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漢江の黄昏。「開発主義国家」モデルとしての我が国が担うべき道義的責務(原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 72)

先週金曜日(27日)から1泊の強行軍であったが、韓国勢の首都ソウルを訪問してきた。彼の国には外交官時代に知り合った大親友がいる。前回会ってから随分と時が経ってしまったが、今回、江南のタワマンに居を構えている大親友氏夫妻に招かれ、御相伴に預かってきた。

最近の我が国大手メディアは不思議と韓国勢について詳報しない。あえて語っているとすれば「先般の高市・李両首脳が奈良で行った首脳会談以来、日韓勢は友好ムードであるということ」、それから「前任者であるユン前大統領は終身刑を言い渡され、そろそろ事態は沈静化しつつある」といったことばかりだ。しかし今回、江南で語り合ったところによればどうやら現地における現実は全くその様なイメージとは食い違っていると様だった。

例えば、韓国勢の外務省では全部で9つの等級が職員について定められており、その中で、我が国外務省における「外務審議官」に相当する、官僚としては最高位に位置するポジションを占めていた者は全部で8人いたのだという。ところが先のクーデタ騒動の後、李在民政権になってからこれら8名のテクノクラートたちはすぐさま「更迭」。全員が「クーデタとの関与」について厳しい取り調べを受けたのみならず、その後も一貫してこれら有能なテクノクラートたちは「待命」扱いとされ、一部屋に押し込められているのだという。その場で何をしているのかといえば、特段職務も与えられず、ただひたすら雑誌や新聞を読み、日がな過ごしているのだという。

韓国勢にとって中国勢は隣国であり、歴史的に自らを蹂躙してきた相手方として常に警戒すべき存在だ。これは、所詮、海をまたいででしかその「脅威」を感じることのない我が国とは比べものにならないレヴェルであることをまず理解しておく必要がある。そうした中国勢に招かれ、「講演謝礼」名目で謝金を受け取っている韓国勢の国会議員は数多くいるということも聞いた。韓国勢の外務省はいわば、後ろから矢を射るこうした議員たちを相手に日々防戦しつつ、前に進まなければならないというのだから大変だ。「こんな状況で韓国勢の外交に「戦略」等というものがあると思うか?」と愛犬を撫でつつも、厳しい眼差しで筆者を見据える親友氏は質してきた。筆者は自らの認識の甘さを改めて恥じた。

さら彼の言葉によれば、現在、李在民大統領は韓国勢における司法制度の根幹を揺るがす大改革を企てているのだという。韓国勢は我が国から植民地統治時代に移植された「三審制」を採用してきている。すなわち、地裁・高裁・最高裁と審判は進められるわけであるが、これに加えて憲法裁判所というものが存在している。これは純粋に憲法問題だけを処理することを任務している審級なのであるが、何とこの憲法裁判所が最高裁判所の審理結果を場合によっては覆る権能を与えられる様、李在民政権は画策しているのだという。これがなぜ極めて重大なのかというと、憲法裁判所の陣容は大統領が決めるからである。つまりこの様に「四審制」が導入されることにより、韓国勢では行政権が司法権を最終的に凌駕することととなり、結果として「三権分立」が瓦解することとなるというわけなのである。トランプ一派が米国勢において行っていることの余波は着実に東アジア勢にも及び始めている。

「最近の大学生、そして若者たちは株の話ばかりをしている。なぜならば株式指数KOSPIが史上最高値を更新し続けているからだ。本当に必要なのはベスト・アンド・ブライテストがテクノクラートとして日々、国造りに専念し、これに対してそれなりの地位と名誉、そして待遇が確保されるということが重要なのだが、もはやそうした従来型の仕組みが機能しなくなっている。ソウル大学法学部の卒業生についても同じなのだから、全くもって呆れるばかりだ」

最近は米欧のワインよろしく、「高級」ブランドが売り出されたというマッコリのグラスを傾けつつ、親友氏にそう語りかけられ、筆者はえも言えぬ気持ちになった。そしてそこにさらに畳みかけられる様にこう問われたのである。

「IISIAが謳っているPax Japonicaは一体どうなったのですか?あれは実現するのですか?何時実現するのですか?」

この言葉を聞いて筆者は稲妻を脳天に受けた様な衝撃を受けた。我が国はかつて35年間にわたって朝鮮勢を「植民地統治」した。そのことについて真摯にreflexionした上で今後、東アジア勢とは相対し続けなければならないことは言うまでもない。しかし問題はむしろ「戦後」の我が国の歩みなのだ。我が国は「開発主義国家(developmental state)」と後に米国勢の研究者(Charmers Johsonら)に唱えられる様な独自の統治ガヴァナンスの手法を、とりわけ国家(官僚制)と社会(市場・産業)との間に構築し、結果として驚異的な経済発展を遂げることに成功したのである。そして東アジア勢は一斉にこれを真似し、かつ我が国企業たちはこれに対して積極的に関わることを通じてさらに裨益してきたのである。しかし「開発主義国家(developmental state)」としてうまく行きすぎてしまった東アジア勢は今度は我が国を筆頭に「経路依存性(path dependency)」に陥り、自らを改革することが出来なくなり、ただひたすら「慣性(inertia)」のまま「昨日と今日、今日と明日は同じ」とばかりに停滞する状況に甘んじてきたのである。無論、それぞれの国々にそれぞれの細かな事情はある。だがここで決して忘れてはならないのは、そうした「開発主義国家(developmental state)」としての在り方を国際社会の中で初めて成功裡に打ち出したのは他ならぬ我が国だったのであり、その輝きこそがかつては「被占領国」「植民地国」であった地域に暮らす東アジア勢にとっては「水先案内人(カノープス)」として燦然と輝いてきたのは我が国であったこともまた事実なのだ。

だからこそ、我が国は「次」に向けてまた新たなモデルを示す道義的責任を、これら東アジア勢に対して負っている。無論、それは決して華々しいものではなく、多大な痛みを伴うものだ。「財源」の議論すらまともにしない・出来ないのになぜか「分配」に議論だけは熱心にやろうとする我が国の「政体」勢力が現状のままでこの役割を認識し、前に進み出すとは到底思えない。したがってこれから国内外で「大変なこと」が次々に起こり、そのことを通じて多大な犠牲が出る中、ようやく「これではいけない」と気づくタイミング(critical juncture)が生じ、結果として我が国は根底から「これまでのやり方」を変更することを余儀なくされる。人工知能(AI)の社会実装がその際、重大な役割を果たすことは明らかだが、しかし問題はそれがどのレイヤーに対して、どの様なインパクトを生じせしめるのか、またそこで形成される新しい「制度(insitution)」同士の最適配置はどうやったらば実現されるのかである。しかもこれを今回は分散化することでantifragileな状況にも耐えられる構造の中で達成しなければならない。これまでとは全く違う発想と、やり方、そして突破力をもって我が国を、そして東アジア勢、さらにはグローバル社会全体を導いていく意思と能力を兼ね備えた未曾有のリーダーシップがそこでは求められている。

筆者は今、国連大学(UNU)から刊行されるAI叢書の一翼を担う英文モノグラフとしてかくなるテーマを取上げ、執筆を鋭意進めている。無論脱稿には程遠いが、「何をなすべきなのか、我が国は」ということについて執筆する中で思考が徐々に固まり始めていることも事実だ。この脱稿は予定どおりに進めば今年(2026年)9月末、そしてSpringer-Nature編集部(国連大学からの委託を受けている)とのやりとりが終わり、無事に刊行されるのは来年(2027年)初夏から秋頃の見込みである。これが形になった時、再び漢江を渡り、江南に暮らす彼の国の親友氏に直接謹呈しに行こうと思う。今から、その時が楽しみでならない。

2026年3月1日 東京の寓居にて

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト

原田 武夫記す

(*弊研究所では引き続き、こうした「次の次」の時代を共に創造するメンバーを募集しています。こちらこちらの記事をご覧頂き、是非ご関心のある方は「Pax Japonicaに対するご自身の想い」を400~600字以内でまとめた上でメール(recruit●haradatakeo.com(●は@です))までご連絡下さい。皆様のご応募をお待ちしております。)