「城を守る、ということ」 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)
今、このコラムは2016年2月14日、日曜日の早朝に書いている。窓の外は凄まじい嵐である。気温は24度にまでなるのだという。ところが今週半ばには再び10度以下にまで最高気温は低下することが予測されている。「春一番が吹いている」などとのんきな書き込みをソーシャル・メディアにしている向きがいるが、何のことはない、すさまじい気候変動だ。しかもこれが一過性のものでないとすれば、事はかなり深刻なものとなってくる。そしてそのことに多くの人々がようやく気付いた時、パニックにも近い状況が訪れることは目に見えているのだ。
金融マーケットでは12日(金曜日)のニューヨーク・マーケットで突如、全ての金融商品が反騰し始めた。定量分析を行って頂いているアライアンス・パートナー氏からメールが届いた。
「また、いつものパターンですね」
「ドイツ銀行株が反発」「米大手メディアが“日本株こそ買いなのでは”と言い出している」―――昨日(13日)、英語コラムでも書いたのだが、要するに中央銀行たちがやろうとしているのは「実質金利のマイナス化」なのである。まずはしこたまマネーをマーケットに向けてばら撒いておく。中央銀行の当座預金に市中銀行たちがさしあたり貯めていたとしてもそれで良いのである。
なぜならば次の一手こそ重要だからだ。それは「インフレ率の急上昇」である。原油、金、銅、さらには穀物などの値段が一斉に上がり始める。要するにインフレの本格展開だというわけだが、そのことの効果を一段と上げるためには、まずはこれらの値段を逆に目立って下げておくことが必要なのである。理由は何であれ、とにかく下落、崩落させておくのである。そしてある時、一気にこれを急上昇させ始める。この時の理由も最初は何であっても良い。だが、最終的に本当の理由として誰の目にも明らかになるのは、たった一つなのである。それは「気候変動の激化」である。しかも激しい寒冷化だ。北極圏を除き凍える北半球の人々は、燃料や食料、そして安全な資産と土地を求めて一斉に彷徨い始める。そう、これこそが今この瞬間に始まっている本当のゲームなのである。
本質はしたがってまず、ヴォラティリティが激しくなるという点にある。つまり世の中全体が乱高下するというわけなのだ。これまでの温暖化、さらにはそのことを前提にしたインフレ拡大経済を踏まえ、我が国に限らず、世界中で多くの企業や組織が「官僚化」している。官僚化の前提となっているのがルーティン化であるが、これはある程度までは確かに意味があることである。なぜならばルーティンがあるからこそ、それと現実との比較で「気付き」が生まれるからである。だが、今や先述のとおり、ヴォラティリティの時代なのである。もはや「気付き」などと言っていられる場合ではないのだ。その結果、一つ一つの乱高下に翻弄されて右往左往なるか、あるいはそれでも「何も無かった」と決め込んで、何もしないか、そのどちらかにルーティンを旨とする官僚的組織(何も本当の意味での「官僚=役人」だけではなく、硬直化した組織全てを指す)は陥っているのである。無論その先にあるのは組織としての「死」しかない。我が国の大企業を巡る惨状(東芝やシャープなど)を見ればもはやそのことは誰の目にも明らかなのだ。
それではどうすべきか。―――打つべき手は二つ、「時間の整理」と「空間の整理」だ。まず大原則を述べるならば、立ち向かうべきは寒冷化に向かってさしあたり激しくなるヴォラティリティなのである。そうではあっても如何にして己の自律神経を己の手で保つのかということ。これが大きなカギを握って来る。そしてそのことは、私たちが「ヒト」として持つ自然治癒力、体内の復元力を如何にして温存出来るかということに深くつながっているのだ。もっと平たく言えば、外界の激しくなる動きによって疲れ、酸性化=老化しがちな肉体を、どの様にしてアルカリ化=若返りさせるのか、ということになってくる。
「時間の整理」もそのことを大原則としている。己の肉体という意味での復元力を担っているのがとりわけ肝臓である。そして肝臓を含め、肉体全体が激しいヴォラティリティに対抗して復元力を発揮させるためには、成長ホルモンが分泌される必要がある。この成長ホルモンは私たちの人体の中で午後10時から午前2時の間にしか分泌されないのである。したがってどんなに長時間寝たとしてもこの時間帯を外して眠るのであれば全く意味がないということになってくる。
そしてこの時間帯に就寝するとなると、その前後の時間帯の取り扱いが周囲とは全く違ってくることになる。仮に午後9時に眠るとなると、後述するとおり、体調を万全にするという意味でその3時間前に食事が必要であることを踏まえ、午後6時には夕食を終えていなければならないことになる。つまり午後5時代に夕食ということになるのである。当然、「夜の蝶」たちとの会話はあり得ない上、外食ではたいていの店がまだ開店していない。無論、コンビニエンスストアなどはあるが、これまた後述するとおりそこでの食材は避けるべきとなると、自ずから「自分で食事を軽くつくって夕食をとるべし」ということになってくる。
他方で朝は朝で例えば午前3時に起きるとするとどうなるか。出勤のため午前7時から移動となっても、実のその間、「4時間」も捻出されるのである。これを週末も含め、毎日続けると1週間で28時間、1か月で112時間の自由時間が出来ることになる。約4.5日だ。さらにこれを12か月続けると何と72日(=2か月半弱!)もの時間が読者の思うがままに使える時間となるのである。
これに対して、そのことを知らぬ多くの者たちは激しいヴォラティリティの中で疲れ切り、そこで高ぶった交感神経を覚ますため、今度は夜半まで酒を酌み交わすことになるのである。アルコールは交感神経を鈍らせ、副交感神経を刺激してくれる。当然、朝は早起きなど出来ないのであって、今や早起きとなった読者が得ている「ボーナス」としての莫大な自由時間を得ることはもはやないのである。この差が歴然としてくるのは当然だ。
その結果、「時間の整理」を行い始めた者はめきめきと頭角を現してくることになる。社会的なランクがどうであろうと、もはや「負ける気がしない」のである。何をやってもうまくいく上、高く評価されるようになるので、ますます高みへと上がっていく。さしあたりいつも元気であるので、文字どおりの「陽の人」と周囲から言われるようになる。すると不思議なもので、陰気な人、すなわち悩みを抱え、問題に困っている人たちが寄って来るのである。「陽の人」はそこで適切なアドヴァイスをすることができる。なぜならば以上述べたとおり、何をすれば良いのかを知っているからである。その結果、「陰の人」はまたぞろそれまで陥っていた状況を改善させ、喜びに満ち溢れることになる。感謝の念を「陽の人」に伝え、謝礼を支払い、惜しみない賛辞を贈っていく。「陽の人」はこうして地位と名声と、さらには富を得ていくことになるのである。一般にはそうは思われていない節があるが、「地位」「名声」「富」はいずれも実は強烈な”陰“なのである。
なぜこのことを認識する必要があるのかといえば、ここで今や「陽の人」になった読者は大きく2つの重大課題に直面するからだ。一つは「地位」「名誉」「富」といういずれも強烈な”陰“に溺れると、いつの間にか元来、己をしてそこまでしてくれた「時間の整理」を往々にして忘れてしまうからである。「地位」「名誉」「富」を得ると必ずついてまわるのが異性の存在である。そのことにうつつを抜かしていると、やがて「時間の整理」という本旨を忘れてしまう。
それでも「自分は未だ大丈夫」とばかりに、例えば過分な借金を負ってしまったりすると、これまた大変な出来事が生じてしまう。マネー(富)は”陰“であり、それが過度に存在すると少々の”陽“では太刀打ちできなくなってくるのだ。しかも今や、読者は「時間の整理」を忘れかけている。そのため、最後は”陰“に飲み込まれ、たった一つの大切な命すら失ってしまうというわけなのだ。「元も子もない」とは正にこのことだ。
大事なことはただ一つ。ここで「空間の整理」へと踏み切ることである。「時間の整理」によって舞い込み始める「地位」「名誉」「富」のいずれをも振り切って、まっしぐらにこれに向かわなければならない。なぜならばそのことによってだけ、”次の世界“が見えて来るからである。
それでは「空間の整理」とは何か。―――「洗濯」と「掃除」、そして「住居の選定」と「食べ物」である。
この中でも恐らく読者がもっとも異様に感じるのは「洗濯」なのではないかと思う。余りにも当たり前のことのように見えるかもしれないが、その実、私たちは「洗濯」について何ら知ってはいないのである。たとえばそこで用いる「水」について。読者は通常、洗濯というと水道水を用いているのではないだろうか。そこでお聴きしたいのは、「水道の蛇口の向こう側の水道管の中がどうなっているのかを見たことがあるか」ということである。見たことないはずだ。しかし上水道の水道管であっても、その多くは錆び付き、場合によっては重金属が漏れ出しているのであって、その水を使って私たちは「洗濯」しているのである。これがしみ込んだ衣服をまとっていたらばどうなるのか、推して知るべしなのだ。したがって、洗濯の基本はまず、「どの様な水で洗濯をするのか」ということにあるのである。
次に洗濯といえば「洗剤」だが、これについても鉄則がある。それは大気と水は「酸性」と「アルカリ性」の相関関係にあり、季節によって入れ替わっているという事実である。したがっていつでも同じ洗剤を用いれば良いというわけではなく、時期に応じて、より明確に言うならば「酸性」「アルカリ性」に応じて微妙に入れ替えていくべしということになってくる。
洗濯とコロラリーの関係にあるのが、そもそも身に着ける衣服の選定である。化繊は石油から成り立っており、石油は人体から熱を奪っていく。夏にスカートの下にストッキングをはいている女性に限って「冷え性」なのはそのせいである。体を温めたいのであれば、生物が自らを温めるために創り出すもので編んだ衣服を身にまとうべきである。すなわち絹(シルク)であり、羊毛だ。寒冷化が著しくなるこれから、この知識を知っているかどうかが、読者の命を左右することになりかねない。当然、「洗濯」もそれに応じて変わって来ることになる。
次に「掃除」であるが、その要点の一つとなるのは有機溶媒の排除である。といっても何のことはない、日々気付かぬ間に貯まっていく大量の印刷物を徹底して処分していくことなのである。印刷物に使われているインクに何が入っているのか、私たちはたいていの場合知らない。しかもそれは揮発を続けているのであって、本の山の中で寝るということはイコール、そうした有機溶媒のガスを大量に吸うことを意味している。それが如何に有害かは、詳細を述べずともお分かり頂けることであろう。掃除の基本は、その意味で「捨てる」ことなのである。何も置いていない空間からは、こうした重大問題は生じない。
同様のことは、己が関わる空間の全てについて言えることだ。そこに一点の曇りでもあれば、当然、やがて全てが曇って来る。「玄関先」から「トイレ」まで、なぜ掃除をしなければならないのかといえばそこに理由がある。
3番目に「住居の選定」について、だ。ここで多くの読者は「風水の話か」と想ってしまうのではないか。しかし仮にそこで読者が通俗的な意味での「風水」を連想しているのだとすればそれは全く違うのである。なぜか。
土地には二種類ある。炭素が多い土地と、そうではない土地だ。端的に言うと前者では植物が生い茂り、酸素が大量に発生する。後者は逆に痩せた土地であり、酸素は大量に発生しない。これが私たちの人体の大きな違いをもたらす。
酸素はあればあるほど良いように思うかもしれないが、要するに酸素の大量摂取とはイコール、「酸化」なのである。酸化とは老化なのであって、炭素が多い土地の上に住み続け、かつ何もしないと老化していくということになる。だからそうした土地の上では労働をし、身体を動かし続けないといけないのである。
逆にそうではない土地に暮らすとその意味での「酸化=老化」のスピードは遅い。そのため、鍛えれば鍛えるほど、筋肉隆々となり、西洋人にも近い体系になっていく。実はマンションが我が国でもこの意味での「土地」に相当するのである。そうした土地では無理に炭素の多い土地においてと同じ食べ物、すなわちコメ食や魚などではない方が元来、人体には適合的である。食べるならばパン、そして肉ということになってくる。それの方が体調が良くなるのである。それは一度体験すれば否めない事実だ。
しかし、である。ここで大きな「落とし穴」がある。「時間の整理」によって早朝から120パーセント動き回ることのできる体をつくることによって、血圧は確実に上がって来る。つまり交感神経優位の体になるのであって、成功すれば成功するほどそのことは顕著になってくる。ましてや経営リーダーとして成功し始めると、(これは現実問題そうなのであるからはっきりと書いておきたいのだが)部下たちや周囲の利害関係者との差が激しくなるのである。それがまたストレスを呼び、血圧を上げていく。これもまた多くの読者が経験されていることなのではないかと思う。
これを下げるためには副交感神経を刺激する必要があるわけだが、そのために手っ取り早いのがアルコールを用いることである。アルコールの摂取によってメラトニンが脳内で分泌されることにより、しばしリーダーたちは心の安寧を得ることになる。「人間機関車」と呼ばれたかつての宰相・田中角栄が、夕方になり、議員事務所に戻るとウイスキーの水割りを片時も手放さなかったのはそのせいである。血圧を下げるためなのである。
だが、アルコールには副作用が2つある。一つには塩分の多い食べ物をとりたくなることである。人体は実に素直であり、過度に副交感神経が刺激され始めると、今度は交感神経でバランスをとろうと、ナトリウムを欲する。その結果、塩分を取るとさらに血圧が上がるのである。正にうなぎ上り、である。これを抑えようとアルコールをさらに摂取することになるので今度は満腹中枢がやられ、食べても食べても満足しない体になってしまう。しかも「時間の整理」によってある程度の成功を収めていると、そのような食事を何度繰り返しても金銭的には何も問題はなくなっているのである。多くの場合、過剰な摂食によって脂質と糖質が体内で大量に蓄積され始め、その意味で読者の体は蝕まれ始めるのだ。
だが、何といっても今や、「成功者」である読者に時間はないのである。運動すれば良いと気づいてはいるものの、手帳に書き込まれたスケジュールは分刻みであり、およそタクシーや社用車での移動以外に手段はないほどになっている。本来ならば部下たちに任せるべきなのであるが、「時間の整理」の結果、余りにも圧倒的な差がついてしまっているので、「自分でやった方が良い」ということになり、そうもいかないのである。だが、このままでは肉体がある時、決壊し、崩壊してしまう。自然(じねん)から「追放宣言」を出されてしまうのである。どうすれば良いのか。
こうして最後に辿りつくのが、「食べ物」なのだ。俗に「身土不二」という。だがそうした一般解があらかじめ存在するのではないことをまずは踏まえる必要がある。ひとかどの「成功者」となった読者の大切な体は今や、強烈に酸性となっている。つまり酸化し、老化し始めているのである。「時の整理」とはうまくいったもので、整理をするとその分、何もしないと時が早く進んでしまうのである。これを取り戻すためには体内において「アルカリ化」を進めてくれる食材を選択的に摂取するしかないのだ。
ところが困ったことに我が国の土地は元来、そのほとんどが「酸性」なのである。これは火山灰によって成り立った土地が大変であることによるのだが、こうした元来的な事情に輪をかけている理由が2つある。一つは戦後、我が国において大量に投与された化学肥料によって状況が更に深刻化したということだ。そしてもう一つは、高度経済成長を通じて放出された有害物質はやがて「酸性雨」として我が国の全土に降り注ぎ始めたということである。その結果、今や我が国の食糧マーケットにて普通に流通している野菜は、そのほとんどがかつてと比べると圧倒的に「酸性」なのである。これを摂取することで(やや粗っぽい言い方だが)体内が酸化し、老化するのは当然のことと言わざるを得ない。
そうであっても、アルカリ化を進めてくれる野菜を大量に供してくれる飲食店があれば良いのだが、普通はより高い単価がとれる肉を多く供するのである。そこにはもれなく大量の塩分がまぶされており、脂質もたくさん含まれている。そのため、外食だけでは「アンコントローラブル」になるのは当然なのである。
そこで探すべきは体内を「アルカリ化」してくれる農産品を意識的に開発・生産している農業生産者ということになってくる。だが、これが意外に少ないのである。しかも化学肥料ではなく、ハウス栽培でもないので季節は限定的である中、かなり「高額」であることも事実だ。だが、「命あっての物種」なのである。「時間の整理」によってもたらされる富は、元来ここに費やすべきなのだ。過度な「アルカリ化」は無論逆に重大問題だが、今や「時間の整理」をこなした読者にとって問題なのは「酸化」の方なのである。外食の回数を押さえ、意識をもって「食べ物の選択」をすることによってのみ”先“がある。基礎代謝の「高位安定」のための努力をしつつも、過剰な運動が「酸化=老化」をすすめることを踏まえるならば、運動ではなく、やはり何といっても「食べ物」なのである。これによって「時間の整理」によって整えられた自分をより長期にわたって維持することが出来る時、読者ははじめて、次のフェーズへと歩みいれることが出来るのである―――。
その意味で今や守るべきは己の身体という「城」である。そしてその延長線上に全てが存在している。この「城」を守れぬ者は結局のところ何も守ることが出来ないのだ。太陽活動の激変を契機に進む寒冷化の中で、金融マーケットのみならず、全てにおいて激しく揺れ動く「ヴォラティリティの時代」に突入した今だからこそ、このことを明確に記しておく次第である。
2016年2月14日 東京・仙石山にて
原田 武夫記す