上海で今、何が動いているのか(1) (連載「パックス・ジャポニカへの道」)
2015年5月23日より中国・上海を再訪し、この地にある中国第3位のランキングを誇る復旦大学が主催する「上海フォーラム(Shanghai Forum)」に出席している。会合そのものは同25日まで続くが、いくつかの重大な進展があったのでこの場に記しておきたい。
そもそもこの「上海フォーラム」は例えば世界経済フォーラム(WEF、ダボス会議)等に比べると未だ我が国において認知度が低いイヴェントだ。しかしこのフォーラムは2005年に初回が開催されて以来、10周年を誇るものだ。主催は上述のとおり復旦大学(1905年創立。名前の由来は再び朝が訪れ、輝きを取り戻すという趣旨の漢詩にあり、清朝末期に追い詰められた中国人の知的エリートたちが祖国の再興のために設けた教育機関が原型である)だが、そのための資金をサポートしているのは韓国屈指の企業集団の一つであるSKグループである。つまり「中韓合作」の企画なのであって、これに後述のとおり、米欧勢の専門家たちが集い、議論をする場になっているのである。東アジアにおいて今、何が語られ、何が本当のところ動かされそうになっているのかを知るには絶好の機会であることはすぐにお分かりになるのではないかと思う。
そこで気になるのは我が国からの出席者なのであるが、例によってかなり寂しいものであった。政治レヴェルでは越智隆雄・内閣府大臣政務官が招かれており、また行政という点では山崎達雄・財務省財務官が出席している。しかしそれ以外には出席者はほぼ皆無であり、我が国が未だに「対中関係」という国家関係の変動に囚われる余り、”ここ一番“という今のタイミングであるにもかかわらず、実に皮相な対応に終始していることが明らかだった。
主催者側もこの点について大いに不満に感じていると現地において聴いている。確かに政治及び官僚レヴェルでの出席はあるものの、実際のところ現在の中国においては「学術研究」は限りなく「情報機関」とも密接な世界のものであり、元来は静かに、そして継続して行っていくべきものなのである。中国側の意図としては、名門・復旦大学というブランドを用いつつ、こうしたことの「意味」が分かる“専門家”たちを寄り集わせることが本来の目的であったようなのであるが、そもそもインテリジェンスの「イ」の字を理解せずして育てられている我が国の学術研究者の多くはそのことを全く理解出来ないようなのである。
それ以上に、中国、とりわけかつて「魔都」とまで呼ばれた上海はもはや「中国第2位の都市」にとどまる存在ではない。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)の本拠地の一つでもあり、そこに国家としての中華人民共和国が主導している「一帯一路(One Belt One Road)」政策が重なってきているのである。その分だけ全体像を理解するのは極めて難しくなっている一方、実に興味深い展開になっていることは言うまでもない。しかし哀しいかな、我が国の「中国研究者」はかつての意味での共産中国の延長線上でどうしても物事をとらえる癖があるため、世界中の華僑・華人ネットワーク、さらにはユダヤ勢=アシュケナージ勢の意図が渦巻く中で今、ここ上海で大きく動いているうねりをとらえることが出来ないのだ。「上海フォーラム」に研究費を捻出してでも来ようとする研究者が我が国から皆無であるのは、我が方の側におけるそうした完全に出遅れた姿勢があることによるのは火を見るよりも明らかであった。
会合の席上における議論は現下の東アジア情勢を如実に反映しており、グローバル・マクロ(国際的な資金循環)をベースにグローバル社会の全体像と未来を把握し続けることを営みとしている私にとっては実に興味深いものである。たとえばスポンサーである韓国勢であるが、昨今の経済不況を反映してか、旗色は悪く、遠慮がちな感が否めない。かつてのように「韓国が、韓国が!」といった調子ではない一方、分相応な仲介役としての役割を大国間で最低限確保して行こうという国家戦略をベースに席上の出席者全員が動いていた。
一方、「主催者」である中国勢は正に破竹の勢いといった感じである。我が国ではほとんど開催されることのないこの手の国際会議であるが、これを継続して運営し続けることには実に多くの困難が伴う。そうした中で今回の「上海フォーラム」は10回目を数えたわけであり、そうした実績を踏まえ「中国こそが東アジアの未来を担う主導役である」という自負が如実に感じられた(そうした様子を見るにつけ、過去10年にわたり、さらに「内向き」の対応ばかりに終始し、こうした国際会議を大学機関をベースに国家戦略として展開するというアイデアなど全く湧く余地のなかった我が国が嘆かわしく感じられてたまらない)。
そしてそうした中国勢が会合の席上、繰り返し述べているのが「一帯一路(One Belt One Road)」政策、すなわち「新しいシルクロード作り」である。アジアインフラ投資銀行(AIIB)も正にその実現のためのファイナンスを担う機関として構想されたわけであり、中国勢はそうした一連の動きが低迷するグローバル経済全体のためであるということを仕切りに繰り返していたのが印象深かった。
そうしたトーン・セッティングの上にありながら、各国からの「専門家」としての出席者たちは自らの国家戦略を説明し、これを正にこの現場で形成されつつある“論調・文脈(narrative)”の中に巧みに取り込もうとしている。フォーラムとは中国語でいうと「論壇」と呼ばれるが、「論壇」とは正にそうしたメタ・レヴェルでの知的闘争の現場なのである。一方的に物事を言っても聞く耳を持たれないのであって、相手の発信しようとする文脈を巧みにとらえつつ、そこに柔道の技をかけるような形で巧みにこちらのメッセージを折り重ねていく。そうした形で更に次の文脈を創り上げていくのがこうした場で行うことなのである。政策担当者が一方的にスピーチを行えばそれで良いというわけでは全くないのである。
たとえば今回、ロシア勢からはウラジミル=ヤクーニン・ロシア鉄道総裁が出席していたが、その基調演説の中でロシア勢が「鉄道」と「地の利」を巧みに用いて、全方位外交を展開しようとしていることを、実に巧みな英語で説明しているのが大変印象的であった。旧ソ連時代であればいずれも全く想像だに出来なかったことである。
そして極め付けは、こうしたロシア勢が専心し、中国勢が「一帯一路」政策として推し進めようとする大規模鉄道整備計画のファイナンスを行うべく創られているアジアインフラ投資銀行について、「あくまでも個人的な考えではあるが」と言いつつ、こう述べていたのが大変気になった。
「アジアインフラ投資銀行は実に有意義なプロジェクトだ。しかし、一つ解せないことがある。それはこの銀行の準備通貨が米ドル建てとされていることである。米国勢の力が明らかに衰えている中、米ドルに依存する体制を最初から構築してしまって良いのだろうか。むしろ複数の通貨により全く新しい仕組みを創り上げるべきだと考える」
要するにロシア勢は、中国勢が実のところこのアジアインフラ投資銀行というプロジェクトを通じて米国勢と裏では結託しているということを見抜いているというわけなのだ。表向き米国勢はこのプロジェクトとは反目しているかのように装っているが、そこで用いられる通貨があくまでも米ドル建てというのであれば、最後の最後にこの銀行そのものの手綱を握っているのは米国勢ということになるのである。ちなみに今回の「上海フォーラム」において最大のゲストはバーナンキ元米連邦準備制度理事会(FRB)議長である。このことからも中国勢が米国勢と、少なくとも超国家的な(=グローバルな)ツールとしての通貨という次元では蜜月の関係にあることが分かるのである(逆に言うと、このことに不満なロシア勢とは、我が国としても特段の対応を行うことによって有益な関係を創ることが出来る余地があると考えるべきである)。
また現在、ロンドン・スクール・オブ・エコニミクス(LSE)で教鞭をとりつつ、米ピーターソン研究所の客員研究員でもあるサコマニ元イタリア財務大臣が非常に弁舌さわやかにこう述べていたのも大変気になった。
「国家間と言う意味でのグローバル金融の調整は今後、エマージング・マーケットの雄を含めた議論の場であるG20をメインとすべきである。同時に国際通貨基金(IMF)を中心とした全く新しい枠組みを創り、G20はこれをサポートすべきである」
さっと述べた下りであったが、これを聴いて私は脳天に落雷を受けたかのような感覚すら受けた。我が国において根拠なく様々な「陰謀論(conspiracy theory)」を語る向きが絶えないわけであるが、他方で現実問題としては、ロンドン・シティ(City of London)やその実際の主である大陸欧州勢の金融エリートたちは着実に「次」に向けて全く現在とは異なる仕組みを考えていることがこれで明らかになったからだ。しかもイタリア勢の口を用いつつ、この古くて新しい「魔都」上海でそのことを分かる者には分かるように露呈するあたりが、非常に心憎いというわけなのである。
それと同時に私自身、G20を支えるB20のメンバーとしてこうした大きな渦の中に関わっているだけに、自らの責任の重さを痛感せざるを得なかった。G20及びB20の議長国を来年(2016年)務めるのは中国勢である。密かな戦略を胸にしまい込みつつ、彼ら欧州勢が中国勢、とりわけ「上海」という場を使うことによって壮大なプランを実行していくことは間違いないと感じた。
私自身は今回、日中韓の自由貿易協定(FTA)について議論を行うセッション(Reshaping East Asia through FTAs: Visions, Challenges and Strategies)にパネリストとして出席した。もっともこうしたセッションのタイトルを読んで読者は必ずや大きな違和感を受けたのではないかとも思う。なぜならば我が国においては円高によって交易条件が悪化したかつてならまだしも、円安誘導を旨とする「アベノミクス」が始まって以降、我が国は米国勢との実質的な交渉である環太平洋経済連携協定(TPP)を除くと、この手の通商交渉に力を入れてきているとはおよそ言えない状況が続いているからだ。
席上展開された議論はその意味で実に興味深かった。52か国もの世界各国との間で自由貿易協定(FTA)を結んだと自負する韓国勢は、確かにテクニカルな部分においてこの分野で知見を誰よりも積んできていることが明らかだった。しかし環太平洋経済連携協定(TPP)については、自らのこうした努力が水泡に帰すということからあえて言及を避けていたように見受けられたのと共に、実際には自国の経済が崩壊の危機に瀕していることを御首にも出そうとしないあたりが気になった次第である。
他方、中国勢はというと、「日中FTA」あるいは「日中韓FTA」についてこれまで何度となく我が国に対して水を向けているにもかかわらず、全くもって本気で動こうとしないことにいら立ちを隠せない様子であった。しかも今回のパネリストたちはいずれも日本研究者たちであったことからも分かるとおり、中国勢の狙いは我が国であり、可哀想なことにこの問題について最も深い関心を寄せる韓国勢は蚊帳の外といった感じだったのである。そもそも「上海フォーラム」といった企画についてあえてスポンサーシップを引き受け、中国勢との関係において何とか命脈を保とうと韓国勢が務めているのと同じ苦しい状況がここでもうかがわれた次第である。
もっともこの手の「通商協定の専門家」たちが忘れている重大事が一つある。それは微に入り、細に入る協定テキスト文案に没頭する余り、「なぜそもそも自由貿易協定や経済連携協定が必要なのか。特定の地域を超えて、グローバル社会全体にとってそれはいかなる形で喫緊の意味を持つのか」という“話のそもそも論”を忘れてしまうという点なのだ。そこで私からは、「外交交渉の現場で受けた印象と知見に基づき、最も根本的なことを確認しておきたい」として、概略次のように述べておいた:
―「太陽活動の異変が気候変動を招き、とりわけ北半球の主要部で寒冷化を招く中、人体の免疫力が下がるからこそ、デフレ縮小化が不可逆的に進む」という新しい現実にグローバル社会は直面している。だからこそ、それを食い止めるために包括的な通商協定づくりを急ぐ必要があるのだ。それ以上でもそれ以下でもないことをまずは確認すべきだ
―他方で現下の問題は15~18世紀に前回生じた「寒冷化(小氷河期)」の中で過剰な経済活動を行うのを是とせざるを得なかった(そしてそれによって当時の経済縮小化を防ごうとした)米欧勢がそのままこれを続け、結果として生まれた金融資本主義が出口を失っているという点にある。「過剰な資本主義(excessive capitalism)」の問題である
―したがってそうした現状を踏まえる限り、最も重要なのは追い求めるべきは「過剰さ」ではなく、“一方で作用を加えれば他方で必ず反作用が生じるため、全ては全体の中で補いあっている”という意味での「相補性(complemantarity)」に他ならない。つまり復元力の原則に基づいてグローバル経済を整序していく必然性があるのであって、これを「陰陽」という形で古来、発送として受け継いできている東アジア(日中韓)はこれを前面に掲げ、その精神に基づいた新通商秩序の構築に励むべきである
―「相補性」はグローバル社会全体で考えるべきものであり、東アジアだけが地域的な取り組みを進めれば良いわけではない点にも留意しなければならない。ただし伝統として「陰陽」という発想を知っている東アジア勢が今後の取り組みをリードする余地は十二分にあると考えられる
―加えて言うと、通商交渉で最終的に常に課題となるのが国内世論の納得をどのように得るのかである。この点、「陰陽」と言う形で人口に膾炙した論理でもある「相補性」の原理を前面に出すことは、最終的に国内における世論形成に大いに役立つという観点で通商政策担当者が積極的に打ち出すべき施策の一つととらえるべきだ。難しい通商協定特有の概念をいくら並べ立てたところで、世論は反発するだけであり、ましてや韓国にせよ、中国にせよ、我が国は領土問題という別の次元での紛争を抱えているため、とかくそうした観点で情動的な方向へと議論が流れやすいことを食い止める必要がある
以上の私の議論を聴いて、普段は複雑怪奇な概念が並ぶ通商協定のテキストばかりを読んでいるであろう他のパネリストたちは正直、ほとんど理解出来なかったようだ。ましてやここ中国では戦後、「陰陽」は迷信・俗信の類と整理され、公的には淘汰されてきた歴史があるため、参加者たちは一様に複雑な表情を見せていたことも印象的であった。しかし、そうした中でグローバル・マクロを投資貿易の観点からウォッチしているパネリストの一人からは「大いに賛同したい」との発言があった他、現地有力経済メディアの記者からも「大変興味深いスピーチであった」と名刺交換を求められた。分かる人には分かる話、しかし全員がピンとくる話なのかというとそうではない「世界の重大事」であったようだ(ちなみに今回のスピーチ内容を敷衍させた論文は後日、「上海フォーラム」事務局より刊行される論文集に掲載予定である)。
躍動を続ける「魔都」上海。とかく「対中関係」という枠組みでだけ語られることの多いこの地であるが、グローバル・マクロという巨大な“龍”が大きくこの場で再びうねり始めたことも確かなのである。その手綱を握ることになるのは最終的に誰なのか、そしてその時、私たち日本人は如何なる役割を担うことになるのか。引き続き「魔都」の動きから目が離せない。
2015年5月24日 中国・上海にて
原田 武夫記す