた。
「アメリカさんはこれから根こそぎニッポンの富を奪いに来るから。それらしい論理、理由を語り、仕掛けをしてくるが、それらは全て根こそぎニッポンからの富を奪い去るためのもの。だが、悲しいかな、多くの日本人にはそのことが理解出来ない。だから本当に根こそぎ奪い去られてしまう。しかし、それでは余りにも悲しすぎると思い、貴方には本当のこと、本当の術を教えることにした。せめて、ほんの一握りでも『私たちがニッポンだ』という人々が残ることが出来るようにしてもらいたいからだ」
今、全てが確かに「この方向」に向かいつつある。第一に金融マーケットにおける状況。日本株、とりわけ大型株はどういうわけか「上昇」基調にある。目先は停滞しているかの様に見えるが、年初から見れば上昇している。そしてこうしたデータを見て、いわゆる専門家たちは「我が国上場企業の業績が堅調だから」と連呼している。
しかし、街角を見ればこうした言辞が現実にそぐわないことを立ちどころに理解することが出来るだろう。街角には歳末商戦の時期だというのに多くの人が出ていない。いきなり寒くなったから、といったそういう理由ではない。確かに大企業では賃上げが叶い、人々はカネを持ってはいる。しかしそれを景気よく使おうとはしていないのだ。街角の店は次から次に潰れている。確かに物価は上がっている。しかしこれも売れに売れて困るからそうなっているというわけではなく、単に原材料高が円安ドル高の長期化で生じているから、そして何よりも我が国における就労人口の劇的な現象で価格転嫁が進んでいるからなのだ。
それではなぜ「株高」なのか?―――理由は実のところ「ルール変更」にある。金融庁の大号令の下、我が国上場企業は次々に「持ち合い株」を放棄し始めている。株式マーケットの活性化がその理由とされているわけだが、他方で持ち合い株を売却した結果得るカネを用いて当該上場企業が何かに打って出ることが出来るかというとなかなかそのための方途が見つからないというのが実際のところなのだ。具体的に言うと、企業成長を永続的に進めるため、これら上場企業は成長投資、つまりは未来のための事業投資をすべきということになるはずなのだが、我が国は既に多くの分野で「成熟」しており、成長投資をしようにもその対象がない、「投資のターゲットが存在しない」というのが実情なのである。その結果、勢い余りガネは純資産として蓄積されることになるわけだが、これにもまた東証が目を光らせている。よってこの行き場を失った余りガネを用いて一方では配当を増額し、他方では自社株買いでもするか、ということになっているのだ。そして株価だけがいたずらに上がり始めている。
株主でもあろう読者からすれば喜ぶべき展開と思われるかもしれない。しかし考えても見て頂きたいのである、去る8月5日前後の大暴落において一体誰が暴落する日本株を「大人買い」したのかを。我が国における個人ではない。またその瞬間は事業会社もひるんでいたはずだ。となると、それでも株価の値がついたということは別の存在が「大人買い」したはずなのである。―――外国勢、就中、米国勢である。
外国勢からすればその後の展開は「楽勝」などという以上に「楽勝」というべきものであるはずだ。そのまま売却しなくても、ホールドしている日本株は上述のロジックで大量の配当を生むからだ。また、年を跨いでのNISA枠の転換を踏まえ、我が国では個人をターゲットとした証券営業が盛んに行われている。そうであればここから株価が、これまた上述のとおり、「自社株買い」で上昇する中、のんびりとNISA枠で日本株を買ってくるリテラシーに乏しい我が国の個人に対して高値で売りつければキャピタルゲインも莫大なものとなるのだ。これほどまでに「楽勝」なゲームはないというのが実際のところなのではないだろうか。
対する我が国の側はというと、この様に外国勢に対して自らの富がまたぞろ奪われているという実態に全く気付かないまま「1億総投資家」路線に突っ走る一方、そこではNISAなので「時間を味方につける」などというまやかしが信じ込まれており、「今・ここ」での食い扶持には困る有り様なのである。よってやれ「103万円だ」などといった限られたパイの奪い合いをし、来年(2025年)からのトータルな社会保障改革になだれ込みつつある。
そうした中、「団塊ジュニアの世代」が露骨にターゲットにされ始めた。今回の社会保障改革によって、非常に簡単に言うならば一番人数の多い「団塊ジュニアの世代」の取り分、とりわけ厚生年金分について事実上の減額が計られる一方、その前後の世代、すなわち「団塊の世代」らと、「ミレニアム世代」はむしろ増額すら享受する案が実現されようとしているのである。これは一大事である。
なぜならば「ある国家は、その国家を構成している世代において最大の人数を誇る世代が、同時に最も富を握るという状況になった時に反映する」ことが明らかになっているからだ。今や典型的な逃げ切り世代となっている「団塊の世代」のことを想起すればこのことはすぐに分かるはずだ。30代半ば頃の働き盛りの時代に平成バブルの時を迎え、富を享受したこの世代。その後のバブル崩壊期においては同時にグローバル化とIT化への対応を迫られたが、既に40代半ば以上になり、決定権者として現場での対応を迫られていたわけではないので、下の世代にそのしわ寄せへの対応を迫ることで逃げ切れたのである。そしてITバブルの時には50代、不動産証券化バブルの時には60歳になるかどうか、アベノミクスの時代には退職金をもらったかもらわないかといった年齢を迎え、毎回そこで裨益してきたのである。そしてその声は常に我が国において支配的なものとされ、社会のあらゆるセクターにおいて圧倒的なものとして未だに処遇されている。
それでは対する「団塊ジュニアの世代」はどうか。―――大学に進学するや否や「平成バブル」が崩壊し始めた。そして卒業すると「就職氷河期」となり、非正規雇用の世界に入ることを余儀なくされた者が続出した(そしてその多くが未だに這い上がれないままである)。かろうじて生き残ったものも、「IT化」「グローバル化」「金融資本主義化」への対応を間断なく求められ、疲労困憊しきっている。いや、それ以上にそうした中でのリスキリングを拒否してきた者が大勢いたはずである。そして今、彼・彼女らはついに50歳代の時を迎えつつある。「年金が最後の砦」と思いきや、上述のとおり、その部分が「社会全体のために」という名目でヘアカット(削減)されてしまうのである。統計を見ると、この世代の男性の実に3分の1が未婚なのだという。人生、結婚が全てではないが、この巨大な「団塊ジュニアの世代」が今後、後期高齢者へとなっていく中で「老々介護」すら出来ないといった状況になった時、我が国社会はどうなってしまうのであろうか?
それでも、海の向こう側の「敵」は容赦ないのである。我が国がこのまま行くと「団塊の世代」「団塊ジュニアの世代」「ミレニアム世代+Z世代」の三つ巴による「倭国大乱」へと陥っていく中であっても、実に容赦なく、しかし表向きは実にジェントル(紳士的)に我が国の国富を根こそぎ奪っていくのである。そうした中で我が国はというと「万人の万人に対する闘争」へと文字どおり転落していく。組織的抵抗をしようとしても、「団塊ジュニアの世代」はまだしも、それより下の世代は「組織戦」のやり方をしらず、力を合わせるために団結する、そのやり方を知らないのである。結果、個別撃破され、要領の良い者たちは海の向こうへと事実上連れ去られて行き、我が国には意思と能力をこの意味では持ち合わせない者たちだけがゾンビの様に漂うことにあるであろう。正に「亡国」、そう本当の意味での「亡国」の時がいよいよ始まるのだ。
「ねぁ、武夫。やはりそうだったでしょう?だからこちら側に貴方は来るべき。そんなところで我慢して無駄な時を過ごす必要なんて全くない」
神戸のJapanese-Amerian Sepharidic Eliteから、そんな甘言のメールがやって来そうな気がする。しかし、正直、こうした声にはどうしても心の奥底から(from the bottom of the heart)肯ずることの出来ない自分がいる。どうしてかは分からない。日々、徹底して無理解を身の回りからたとえ受けていたとしても、それでも最後に首を縦に振れない自分を私は今、感じ続けている。
その意味での戦いはあらためて始まったばかりだ。まず最初に必須なのは、「今起きていること」が実は私たち日本勢という民族集団を根こそぎ廃絶する「民族浄化(ethnic cleansing)」という、本来であれば1945年8月の「敗戦」の直後に行われるべきことの続きであるという冷厳な事実を認識出来る同胞を一人でも多く増やすことなのだ。しかし「あの時」を巧みに乗り切った英明な君主は我が国にはもういない。そうであるからこそ、草の根を這ってでもこの巨大な課題を設定し、あらゆる困難の中でもその課題を解決し、もって我が国における繁栄を良識ある万国の人々と共に享受する仕組みを私たち自身のこの手で作り上げなければならないのである。
その意味で、来年(2025年)は私たち日本勢にとって「アントレプレナーシップ元年」となる。そのことを、正に激変となる直前のこの瞬間だからこそ、ここに宣明しておくこととする。
2024年12月14日 東京の寓居にて 神戸へと向かう前に
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト
原田 武夫記す
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本日のコラム、如何でしたでしょうか?弊研究所では来年1月、恒例の「年頭記念講演会」」を開催致します。今回取り上げたテーマも含め、じっくりとお話をさせて頂きます。ご関心を持たれた方はどうぞ、こちらから講演会の詳細をご覧ください。皆様のお申込み・ご来場をお待ち申し上げております。