堕ちた”ノンキャリアの星“を作ったのは誰か。 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)
マイナンバー制度のシステム設計に絡む収賄容疑で厚生労働省の室長補佐が逮捕された。差し当たり容疑となっているのは関連業者から100万円を受け取ったことであるのだという。
私は事件の当事者と直接の関係を持たないので「真相」をつまびらかに知ってはいない。しかし、かつて霞が関を震撼させた2001年から始まる「外務省公金横領事件」に際し、一貫して内部調査を担当し、監察業務を行って来た立場から見て率直に言うと「またあのパターンか」とある意味、懐かしくすら思うところがある。
関連報道曰く、この事件の容疑者である中安一幸室長補佐は高卒で入省した、いわゆる「ノンキャリアの星」の典型とでもいうべき人物だったのだという。情報システム関連の部署で勤務を続け、その知見という観点では他者の追随を許さない立場を確立する一方、徐々にキャリアの幹部職員からしても勤務実態を把握することが出来なくなるほど、“アンタッチャブルな存在”になっていったとも報じられている。
これは霞が関におけるある種の典型だ。我が国の中央省庁における不祥事は往々にして「キャリア官僚という特権階層が甘い汁を吸っているから生じる」と世間では思い込まれている。だがその実、キャリア官僚よりはるかに性質の悪い不祥事を続々起こしているのが「ノンキャリア官僚」たちなのである。だが、マスメディアたちはそのことをあえて報じないきらいがある。「そもそも弱い立場にある者をいじめるのはどうか」というわけだ。
外務省においてかつて「内部捜査官」を務めた経験を持つ私からすれば、こうした認識は決定的に間違っている。なぜならば第一にノンキャリア官僚は頻繁に人事異動する(往々にして2~3年に1回)キャリア官僚と違い、特定の現業分野におけるプロフェッショナルとして育てられ、いわば利権の創設と維持・育成を学べる立場にいるからだ。そしてしばしば中央省庁においてこれらノンキャリア官僚に関する人事権は、ノンキャリア官僚の“ボス”とでもいうべき人物たちによって握られている。いわば「聖域」となっているのであって、ここにメスを入れようとするキャリア官僚は皆無なのが実態だ。なぜならば、そうした「聖域」を守ることによって少なくとも自分たちが「官房長」「人事(秘書)課長」「首席事務官(総括課長補佐)」「総務班長」である時代に“物事がうまく廻る”ことが確保出来ればそれでよしと彼らは考えるからだ。
そうした中で問題となるノンキャリア官僚たちは外部業者との癒着を前提に、裏金作りに着手することになる。これは往々にしてある種、偶然で始まることが多いのが実態だ。最初はこうしたノンキャリア官僚たちとはいえ、「青雲の志」をもって中央省庁に入ってきているのだ。だがそこではすぐに厳しい現実が待っている。「高卒」では決して“偉くなること”が出来ない硬直的な人事制度。中央省庁の花形キャリア官僚たちがこなす“格好いい仕事”とは異なり、あくまでも地味で単純なルーティンが続く日々。それでも歯を食いしばって続けていると、ある時、キャリア官僚である上司たちが事実上、監督権を及ぼすことがない中、「甘い汁」を利権から吸うやり方があることを先輩ノンキャリア官僚たちの無言の行いの中に見て取るのである。そしてある時、これら先輩ノンキャリア官僚たちからこれまた無言の圧力がかかってくるのだ。―――「貴様も俺たちと同じようにしろ。さもないとここで生きてはいけないようにしてやる」
恐る恐るこれに従うわけだが、その先では何のお咎めもない。一度壁を越えてしまうと、後は次、そしてまたその次、という風になってくる。そして内心こう思うのだ。「俺たちノンキャリ官僚は、どのみち出世などしやしない。その代りにこうした”副収入“あって当然なのだ。何せ、役所を支えているのは俺たちノンキャリアなのだから」
だが、この”システム“を半永続的なものにするためにはもう一工夫がいる。それなりに省内での「利益分配の構図」を創り上げることである。そのターゲットは2つある。
一つは同僚であるノンキャリアたちへの分配である。彼らが占めている現業分野でのし上がるために必要なのは、いかにして多くのノンキャリアの同僚たちに文句を言わせることなく、大量動員をかけられるか否かである。仮に「足軽」たちであっても、彼らが大勢いないことには進まないのが未だに人海戦術に頼っている我が国の中央官僚制なのである。キャリア官僚たちという「将軍」「老中」たちは結局のところ神輿の上に乗っかっている飾りに過ぎない。それを担いでくれる大勢のノンキャリアたちがいなくては、何も出来ない存在。それがキャリア官僚たちの実態なのだ。だからこそ件の「システム」によって捻出した資金をもって、敏く野心溢れるノンキャリア官僚たちは同様であるノンキャリアたちについて酒食の面倒を見るようになる。そうして普段から利益供与をしておけば、多少は無理な願い事を業務上言っても、何とかしてくれるのだ。するとある段階から今度は「あの人に御願いすれば物事がスムーズに済む」という評判が組織の中でたってくる。そうなればしめたものだ。あとは雪だるま式に我が組織は創り上げられていく。
ここでもう一つ大切なのが、キャリア官僚、しかもトップ・クラスのそれに対する利益供与だ。世間を知らないキャリア官僚たちは何かというと失態をやらかす。特にカネ勘定に疎いので、帳尻が合わなくなってくるのだ。「飲み食い」をしまくる結果、予算をオーバーする。あるいは省内の異性の部下に手を出して、危うく手痛いしっぺ返しを受けそうになる。こうした“失態”を演じそうになった彼らキャリア官僚たちが困っているところへ、笑顔で手を差し伸べてやるのだ。「大変ですね、是非お手伝いさせてください。貴方は我が国の将来を担う御方。お力になりたいのです」
こう言われて困るキャリア官僚はほぼ皆無だ。「良く分からないが、とにかくここはすがってみるしかない」と浅はかにも考え、渡りに船の“船”に乗ってしまう。するとどうだろう、不思議なことにこれらの“問題”は立ちどころに解消してしまうのである。「これはすごい、デキる奴だ」ということになり、そのことを同僚であるキャリア官僚のリーダーシップたちの間で噂するようになる。噂が噂を呼び、「これもやってくれないか」「あれもやってくれないか」という風になればしめたものである。もはや人事当局ですら文句を言えない存在にまでこのノンキャリア官僚は上り詰めることになる。何せ、この人物のバックには“あの事務次官”、“あの局長”がついているのである。こうした不文律には逆らわない方が身のためだということを瞬時に悟る能力には長けているキャリア官僚たちは、今度は後任たちにそのことを伝えることに精を出すようになる。
「この役所を支えているのは俺様だ。俺様がいなければこの役所は廻らない」
優越的な地位を省内で獲得することに成功したノンキャリア官僚の下には、そのことをかぎつけたマスメディアの記者たちが日参すらするようになる。何せ、キャリア官僚たちの「下半身」を知っている男である。すぐに記事には出来ないにせよ、いざという時のためにそのことを教えてもらっておきたい。その代わりにキャリア官僚たちが命の次に大事だと信じ込んでいる「人事情報」についてこのノンキャリア官僚に教えてやるのである。「次の局長はこの人物」「この課長は更迭されて、この室長がランクアップする」といったことを誰よりも知るようになれば、ノンキャリア官僚としてはもはやキャリア官僚たちの生殺与奪を握ったようなものである。あるキャリア官僚を巡る異動について内々定のレヴェルでその情報を分けてもらうことによって、当該人事異動で不利益を被る別のキャリア官僚は盛んに「ネガティヴ・キャンペーン」を張り、自らの「猟官運動」を行うことが可能になってくるからだ。そしてめでたくお目当てのポストを手にすることが出来れば、「このノンキャリアは使える」ということに更になってくるのは言うまでもない。
もはやこうなると、地道にノンキャリアとしての現業に励むことなどばかばかしく思えて来る。どのみち、毎晩、マスメディアの番記者たちが美しいホステスがいる有名クラブで奢ってくれるのである。連日午前様となる中、「今日は半休で言いだろう」「いや、夜こそ俺の出勤時間だ」となる。一応、所属する部署には”愛人“を兼ねた、美人で真面目な部下を一人置いてある。たまにハンドバックやら、宝石やらを買ってやってその機嫌を損ねることがなければ、業務は廻っていくのである。正に「我が世の春」だ。
「彼は“わが社”のために実によくやってくれている。大学のポストでも与えてやってはどうだ」
ある時、そんな願ってもない“天からの声”が降って来る。夜の街で世話になり続けたキャリア官僚の最高幹部が、その人事権を「高卒コンプレックス」がそれでも拭えない彼のために恣意的に行使してくれたのだ。与えられるポストは「准教授」「講師」。本来ならば、博士論文を書いていない限り与えられることのないポストだ。
「今日から俺もついにアカデミズムの住人だ」
引き続き現業部門における利益分配システムの頂点に立ちつつも、社会的ステータスを得た彼の下にはさらに多くの省内外の人々が寄り集うようになる。中にはこれまでの様に裏帳簿でうまく処理するのではなく、「これ、毒饅頭ですが」などといって菓子折りの中に露骨な形で分厚い現金を包んでくる業者すらいる。件のノンキャリア官僚もさすがに面食らうが、もはや”アンタッチャブル“な自分なのである。「いや何、どうせばれたとしても省内やメディアで俺のことを書きたてることが出来る奴などいるわけがない」―――そう思うノンキャリア官僚はこの”毒饅頭“を受け取ることになる。するとこれまた面白いように一つ、そしてまた一つと手の中に転がり込んでくる。新しい「錬金術」の始まりだ。
だが、哀しいことにこのノンキャリア官僚には一つだけ死角があるのである。キャリア官僚たちに呼ばれて出た酒食の席、あるいは正式なブリーフィングの席において、ついつい横柄な態度を「政治家」に対してとってしまうのだ。いや、本当のところそれほど特別な振舞いをするわけではないのである。与党の利権構造において頂点に立つこの「政治家」の前でキャリア官僚たちがひれ伏す中、このノンキャリア官僚はいつものとおり振舞うに過ぎない。「政治家」がとんでもない要求をキャリア官僚たちに繰り返す中、たった一人だけ「出来ないことは出来ない」と言い切るのである。その場はキャリア官僚たちが言い繕うことで乗り切るが、後日、「政治家」の怒号が永田町から飛んでくることになる。
「あいつは何者だ。首を絞め上げて差し出せ」
するとそのことを聞きつけたマスメディアの番記者たちが密かに動き出す。何せ、日常的にこのノンキャリア官僚の“非行”については聴かされているのだ。「オンナ」「カネ」「恐喝」「無断欠勤」など、数多くある”非行“の中でも決定打をもってスッパ抜きの報道をある日突然始めることになる。例の「政治家」が”それでよし“とほくそ笑む中、キャリア官僚たちの方向性も自ずから決まって来る。
そうした報道が行われることを事前に知ったノンキャリア官僚は「何とかしてくれないか」と、これまで世話をしたキャリア官僚たちを相手に怒号をあげ続ける。だがこれまでならば必ず「何とかしてくれた」はずのキャリア官僚たちはにべもなくその要求を断るのだ。それもそのはず、「政」に対して「官」は絶対服従というのが民主党政権時代以来の”確立された新しい霞が関におけるルール“だからだ。むしろ「政」の側の要求がなされる前に内部調査チームを立ち上げ、このノンキャリア官僚の”非行“を徹底的に調べ上げ、とりわけ「政治家」が国民世論との関係で困っている案件に関連し、ノンキャリア官僚の”生贄“をもって国民世論の怒りの矛先の向け先とすることでこの「政治家」を支えるのが得策なのである。そこでキャリア官僚たちは得意のリークを徹底して行い、「悪いのはこのノンキャリア官僚だ」という論調を徹底して固める。無論、ノンキャリア官僚から執拗にかかって来る電話になど出るはずがない。「着信拒否」を決め込むのである。
キャリア官僚たちにとってこの一件で大切なのは、東京地検特捜部、そして警視庁と折り合いをつけることだ。省内においては徹底して情報管制を敷き、間違ってもこれまで長年にわたって利益供与を受けてきた自分たちには火の粉が降ってこないようにしながら、これら司直の手に対しても「悪いのはこのノンキャリア官僚」という論で貫くのである。相手は最初、「そんなことあるものか、おたくのキャリアたちも甘い汁を吸っていたはず」と言い切るが、法務省や警察庁といった“霞が関の住人”たちとの間では所詮は同じ中央省庁、正に持ちつ持たれつなのである。人事を司る官房のラインで、これら中央省庁のキャリアたちの「お休みポスト」をいくつか差し出すことで折り合いを付ければ良く、あるいは与党との関係で今年度国会で実際に成立させることになる法案数を譲ることで話しをつければもっと良いのだ。そして最後は、「おたくの省庁も大変ですな、まぁ今後は気を付けるように」ということで手打ちになる。
一方、件のノンキャリア官僚にとってはストーリーが終わるわけでは全くない。イエロー・プレスから追い回され、子飼いの“愛人”との省内不倫にまで書きたてられる。弁護士に相談すると、「有罪が確定してしまう前に妻とは離婚し、持っている財産は全て妻に移しておかないと、出所してからの生活が持たない」とまで言われる。事態の一連の進展を前にして、発狂寸前にまで追い込まれた哀れな妻を何とか説得して離婚届に判子を押させる一方、連日連夜の様に厳しい捜査に応じるノンキャリア官僚。どこで調べたのかは分からないが、自分のメール・アドレスや、自宅の電話、そして携帯電話にまで「国民の声」を名乗る怒号が山のように届けられる。
そして「逮捕」「裁判」「判決」、「収監」。経済犯罪なので所詮は大したことはないと弁護士から聴かされていたが、それまでとは余りにも違う待遇の“ムショ”の中で心底痛めつけられることになる。それでも耐えに耐え、ようやく出所の時を迎えると、これまたどこで知ったか分からないが、親元の省庁の「官房長」から連絡が届くのだ。
「さぞかしお疲れでしょう、どうですか、食事でも」
恐る恐る行くと、かつて面倒を見たキャリア官僚の一人が「課長」から「官房長」になって目の前に座っている。
「お疲れさまでした。早速ですが再就職先、お困りではないですか。この清掃会社の事務員のポストが空いているらしいのですよ。貴方は真面目だし、仕事場は静かな場所ですから、どうでしょう、ここは一つ穏便に未来に向けて再出発されませんか」
“官房長”の魂胆は分かっている。風化したとはいえ、大スキャンダルとなった「あの事件」について、今度は独白録を書かれるのが怖いのだ。中身が中身なら、大出版社が取り上げ、10万部、20万部、そして50万部と売上げ、ノンキャリア官僚は「汚名挽回」の機会が与えられると共に、数千万円の印税が転がり込むことになる。だが、それでは役所として困るのである。利益供与を受けた全てのキャリア官僚たちが何時、どこで、何をどれくらい受け取ったのかをばらされたり、あるいはそもそも事の発端となった例の「政治家」に“ご迷惑”などかかってしまったら一大事なのである。ここは一つ穏便に、そうあくまでも「穏便に」事を済ませるべきなのだ。
再就職のオファーを受けてしばし食事の箸を止めるノンキャリア官僚。“ムショ帰り”とあって丸刈りとなったその頭にはそこかしこに白髪が見え始めている。じとっと額をつたう汗の玉―――。
「分かりました。どうもありがとうございます。大変、御迷惑をおかけしました」
深々と頭を下げるノンキャリア官僚。それを無言で冷たい眼差しで見つめる官房長。ここでまた霞が関の”小皇帝“が死んだ。
早ければ2017年から2018年頃には訪れる「ニッポン・デフォルトの時代」。官僚たちが大量失職するその時代を目前に控え、これから更に一体何人の”小皇帝“たちが血祭に挙げられるのだろうか。
2015年10月18日 東京・仙石山にて
原田 武夫記す