「日本酒を再興する・試論」 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)
最近、日本酒が再びブームになってきている。事実、都内の、しかもこじゃれた飲食店に出向くと通好みのブランド酒が並べてあったりする。しかもこれが結構うまい。同席してくれている知人たち、とりわけ中でもそれが若い女子であったりすると、「それでは日本酒から御願いします」といきなり頼んだりするのだから驚きだ。トレンド・セッターである若い女子たちは幸せなことに「おいしい日本酒」の味を確実に覚えている。これは私自身がその年代であった頃全く考えられなかったことである。
そうしたブランド酒というと何といっても代表格となっているのが「獺祭」だ。しかしそれに限らず、例えばここに来て、「酒所」でありつつもそれまでは沈黙を保ってきた感が強い秋田の醸造所もかなりの攻勢をかけてきているように思う。そして事実、「新政」の様に大いなる成功を収めている例が出始めている点が注目に値すると私は考えている。
もっとも実際に日本酒の醸造メーカーの経営リーダーたちと話しをしてみると、なかなかそう一筋縄でブレイクスルーを得るというわけにはいかないようだ。問題はおおむね次のような点に集約されていると聞く:
―何といっても大問題なのが、ベースとなるべき国内マーケットが縮小の一途を辿ってきた点にある。「とりあえずビール」という文化が定着した1970年代から着実に日本酒消費量は減ってきた経緯があり、それに焼酎、ワイン、そしてウイスキーが追い打ちをかけている。「日本酒=古い・ダサい」というイメージが定着してしまい、これをようやく払拭し始めているというのが現実なのである
―市場構造が変わっているのだから機敏にマーケティングをすれば良いではないかと思うかもしれない。しかし日本酒醸造メーカーは多くの場合、「杜氏」を中心とした、いってみれば技術者集団がそのまま経営リーダーシップを担っている場合が多い。そしてその結果、我が国の製造業においてと同様にプロダクトアウトの発想、すなわち「良い物を造れば必ず売れるはず」という信念の下、粛々と業を営んでいらっしゃるのが常なのである。ちなみに「獺祭」はその意味で壮絶な経営改革を行ったことがコンピューター管理による醸造と、機敏なマーケティングを可能にしたと聞いている。しかし多くの日本酒醸造メーカーは決してそういった状況にはない。非常に難しい点である
―「日本酒」は英語でSAKEであるが、大変難しいのは一般名称であるSAKEを越えて、個々の銘柄について云々されるほどの認知度を得ていないという点である。そうなると海外で日本酒ブームといっても、結局のところ最大の消費者は在外日本人ということになってくる。なぜ知名度を得ていないのかというと、率直に言うならば仄聞するにイヴェント・マーケティングに依存し過ぎており、WEBマーケティングの典型的な手法を用いながらのブランディングをほとんど行っていないことによるのである。日本語でさえ大抵の場合そうなのであるから、英語での発信など二の次、三の次になっていることは言うまでもない。その結果、個別銘柄は知られず、あくまでもSAKE,SAKEということになってくるのである
―米欧マーケットでは上述のような状況なので「それでは近場で」と、多くの日本酒醸造メーカーは中国本土や東南アジアをこれまで目指してきた経緯がある。だが、これまた仄聞するに率直なところ、うまくいっているとはおよそ思えないのが現実なのである。中国本土や東南アジアといったマーケットは華僑・華人ネットワークの「いずれのファミリーと組むか」によってそこでの成果が大きく変わって来る。ところがそうした橋渡しをする機能を果たすコンサルティングを受けることなくたいていの場合、まずは進出と売り込みをかけようするので、現地における「新興代理店」、悪く言えば社会階層的には低いレヴェルでのパートナーを選択してしまうのである。その結果、代金回収リスクなど、抱え込まなくても良いはずのリスクを大いに抱え込むことになり、挙句の果てには登録商標まで剽窃されるなど、とんでもない手段に出ざるをえなくなってくるというわけなのだ
以上をまとめると、日本酒醸造メーカーが今抱えている問題は、全国津々浦々を歩いてきた私が想うに「国内におけるブランディング、マーケティングの問題」「経営ガヴァナンスの問題」「海外ブランディング、マーケティングの問題」そして「華僑・華人ネットワークとの付き合い方の問題」の4点なのである。
これに対する私の答え(solution)はこうだ。―――まず大戦略として第一に行うべきは、組織戦略の見直しである。「品質は高く、評価はそれなりに受けていると思うが売れない」という冷厳な現実に鑑みてやるべきことはただ一つ。「つくること」と「売ること」のバランスを徹底して見直した組織戦略を再構築することである。通常の代理店販売、しかも古色蒼然とした卸業者のカタログに依存した売り方をしている酒類メーカーはこぞって元気が無い。徹底したデジタル化を図り、偏見・思い込み・人為的なミスによってマーケットとなってこなかった部分がないかどうか、経営リーダーは見直すべきである。CRMすら実装されていない日本酒醸造メーカーも率直にいって多々あるのではないだろうか。
もっともこの様な「つくる」メーカーから「売る」メーカーへの構造転換は、必ずと言って良いほど大きな抵抗を社内で巻き起こすはずだ。なぜならば「良いものは売れるはずだ」という信仰にも似た考えが社内に定着しており、しかもそう考えているのが売り物をつくってくれる部局(製造担当)に他ならないため、経営リーダーであっても手も足も出ないというのが正直なところなのである。
だが、ここで経営リーダーは不退転の決意をする必要がある。インダストリー4.0、あるいはAI(人工知能)といった流れがここまえ不可逆的に進んでいる現実の中で、日本酒製造もそうした流れに無関係であるはずがないのだ。「製造部局」がこぞって反対というのであれば、ゼロベースで物事を考えれば良いのである。完全なるオートメーション化である。無論これは組織戦略上、大変な痛みを伴うことではある。だが、そうしなければ企業としては倒れるというのであればそれを断行すべきなのである。ノウハウの部分も含めたオートメーション化が進むことにより、最終的に残るのは「水」(意外にもコメではない)が何であるのか、というのが日本酒醸造の本質であることは、関係者であれば皆知っていることである。いざとなればそこまでの体制にするという決意をもって経営リーダーが動き始めた時に初めて、「製造部局」の面々も真剣に動き始めるはずなのだ。
やるべきこと・為すべきことはいきなりの「海外マーケティング」ではない。むしろ国内マーケティングである。なぜならば日本酒はSAKEである前に「日本」酒だからだ。海外マーケティングにおいて問われるのはブランディングであり、それはとどのつまり「ニッポンでは売れていますか?人気になっていますか??」ということなのである。我が国は確かに人口こそ縮小し始めている。しかし同じ言葉を話し、同じ通貨を使って購買活動を行ってくれる1億人以上もの人口を抱えた巨大なマーケットなのである。そこで仮に独占に近い立場を築き上げることができれば、何も苦労して海外マーケティングなど行う必要はないのである。
それでは「国内マーケティング」をどの様にして行うのかといえば、地域的には「南」から攻めることである。これは優れたマーケッターの間では鉄則として知られていることなのであるが、不思議と我が国では「南」の側が常に先進的なものを求める習癖がある。東京23区であれば都心部の南側にある区、日本全国でいうと九州からまずは試みることだ。そしてそこでトップクラスの購入者ではなく、二番手、あるいは三番手をまずは絨毯爆撃をするかのように攻略していく。追い詰められ、競争を強いられている立場のものは常にアンテナを高くしている。「良いもの」であれば必ず買うのはこの層なのである。そしてこうしたチャレンジャーの階層によって、それまで市場でドミナント(支配的)であった階層を取り囲み、最後は「買わないことのリスク」を後者に飲み込ませるというのがここでの基本戦略なのである。
こうしていく中で大切なのは、企業文化を「発信型」へと切り替えていくことである。インターネット化がここまで進んでいる我が国の現状においては、意識の高い人、アンテナを高く維持している人は常に何かを”検索(retrieval)“している。つまり、本当に「良いもの」であればそれを少しでもサイバー空間できっちりとした形をもってアピールし続けることによって「見つけられるチャンス」は着実に高くなるというわけなのだ。上述の「地上戦」としての「南からマーケティング」と同時に行うべきは「空中戦」としての発信型企業文化への転換だ。WEBマーケティングの典型的な手法であっても、これをそれまで全く用いて来なかった企業であれば覿面(てきめん)に効果を発揮させることになる。何せ、人気商品として(憧れの)マスメディアで取り上げてもらうべく、見つけてもらうには、番組のAD諸君が検索した時に引っかかって来なければ話しにならないのである。
次に着手すべきなのが「海外マーケティング」なのであるが、これは最初から広い意味での「ブランディング」に過ぎないと割り切っておく必要がある。なぜならば地域性の強い商品の場合、自動車といった普遍的な機能が自ずから前提となっている製品とは異なり、主戦場はあくまでも国内マーケットだからだ。しかし我が国の国内マーケットというのは実に不思議なもので、どんなに良いものであったとしてもそれ以上に「海外で人気なもの・売れているもの」という触れ込みで乗り込んでくるものを優先させる”癖“があるのだ。したがって海外、とりわけ私たち日本人が常に憧れの的としている米欧のマーケットに進出する際には少しずつ、少しずつではダメなのである。やるならば1か所、目立つところに進出し、その様子を今度は逆に国内へ情報として戻し、拡散していく。これによって、それまで購買をやや戸惑っていた層が「海外で話題になっているのか・・・」とやおら動き出すのである。そのために必要な投資、とあくまでも割り切って海外マーケティングは行うべきである。無論、そこでは実際に関心をそれでも持ってくれる海外勢とのコミュニケーション、さらには「海外でのブランディングはどれくらい成功しているのか」ということを知りたくてやまない国内勢に見せつけるため、英語での発信媒体をソーシャル・メディアで設けておく。これもまた必要投資である。
以上の段取りを踏んだ上で行うべきなのが、いよいよ華僑・華人ネットワークとの人脈構築なのだ。なぜならば我が国企業にとって、海外マーケットといっても「良く分からない」「遠い」米欧勢ではなく、究極においては「中国大陸」及び「東南アジア」だけが戦場となり得るからだ。それ以外は端的に言うならばブランディグのための道場であると割り切った方が良いのである。
華僑・華人ネットワークへのアクセスは、まずもって「ハイレヴェル」を目指すべきである。そしてもう一つが、現在の中華人民共和国へのアクセスという意味での「華僑・華人」と、それ以外のより広い意味での「華僑・華人」へのアクセスは、同じハイレヴェルではやや違っているという点に留意する必要がある。端的に言うならば前者でコネクトすることを目指すべきは、1989年の天安門事件によって一旦はファミリーとしての本拠地を国外へと移さざるを得なかったものの、その後、再び本土との関係でも政治・経済のネットワークを構築することに成功した一族たちとの接点の獲得である。これに対して後者は、遅くとも第二次世界大戦より前に中国本土から移民したハイレヴェル集団、すなわち「客家」を対象としなければならない。そしてどちらかといえば後者との関係性構築をまずは優先させ、「上から下へ落としてもらうこと」を目標に動いていくべきだ。しかし、華僑・華人ネットワークのハイレヴェル、しかも「客家」のリーダーシップを話すことに堪え得る知的能力・センスを持っている日本人経営リーダーはほぼいない。なぜならば、「客家」のリーダーシップは世界で最高水準の教育を受けているのみならず、コスモポリタンであり、何かといえば小さなレヴェルの話にこだわる癖のあり、グローバル社会の現実を知らない日本人経営リーダーとは規模感が違うからだ。それにこうした人脈とコネクトしたところでまず言われるのは実はここまで書いてきたことを「既に実際、やられていますか?」ということなのである。「良いものであれば、世界中の至るところから、どうやって見つけたかは分からないけれども、必ず向こうから連絡をしてくる」というのが彼らの発想なのだ。逆に言うならばそうはなっていない商品・製品は結局のところ、こちらがどう思っていようと本当に「良いもの」ではないということなのだ。したがってまずはこれまで述べてきたことを精進せよということになってくる。
最近、「日本ブーム」にあやかって何とかならないかと考えている経営リーダーは多い様に見受けている。しかし率直に言うならばそうした一過性の発想ではなく、まずは足元を見つめ直し、地歩を固めるところから始めるべきなのが本当の再興戦略なのである。「日本酒」を例にとりながら、今回はその試論を書いてみた次第である。
2016年2月12日 東京・仙石山にて
原田 武夫記す