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余りにも穏やかなクリスマスは「終わりの始まり」の印である (連載「パックス・ジャポニカへの道」)

今年(2015年)もクリスマスの一時が過ぎ去った。心なしか実に穏やかな日々であったように感じているのは私だけだろうか。明らかに「暖冬」であることにも依る様に感じる。現在手掛けさせて頂いているとある仕事をこなすため、東京に戻る直前まで岡山の地にいたが、驚くほどの「暖かさ」だった。夜の帳が降りていて当然の時刻だというのに、街ではコートすら来ていない人々がイヴを楽しんでいた。「ホワイト・クリスマス」といった歌を知っている身としては、正直困惑してしまったことは言うまでもない。

一頃までクリスマスというと若者たちが乱痴気騒ぎをする時期であり、また我が国社会全体を見てもそれを許す雰囲気があったと思う。ミニスカートのサンタ姿の若い女性たちが街角を闊歩する中、豪勢なレストランをはしごする若者たちが繁華街を練り歩き、いかにも無礼講といった一時でった。未だにそういう乱痴気騒ぎをしている向きがいないではないが、やはり主流はというと「穏やかな聖夜」を求めるといった様子ではなかっただろうか。慌てて岡山から東京に戻って都内を代表する百貨店に飛び込んだが、それなりに混んではいたものの、かつての様な弾ける何かが街全体を覆っていないように感じた。

単にそれは私がある一定の年齢を超えたからだろう、と考えるのは簡単だ。現にクリスマス直後のこの時期、若く、その意味で世間様に対して無責任な世代であった当時は既に年末休暇の気分であった私が、今ではいつもと変わらず早朝に起きてPCに向かい、こうやって未だ見ぬ読者に向かって言葉を綴っている。ある種の責任を負い始めたからであって、だからこそかつての乱痴気騒ぎには目もくれぬようになったか、あるいはそれが「見えなくなった」ように思えなくもない。

だが、クリスマスに従前とは違う「静けさ」を感じ、そこにむしろ「これから誰の目にもはっきりとし始める重大事」についてそこはかとなく感じ取っているのは何も私だけではないのである。全ての物事には目に見える「現象(顕象)」と、決して目には見えないがそれを通じて次に生じる可能性が高まるという意味での「潜象」がある。余りにも暖かく、そして余りにも穏やかなクリスマスだからこそ、むしろ逆にここから生じる、えも言えず悍ましい事態が脳裏に浮かんで止まないのである。

今年(2015年)のクリスマスを前にした恒例の「説教」の中で、ローマ法王フランシスコはこう語った(英訳):

“While the world starves, burns, and descends further into chaos, we should realise that this year’s Christmas celebrations for those who choose to celebrate it may be their last.”

要するに「今年(2015年)のクリスマスが最後になるかもしれない」と語ったというわけなのである。前後の文脈を読むと、ローマ法王フランシスコ、そしてその背景に控えているヴァチカン勢は現在、グローバル社会全体が既に「世界大戦」に巻き込まれているという情勢認識を抱いていることが分かる。しかも状態は益々ひどくなっていくというのである。その結果、かくも穏やかなクリスマスを祝うことなど、人類にはもはや許されなくなるというわけなのだ。

ヴァチカン勢、すなわちカトリック教会に限らず、全ての宗教組織は多かれ少なかれ「終末論」を語るものである。なぜならばそうすることによって将来に対する恐怖を抱いた者のみが救済を求め、帰依することになるからだ。宗派は問わず、この原理は全く同じである。だからこそ今回のローマ法王フランシスコの「説教」もまた、この種のポジション・トークである様に思えなくもないというわけなのだ。

だが、ある一つの客観的なデータを示されるとそうも言ってはいられないことが分かる。太陽黒点数の予測値である。冒頭に示しているのがそれであり、これは国立研究開発法人情報通信研究機構が開設している公開サイト「宇宙天気情報」からの抜粋である。これを見ると一目瞭然なことがある。それは今年(2015年)12月に「60」である太陽黒点数が、来年(2016年)11月には驚くべきことに「30」、すなわち半減してしまうということだ。要するに太陽活動は著しく減退するわけであり、そのことによる影響こそ、今、人類社会全体が真剣に考えなければならない喫緊の問題に他ならないのである。

太陽黒点数が著しく減っている時期に、気候が温暖化するのではなく「寒冷化」してきたということは、有史以来、私たち人類が知っている事実である。太陽はその活動が最も活性化した時にその黒点数が実に150~200くらいまで増えることが知られている。これに対して来年(2016年)11月には僅か「30」、すなわちピークからすれば約6分の1にまで減ってしまうというわけなのだ。これが如何なる変化を及ぼすことになるのかは、余程何かに凝り固まっていない限り、健全な”大人“ならばすぐに分かるはずである。

こうしたことに対して最も敏感なのが統治リーダーたちである。その目線は未来に向かっているが、それでは如何に動くべきかとなると、むしろ「過去」へと視線を向けるのが常だ。なぜならば万物は「べき(冪)」という法則で成り立っており、言うならば規模こそ違えど構造は同じという「フラクタル構造」で歴史が織り成されているからである。そうである以上、「これから何をすべきか」の大前提としての「これから何が起きるのか」を知るために、まずもって「“これから”に酷似しそうな“これまで”は何時だったのか」を知ることがまず先決だというわけなのだ。実はこのことこそ、私が「類推法」に関する教科書を今年(2015年)春に出した趣旨だったわけだが、果たして何人の読者にそうした極意が通じたことだろうか。

「2016年と重なる“過去”は何時だったのか」―――こう考えた時にひらめかなければならない年。それは1986年である。下記をご覧頂きたい:

(1986年の主な出来事)

・1月7日 レーガン米政権が対リビア制裁を発表

・3月5日 青函トンネル開通

・3月23日 関東地方で豪雪

・3月25日 過激派が皇居半蔵門と在京米大使館に火炎弾を発射

・4月1日 男女雇用機会均等法が施行

・4月7日 経済構造調整研究会(前川委員会)、産業構造の積極的転換を提案

・4月26日 ソ連(当時)でチェルノブイリ原子力発電所事故発生

・7月6日 衆参同日選挙で自民党が圧勝

・7月22日 第3次中曽根康弘内閣が発足

・10月1日 住友銀行が平和相互銀行を救済合併

・11月3日 レバノンの雑誌によるリーク報道で「イラン・コントラ事件」発覚

・11月27日 日本共産党幹部宅盗聴事件が発覚

・12月9日 ビートたけしが雑誌「フライデー」編集部を襲撃

「北海道新幹線の開通」、あるいは「安倍晋三政権による衆参同日選の可能性」など、来年(2016年)を目指して世上語られていることを並べれば、何をかいわんやであることを御理解頂けるのではないかと思う。

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ただし繰り返しになるが「べき(冪)」あるいは「フラクタル」は構造が同じというだけで、全く同じことが同じ順番で同じ規模で生じるということを担保するものでは決してない。むしろ「べき(冪)」という原理に則る限り、インパクトの大きな出来事であればあるほどそれが発生する確率は減って来る。単純な比較はその意味で禁物だ。ただし大変気になる太陽黒点数という観点でいうと、1976年3月9日から始まった周期が一山終えて、最終的に次のフェーズに入る、すなわち底(ボトム)となったのが1986年9月30日だったことは特筆に値する。この年の3月の関東地方における豪雪は、私個人の記憶でいうと所属する中学校の吹奏楽部の一員として初めて出た演奏会の当日であり、長靴を履くことなく、運行を停止した電車の遠い駅から自宅まで歩いたため、足が凍傷寸前にまでなってしまったのをよく覚えている。

ただその時とは段違いに少なくなるのが今回の太陽黒点数なのである。それでも「単なる周期的な現象」の域に止まるのであれば全ては杞憂に終わり、再び活性化する太陽活動と共に人類もまたあらゆる局面で復活を遂げるはずだ。しかし、仮に「そうではない」、すなわち太陽黒点数の激減が一過性のものではなく、これから訪れる巨大なトレンドを形作るものであるということになると話は全く違ってくる。そしてそのことを事前に察知し、リスク・マネジメントを万全にしながら、それでもあえて「逆向きのこと」を米欧の統治エリートたちは大声で語り、グローバル社会を誘導しているのだとなるとこれまた”事“なのである。

大事なことは「備えること」なのである。なぜこのタイミングで、あの平成バブル(1986年が本格的な始動年であった)の時と同じ様に日本株マーケットが異常な動きを見せる可能性が高まっているのかも念頭に置きつつ、「誰が・何の目的で・何を目指して」を常に考えながら新年(2016年)を迎えることにしたい。

2015年12月27日 東京・仙石山にて

原田 武夫記す

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