君、死にたまふことなかれ。(連載「続パックス・ジャポニカへの道」) - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
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君、死にたまふことなかれ。(連載「続パックス・ジャポニカへの道」)

一昨日、私・原田武夫にとっては”命の恩人”というべき方から久方ぶりに連絡があった。いつものことながら一片のメールに過ぎない。だが、そこにはこうはっきりと書かれていた。

「レギュレーションが変わった。これからは我が国に滞在することになる。ゆっくりと後進を育てて行きたいと思う」

想っていたよりも早かったが、しかし不思議と動揺しない私がいた。そして想ったのだ。―――「いよいよ”その時”が到来するのだな」と。

端的に言うならば15年ほど前、私はこの方からの一言で”覚醒”した。その言葉とは先日、ロンドンとニューヨークで上梓した拙著(英語)「パックス・ジャポニカ 日本の復活(Pax Japonica. The Resurrection of Japan)」の冒頭で書いた言葉だ:

「これから世界は早ければ2018年、遅くとも2020年までに激変する。その中でニッポンが世界の中心になる可能性が高いが、しかしそうなることに失敗すればニッポンは木端微塵になってしまう」

この言葉を聞いて以来、私は”このこと”だけを探求し、分析し、さらには「どうすれば良いのか」について提言し、行動することだけの人生を送ってきた。我が研究所(原田武夫国際戦略情報研究所)はそのためだけに創った研究所なのである。

私が外務省を自らの意思で後にした時、よもや「このこと」こそが自主退職の理由であるなどと、誰も考えてはいなかったに違いない。それもそのはず、自主退職直後に発表した拙著「北朝鮮外交の真実」の後、私は「元外交官が教える24時間でお金持ちになる方法」なる著作を公表したからだ。この本を見て、当時はまだ友好的であった某「産経新聞」系言論人は私にこうアドヴァイスすらしてくれたものである:

「君、今後、論壇で活躍したいのであれば”こんな本”は出さない方が良い。今後、履歴からは抹消した方が良いだろう。それが君の将来のためだ」

当然、私はそんなことはしなかった。なぜならばこのタイトルだけは実にふざけた様に見える拙著こそ、「金融資本主義の荒波の中で私たち日本勢が今すぐ必要にしているのは情報リテラシー(information literacy)だ」という全国民的なソリューションを描いたものだったからだ。事実、この本をきっかけに私・原田武夫のこと、そして弊研究所のことを知ったという方の数は多い。誰も読まない「論壇誌」からわずかばかりの原稿料をもらって食いつなぐことよりも、遥かに大きなものを私の人生に与えてくれた本、それがこの「24時間でお金持ちになる方法」なのだ。

我が国というのは実に不思議な国であるとつくづく思う。「本当のこと」あるいは「本音」をいうとすぐさまバッシングを受けるからだ。例えばかつて与謝野晶子は、戦地に赴く兄弟に向けて、こんな魂の叫びを綴り、堂々公表した:

「君、死にたまふことなかれ」

”戦地でも絶対死んではならない。必ず生きて帰ってきておくれ”という率直な気持ちを歌ったのである。恋愛でも、人生でも真正面からぶつかっていったことで知られる与謝野晶子は、この一片の言葉で猛烈なバッシングを受けた。「非国民だ!」というわけである。だが、「国民の本音」はどうだったのであろうか。愛する男性たちが戦地で死線を彷徨うことを望む女性たちが我が国にいたであろうか。j答えは「否」、断じて「否」なのである。

先日、私の研究所は新しい生業を始めたことを世間に対して公表した。全く新しいヘルスケア・ブランドとしての購買サイト「丸の内メディカル・サポート(Marunouchi Medical Support。以下MMS)」である。このサイトはこちらをクリックして頂くとご覧になることが出来るわけであるが、至極普通のヘルスケア・キュレーションサイトである。既に数多くのお客様にご利用頂いているが、そうした中で某誹謗中傷サイトでこんな書き込みがされていると、担当の所員から報告があったのである:

「原田武夫が今度はこんなヘルスケアのメルマガを発行し始めたようだ。ついに金儲けに走ったか。実に情けないことだ」

私からはこの若い担当所員にすぐにこう指示した:

「捨てておけ。有名税の様なものだから」

笑顔でそうメッセージを書いたが、同時に私自身の心は煮えたぎるほどの怒りに満ちたことをこの場を借りて告白しておきたい。なぜならばこのMMSこそ、私自身が是非行いたい、いや「やらねばならぬ」と考えていたことそのものだからである

これまで余り公然と語ることはなかったことが一つある。それは私がなぜ外務省を自らの意思で去ったのか、その「本当の理由」である。無論、これまで表向きいろいろと云々してきた。中には「政治に出たかったのだろう」などとうそぶくジャーナリスト諸兄もいた。かつての同僚たちからは「結局、何がやりたかったの」と未だによく言われる。

だが、端的に言うならば私は物理的・生物的な意味で「生き残りたかった」のだ。超過労働時間が毎月200時間を裕に越え、時には「240時間」もの残業を強いられる日々が続く中で、私は私自身に対してこう決然と叫んだのである:

「君、死にたまふことなかれ」

こう決意した背景には私の父の「夭折」があった。父は1980年代、いわゆる「国際派」であり、我が国を代表する損害保険会社において船舶損害の世界では右に出る者がいないと言われた人物だった。事実なのであるからはっきりと書いておきたいのだが、平成バブルの当時、誰しもが「彼は社長になる」と思っていたのである。肩で風を切っていたのではないかと推察する。

だが、時代精神(Zeitgeist)はそうした父の前に立ちはだかった。平成バブル崩壊後、1990年代になる我が国は輸出国としての威光を急激に鈍らせ始めた。貨物輸送が減るのだから、当然、船に対して損害保険をかけようという企業も激減したのである。結果、我が国のリーディング・カンパニーであったとはいえ、父の勤めていた会社(ちなみに私の研究所は今、その本社社屋の隣に位置している。ご縁とは実に奇なものである)においても状況は同じであり、「船の保険」である船舶損害保険の受注額は激減した。

すると、「誰かが責任をとらなくてはならない」となるのがニッポンのサラリーマン社会なのである。そしてまた「上げは下げのためである」というルシャトリエの原理(Le Chatelier’s Principle)も情け容赦ないのである。私の父は、結果としてグローバリズムの浸透が故に激減した売上減の全責任を負わされることになった。生真面目であり、根っからの「会社人間」であった父はそれでも「鵺の様に見えない敵」に食らいついていこうと必死になった。―――そしてその結果、父は強烈なストレスが原因で急性白血病に罹患した。当時は「過労死」などという概念すらなかった時代だ。医療技術も実に幼稚なものだった。日に日に朽ちていく躰を母に拭いてもらいながら、病床の父は私にこういった:

「10年、20年も経てば、こんな病気でなぜ死んだのかという時代が来るだろう。実に、無念だ」

そして1997年秋のある日。ドイツにいた私は国際電話を病院からかけてきた兄から父の訃報を聞いた。享年53歳であった。今、私自身は45歳である。これからたった8年後に「死」が待ち受けているなどと考えることすら出来ない。その意味で、父の死は余りにも「早すぎる死」であった。

私が現在、弊研究所を(お蔭様で皆様からの御支援に支えられる形で)10年余りも続けて来ることが出来たのは、その瞬間に強く想ったあることが、時折フラッシュ・バックするからなのである。それはこういうことだ:

●あれほど順風満帆であった我が国経済は何故に強烈な「バブル崩壊」に見舞われたのか

●「バブル崩壊」であるにもかかわらず、どうして我が国のリーダーシップは先見の明をもってその後のシステム構築のリーダーシップをとることが出来なかったのか

●一時は「世界の金融ハブになる」とまで豪語していた我が国、そして東京はどうしてその後、完全に凋落したのか。金融資本主義(financial capitalism)は何故に我が国から発生しなかったのか

●1980年代には米国勢からあれほどまでにバッシングすら受けた我が国のコンピュータ開発は何故にその後完全なる劣勢に置かれることになり、ついには「デジタル経済(digital economy)」からは出遅れてしまったのか

●「先頭を走っていたのにもかかわらず、いきなり最後尾に突き落とされる」ことによって、我が国の国民はどうして、時に”命を落とす”ほどまでの苦渋を舐めることを強いられたのか

●以上が歴史の上で所与であるとしても、それではどうすれば私たち日本勢は政治的・経済的に、そして生物的に「生き残る」ことが出来るのか。「決定打」は何なのか

賢明なる読者の皆さんはこれでお分かりいただけたのではないかと思う。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクに対して、定量分析(quantitative analysis)と定性分析(qualitative analysis)の両方を掛け合わせた未来シナリオ(future scenario)を創り出し、定期的に御提示し、かつ日々の調査分析レポートで検証するという、我が国で唯一の作業を事業化し、日々執り行っているのが弊研究所だ。だがそうしたシンクタンク、さらにはそれに基づくコンサルティングの延長線上において、「ヘルスケア・サーヴィス」を御提供するのはこうご説明するならば、極めて当然のことに他ならないのである。だからこそ今回、満を持して「丸の内メディカル・サポート」(MMS)をリリースさせて頂いたというわけなのだ。

だが単に物理的に「生きさらばえて」いたとしても人生意味はないのである。”意味””意義”をしっかりと感じ取ることが出来る感受性を保っていなければ「無意味」そのものなのだ。仮に1943年生まれであった亡き父が存命であれば今、74歳である。そう思う時、「これは絶対に問題解決が必要だ」と強く感じているものの一つが、認知症対策に他ならない。

ところがこの「認知症」を巡っては特効薬がまだない。なぜならばその仕組みが全く分かっていなかったからだ。これに対して、これまでの仮説(アミロイド仮説)が間違っていると毅然と反論し始め、かつ全く新しい確かな論拠をベースに全く新しい認知症対策サプリメントの提供を始めた企業があると耳にしたのである。それがメディカル・リサーチ社であり、認知症対策サプリメント「Phenomenon 1969」なのである。MMSでは早速、これを取り上げ、御紹介することにした。なぜならば、いよいよ「世界のレギュレーションが変わった」時代へと突入する中で、必ずや忌むべき事実がこれから次々露呈し、忌むべき出来事が続くに違いないからである。そうした中で多くのストレスを皆様は抱えることになり、ついには「ホモシステイン酸」を多く抱えるに至り、ついにはたとえ若年であっても「認知症」に罹患してしまう危険性が大いにあるからだ。そして重度の認知症は精神的に見ると「死」にも近い状況であることは皆様も御存じのとおりなのである。だから、今私はこう強く想っている:

「君、死にたまふことなかれ」

これが、MMSを今回新たに世に送り出す弊研究所を率いる立場にある私・原田武夫の決定的かつ最強度の想いに他ならない。そのことを、世界がもはや不可逆的に変わり始めてから2日が経過した”この瞬間”だからこそ、ここにはっきりと、そして日本語で愛すべき同胞のために書き記しておくことにしたい。

2017年11月12日 東京・丸の内にて

原田 武夫記す

(*「丸の内メディカル・サポート」はこちらをクリックしてご覧ください)

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