猪熊弦一郎の履歴書~丸亀猪熊弦一郎現代美術館を訪ねて~ - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
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猪熊弦一郎の履歴書~丸亀猪熊弦一郎現代美術館を訪ねて~

ふらぬーるです。
本日は香川県の丸亀市丸亀猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)を取り上げます。
このMIMOCAとイサムノグチ庭園美術館にどうしても行きたくて、今月初旬に初めて(!?)香川県を訪れました。もちろん、うどん屋のはしごもしてきました(笑)

MIMOCAは丸亀駅前にドカン!とあるのですが美術館自体、周りののどかな駅前の雰囲気から良い意味で浮いていて、存在感がとてもあります。

上田様201605242

建築は、猪熊自身が生前にお願いしたという谷口吉夫氏によるものです。
このモダンなこの建物には、美術館に併設してお洒落なカフェや美術図書館、オープンスペースもあり、『現代』と名付けられた美術館にふさわしく、亡き猪熊の希望に応えて、現在も若き現代美術家が作品を発表する場としても機能しています。

猪熊弦一郎は1902年に香川県高松市で生まれ、丸亀市に転居し、幼少期を過ごします。東京美術学校に進学し、藤島武二に師事。1938年、フランスに移り、アンリ・マティスの指導を受け、藤田嗣治などと交流を持ちますが、1940年第二次世界大戦が勃発し、最後の避難船白水丸で帰国することになります。1955年からは、ニューヨークに拠点を移し、画風は一気に抽象画に移っていきました。1975年、脳血栓で倒れたのちはハワイで毎年冬をすごすようになり、1993年に亡くなりました。

猪熊氏の絵画では、ニューヨーク時代に描いた顔シリーズが有名ですが、絵画以外の仕事にも積極的に取り組み、三越の包装紙のデザインや上野駅コンコースの壁画『自由』

などを手掛けています。

上田様201605243三越の包装紙『華ひらく』

 顔シリーズは、当時ニューヨークで一世を風靡した抽象画ブーム、そしてマーク・ロスコといった抽象表現主義の画家たちとの交流から刺激を受ける中、妻の死後、悲しみにくれる猪熊が、顔ばかりを書いていたらそのうち妻が表れるかもしれないと悲願の胸の内に描いたのが始まりでした。次第に、猪熊にとって、描くものは全て具象も抽象もない、どれもおもしろい形であり、顔もその形への興味の的として重要なテーマとなっていったようです。

生前、猪熊自身が谷口に設計を依頼し、自身が持つコレクションを全て寄贈したMIMOCAは世界一の猪熊弦一郎コレクションを有しており、幼少期から青年期、円熟期、晩年までの作品群を全て網羅し、また彼が収集したオブジェまで保管しています。

今回の企画展『わたしの履歴書』は、MIMOCAだからこその企画で、猪熊の幼少期からフランス滞在までの作品群が展示されていました。

絵の横には、1979年から日本経済新聞に掲載された自分の半生を綴った人気コラム「私の履歴書」からの文が添えられていました。

作品の展示の仕方にはいろいろありますが、絵画の場合、画家の転機点を意識し、時系列に並べられている展示方法が私は好きです。小学生時代の落書きや、画家自身のことばは、画家の歩んだ人生の証人として重要な意味があり、作品自体に感動すると同時に、作品が生まれた背景やそのときの画家の状況を想像するのに貴重です。

猪熊の綴った「私の履歴書」では、香川ののどかな土地で育った、絵を描くことが大好きな子どもが、広い世界に飛び出して、様々な人と出会いながら切磋琢磨し、画家としての自己を確立していく過程が、軽快な語り口で書かれています。今回はその自伝の前編として、パリ遊学時代までを転観でき、後編は11月19日より開催されるようです。

 猪熊は小中時代から絵がうまく、美術の先生に「おまえが代わりにみんなに教えなさい」と言われたほどだったそうです。そんな彼が東京美術学校に進学し、その頃の写実画も息をのむほど上手く、晩年の抽象画とは異なるジャンルでも画家としての腕の確かさを見て取れました。『婦人像』は美術学校に在学中に描いた、後に妻となる文子夫人をモデルにした作品です。本作は展覧会の初入選作品となりました。上田様201605245『婦人像』1926年

 

そして憧れのマティスやピカソの絵から学ぶ日々が過ぎ、ついにフランスへ渡航、マティスに師事する機会を得た猪熊。そこでマティスは「おまえの絵はうますぎる。」と猪熊に言います。その言葉は猪熊にとって非常にショッキングなもので、自分自身の画風が確立できておらず、人の目を気にしていた自分に気づくきっかけとなりました。この『サクランボ』は渡航後すぐに描いたものですが、ヴィヴィッドな色遣いに平面的な構成といい、マティスの影響が大きく見られます。

上田様201605246『サクランボ』1939年MIMOCA蔵

 『マドモアゼルM』は第二次世界大戦勃発のために帰国することになった直前に描かれたものです。ピカソの青の時代を彷彿とさせる色使い、そして家族ぐるみで付き合いがあった藤田嗣治の画風からの影響も感じます。

 

上田様201605247『マドモアゼルM』1940年蔵

 パリで大画家たちの刺激を受けた猪熊のこの時代の絵には、随所に彼らの影響が見て取れるものの、その中で自分の画風を確立すべく苦悩し試行錯誤する様子が目に浮かびます。『魚と女』では、後の顔シリーズにつながる猪熊弦一郎らしさの萌芽を認められるのではないでしょうか。

上田様201605248『魚と女』1939年

 常設展で展示されている、猪熊弦一郎が『猪熊弦一郎』になるまでの全体過程を見るには、帰国後の戦後の東京時代、ニューヨーク時代の作品を展示する『私の履歴書』展後編まで待たねばなりません。

今回の企画展と常設展の空白の期間が気になってしょうがない私です(笑)
うどんに骨付きどり、豊かな自然、そして猪熊弦一郎現代美術館を有する丸亀市の魅力を知ったからには、紅葉の時期に再訪を早くも企んでいます。

 

【執筆者プロフィール】
flaneur (ふらぬーる)
略歴 奈良県出身、1991年生まれ。都内医学部に在籍中。こころを巡るあれこれを考えながら、医療の『うち』と『そと』をそぞろ歩く日々。好きなことば : Living well is the best revenge.

 

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