年の瀬の尾道探訪記(連載「美と心の旅」・その7) - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
  1. HOME
  2. ブログ
  3. 年の瀬の尾道探訪記(連載「美と心の旅」・その7)

年の瀬の尾道探訪記(連載「美と心の旅」・その7)

新年あけましておめでとうございます。

特別コラムニストとして、昨年十月から連載「美と心の旅」を担当させていただいておりますふらぬーるです。

ご購読いただいている皆さま、そして原田先生のご厚意で、今年度も連載を継続させていただく運びとなりました。まだまだ人生経験も文章も未熟ですが、心がほっこりするような小記事をお送りしていく心づもりでおります。引き続き、ご支援どうぞ宜しくお願いいたします。

さて、年末年始は如何お過ごしでしたか。

肌にあたる風の刺激も心地よいほどに暖かい今冬、私は年の瀬に海風を仰ぎに尾道へ行ってまいりました。

奈良盆地という海のない県に生まれたからでしょうか。瀬戸内海に面するこの開放的、かつレトロな雰囲気に惹かれますこの街に、今回初めての来訪が叶いました。

天然の良港に恵まれた尾道は、平安時代の嘉応元年(1169年)、備後大田荘(後、高野山領)公認の船津倉敷地、荘園米の積み出し港となって以来、商船の寄港地として、中世・近世を通じて繁栄していました。尾道に寺社が多いのは、港町・商都としての発展が生んだ各時代の豪商たちにより多くの神社仏閣の寄進造営が行われたためだそうです。

その中でも、特に観光地として有名なのが千光寺で、NHKの恒例の年越し番組、『ゆく年くる年』でも千光寺の除夜の鐘が鳴り響く様子が放映されたことも。

尾道の誇る西日本一長い商店街を出まして、ロープウェイで5分、あるいは坂を上ること20分ほどのところにあります。
展望台からは瀬戸内海とその島々、そしてその先にぼんやりと四国と、絶景が広がります。

上田様その7_2千光寺展望台から見下ろす瀬戸内(筆者撮影)

 展望台から千光寺への下りにある『文学の小道』では、林芙美子、志賀直哉、松尾芭蕉等の尾道にゆかりのあるひとのことばが刻まれた石碑に配されています。

志賀直哉の旧居といえば、個人的には奈良の高畑にある居(「食いものはうまい物のない所だ。」の随筆『奈良』を書いた時期(1929年~)ですね、トホホ・・・)のイメージが大きく、尾道にも居を構えていたとは知りあげませんでした。

ここで志賀の石碑に刻まれたことばをご紹介。

六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく
ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ,又一つ,又一つ
それが遠くから帰ってくる
其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す,それはピカリと光って又消える
造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す

志賀は宮城県の出身ですが、父との不和のため実家を飛び出した大正元年に移り住んだ先が尾道でした。なぜ尾道だったのか。それはひとつに、尾道が自分の原風景である石巻の幼児期のそれと重なったからなのでしょう。

千光寺の山の中腹に立てられた長屋は、今でもおのみち文学の館として観光客に開放されています。代表作『暗夜行路』の草案が練られた部屋もあります。

志賀のことばから百年近くたった現在、観光地としてますます賑わいを見せている尾道港は、夜はクレーンのカラフルなライトアップ(六本木ミッドタウンのイルミネーションをデザインした会社が手掛けたそうです。)で華やいでおり、燈台の光がまぶしく感じられた時代が懐かしく感じられます。

造船所も、上の写真の通りまだまだ現役稼働中ですがその数はぐんと減り、海沿いのバラックはほぼ全部と言っていいほど取り壊されました。

近年は世界からサイクリストから大注目を受けているしまなみ海道の起点である尾道には、サイクリング関係のお店も散見されますが、海沿いの空き倉庫が改修されホテルとして生まれ変わった例も。

このOnomichi U2というサイクリスト向けのホテル、客室までそのまま自転車を持ち込んでいけるという尾道ならではの斬新なホテルです。古びた鉄筋の風合い、ひんやりとした質感も残しつつ、おしゃれに生まれ変わったこのスポット、小生も次回はぜひ自転車を携えてのしまなみ再訪をたくらんでおります。(笑)

さて、周辺には観光名所が他にも山のようにありますがもう一つだけご紹介いたします。尾道からしまなみ海道を渡り、向島、因島を隔てた先の生口島にあります平山郁夫美術館です。

上田様その7_3平山郁夫美術館(筆者撮影)

 志賀の旧居が尾道にあったことも意外でしたが、平山画伯が生口島の瀬戸田町で出生とは(こちらもあくまで個人的に)意外でした。

平山画伯は仏画を中心に描かれ、また、法隆寺、薬師寺の壁画修復などへ大きく貢献されました。私の故郷、奈良でも個展がよく開催されておりました。

仏教への強い関心から、その起源と辿るべくシルクロードの遺跡への取材も150回以上行っており、アフガニスタンや中央アジアで描かれた風景画、人物画も多数遺されています。

平山画伯の個展は各地で結構頻繁に催されているのですが、生口島にあるこの美術館の特徴は平山画伯の幼児期、学童期の作品も展示していることです。

展示室での撮影は禁止でしたのでその作品をお見せすることができず残念ですが、十にも満たない子どもが描いたとは到底思えない作品群を目にすることが出来ました。鋭い観察力と精緻な描写、幼くして既に画家としての才能を発揮していたことが窺われます。レンブラントのデッサンを見ることはできても、幼児期の作品を目にすることはできませんものね・・・

平山画伯の幼児期の作品はこのようにきちんと保存されていることにただただ感謝です。

そして、シルクロードの取材の際に出会った街の人々をささっと水彩で描いたポートレイト等の小作品や、故郷瀬戸内をテーマにした作品群もあり、平山画伯の心象風景、そしてシルクロードの旅路の世界へと鑑賞者を誘ってくれる展示構成となっております。

平山画伯の風俗画が気になる方は是非、訪れてみてくださいね。

関連記事