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現実社会の未来目標と映像作品から見る未来(“情報リテラシー”教育の発展とその向こう側(Vol.5))

投資先を選定する際、「国策かどうか」という点を一つの指標として取り上げる方は多いかもしれない。なぜなら、それだけ事業に対するビジョンや国からの支援が見込める可能性が高いからだ。本ブログでは、技術革新の流れを踏まえながら、国策から見る未来像とエンターテインメントに描かれる社会課題への示唆を筆者なりに読み解きたいと思う。

 

原島博氏によると、産業革命の変遷は以下のようである[原島2024]。

①動力革命(19世紀~20世紀前半)…交通、鉄鋼業、重化学工業、素材産業

②エレクトロニクス革命(20世紀後半)…半導体、電子・ハイテク産業

③情報革命(21世紀後半~)…ネットワーク上に社会・文化インフラを構築

 

人々は、便利になればなるほど仕事や生活の負担が軽減され、よりエッセンシャルな活動に注力できると信じてきた。確かに家庭電化製品の登場は主婦(主夫)の負担を軽減し、これによってパートナーや我が子と過ごせる時間が増えた。しかし、必ずしもそうでない事例もある。身近な例では「電気の発明」である。夜でも電気を付ければ仕事は可能となり、東京は眠らない街とさえ呼ばれている。技術革新によって人間本来の活動に充てられると信じられたがむしろ活動時間は増加し休息時間は減少した。他にも、1964年の東京オリンピックの直前に新幹線が完成したことで、それまでは1泊2日が必要だった大阪出張が日帰りで可能となった。ビジネスマンはこれで負担が軽減されたと言えるだろうか。もし2日かかるものが1日でできて、残りの2日は休むことができればそれは「負担軽減」であるが、現実はそうはいかない。むしろ2倍働くことになってしまう。便利さが社会浸透したとき、競争が益々激化してしまうという事実も大いに認められるのである。

 

内閣府では、各時代に対してSociety○という名称を付けている。

Society1.0「狩猟社会」

Society2.0「農耕社会」

Society3.0「工業社会」

Society4.0「情報社会」

以上のように進み、2016年1月に閣議決定された第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されたのが、Society5.0の未来社会像、「サイバー空間と(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会課題の解決を両立する人間中心の社会。」である。

 

「新たな社会を支える人材の育成」の解説は以下のようである。

Society5.0時代には、自ら課題を発見し解決手段を模索する、探求的な活動を通じて身につく能力・資質が重要となります。世界に新たな価値を生み出す人材の輩出と、それを実現する教育・人材育成システムの実現が求められている。[内閣府]

このSociety5.0において内閣府が提示している「ムーンショット目標」を改めて眺めたい。

 

<ムーンショット目標>

目標1「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」

目標2「2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現」

目標3「2050年までに、自ら学習・行動し人と共生するAIロボットを実現」

目標4「2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現」

目標5「2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食糧供給産業を創出」

目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」

目標7「2040年までに、主要な史観を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現」

目標8「2050年までに、激甚化しつつある台風や豪雨を制御し極端風水害の脅威から解放された安全安心な社会を実現」

目標9「2050年までに。こころの安らぎや活力を増大することで、精神的に豊かで躍動的な社会を実現」

目標10「2050年までに、フュージョンエネルギーの多面的な活用により、地球環境と調和し、資源制約から解き放たれた活力ある社会を実現」

(図:ムーンショット目標)

(参照:内閣府)

目標1に関して言えば、我が国の深刻な社会問題として真っ先に挙げられる少子化問題は、その直接的な解決よりも、1人当たりの能力・質を上げる、もしくは有能な人間のコピーを作るという「分人化」社会の示唆と捉えられる。また、目標2は一見美しい引きだが。優性思想の観点から言えば、有能な人間のみを創出究極の手段とも言える「デザイナーベイビー」の推進を示しているとすれば、医療倫理や遺伝子組み換えといった技術を否とする宗教的な問題もさらに深刻化する。

「2040年までにほぼすべてのほぼすべての行為と体験をアバター経由で実現」を取り上げると、1999年に公開された映画『マトリックス』では、人間とコンピュータ世界の融合が描かれている。VRの急激な進歩が顕著だが、没入型ゲームの例を挙げると、獲物の残り香を追うことによってゲーム進行が可能になるという技術も開発が進んでいる。身近でも徐々に仮想と現実の融合が行われているのである。2024年1月には、脳とコンピュータを繋ぐインターフェイス(BCI)を開発しているイーロン・マスクのニューラリンク(Neuralink)が、独自開発した脳インプラントを人間の患者に初めて施術したことを、イーロン・マスクがXへの投稿で明らかにした。これら2つの事象は無関係だろうか。

もう一つ、夏休みの定番映画の一つと言えば、2009年に公開された細田守監督の『サマーウォーズ』が挙げられる。まさに自分のアバターが使用できるOZ(オズ)という仮想空間社会における人工知能“ラブマシーン”の暴走を止めるために、主人公が現実世界との両方で奮闘する内容である。(公開15周年ということで、2024年7月26日より2週間限定で全国上映される。) 仮想空間と現実社会が融合された環境での展開は、2024年現在の社会を示唆しているようにも思える。

(写真:映画『サマーウォーズ』ポスター)

(参照:スタジオ地図公式)

このようなムーンショット目標を加味した場合、AI技術関連企業株の大化けはある程度予測できただろう。先日話題になった「NVIDIA、世界最大の企業へ」成長したのも予測の範囲内である。また、サイバネティックアバターという、生身の人間の身代わりとしてのロボットや3D映像などを示すアバターに加えて人の身体的能力、認知能力、及び知覚能力を拡張するICT技術やロボット技術を含む概念が注目を浴びているが、我が国のロボティクスに関連する強みが見られる分野は、仮想と現実を繋げる「テレイグジスタンス」「ハプティクス」「ソフトロボティクス」といった分野である。これらの分野は今後拍車を掛けて発展していくことが見込まれる。

2030年までに1つのタスクに対して1人で10体のアバターを作り、2040年頃には、1人当たり100のタスクをこなし、2050年頃には1000体のアバターを操ることが可能になるとすれば、少子高齢化が2040年頃ピークを迎え、人口減少によって2050年の我が国の人口が9000万人となり、さらなる気候変動によって現実世界での生活が困難になったとしても、仮想世界の生活は快適に送ることができる。社会問題の根本的解決ではなく、適応法模索の結果がサイエンスとテクノロジーによるフロンティアの拡大なのだろう。

それでは、今後の社会展望はどのようなものだろうか。ChatGPTに顕著なように、知識の収集はAIに任せられる。著作権の問題でも議論されているよう、AIの台頭によって誰でもハイクオリティな文章や画像生成が可能となっている現状である。まさに、「労働からの解放」である。こうなると、これらを生成すること自体には価値が見い出されなくなるのに対し、これらを操作、つまり“活用方法をクリエイトできる思考”こそに価値が付与される。必然的にその思考を持つ者とそうでない人との格差は、産業革命以降GDPが急成長した図と同様に急拡大する可能性が高い。

我が国の政府は、アントレプレナーシップ教育やスタートアップ創出に力を入れているが、その理由は人の特徴である「決断力」「判断力」が鍛えられる点に依拠するのではないだろうか。つまり、人であるがゆえに発揮される能力を高め、AIとの共存を図る。AIの結果を適切に判断できる、いわゆる社会構造のトップに立ち、社会を牽引する人口を今まさに創出している段階であると考えられるのだ。結果として、この波に乗れなかった者はピラミッド構造の末端において、ただの“駒”として搾取される存在になっていく。

不登校の問題は、多様性という概念を活用しつつ苦手の克服を強要するのではなく得意なことを伸ばすという風潮に変化した。これは、今後このような苦手がAIによってカバー可能になる、もしくは他人によってカバーできるようになるとためである可能性がある。その場合この社会変向は妥当であり、計画的であるとも捉えられる。今後、ヒトの能力そのものが価値として認められた場合、能力自体が売買されるようになれば、この「ヒト」能力を持つ者は社会構造のトップ立つことができる。簡潔には、貨幣経済からの解放の可能性を考えると、直接的な“金”でないにしても“裕福”な生活を営む権利が何らかの形で与えられることになる。対して、そうでない者は、自らが創出(クリエイト)できる価値が無いために、給付金のような必要最低限の経済力によってのみの生活が居られる時代やってくると予測できるのである。コロナ禍において10万円の給付金が為されたのは記憶に新しい。国民を労働から解放し、生きるのに必要最低限の物資の給付制度を計画した際、10万円給付実施はその前触れだったのではないかとすら思える。紙の保険証廃止とマイナンバーカードの普及を急ぐ政府の思惑が、これに繋がると考えても不思議ではない。

さて、世の中にはインスピレーションを受けて誕生したとされる映像作品や美術作品で溢れている。インスピレーション≒アブダクションであると考えると、人々が進む未来を予測する一種の未来シナリオであるとも捉えることができる。2011年NASAが現実的なSF映画( “most plausible sci-fi movie of all time.”)と評価した1998年日本公開の映画『ガタカ(Gattaca)』は、遺伝子操作で生まれた“適性者”が社会を支配する近未来を描いており、自然出産で誕生した主人公ビンセントは“不適正者”として冷遇される人生を歩む。他にも、未来社会を示唆していると囁かれる作品と言えば『コンテイジョン(2011)』『インターステラー(2014)』『Don’t look up(2021)』『Civil war(2023)』等。邦画では、新海誠監督の『君の名は』『天気の子』『すずめの戸締り(2023年)』などが挙げられる。

最後に、情報環境をインストールするだけでなく、アンインストールすることも大切であるという原島博氏の意見を鑑みると、フランス映画界の巨匠コリーヌ・セロー監督が描いた1996年制作・公開の『美しき緑の星(La Belle Verte)』という映画がまさに牢屋の中のような社会に生きている地球人の危機を問題視し、社会からの「デトックス」を描いている。

(写真:『美しき緑の星(La Belle Verte)』ポスター)

(参照:Amazon)

インタビュー動画の中で、セロー監督は次のように述べている。

「現代社会は、民衆に対してこれを食べなさいと生きるのに必要最低限を与えて大人しくさせているように描写できる。この映画では、民衆は生きるために必死でいるしかない。このような社会の仕組み“やめよう”というメッセージを描いた。」

エンターテインメントとして輩出されている映画や美術作品に込められた想いは、社会課題を表し、<このまま進めば現実化してしまうという未来シナリオ>もしくは、<今後人類が向かうべき未来社会像>から乖離していない可能性を大いに感じる。これらを踏まえた上で改めて自分自身、そして社会の未来について考えたい。

 

コーポレート・プランニング・グループ 田中マリア 拝

 

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[参考文献]

・[原島 24] 原島博, 「原島博講義シリーズ 俯瞰する知 巻1 情報の時代を見わたす」, 工作舎(2024).

・[内閣府21] 内閣府, ムーンショット型研究開発制度, https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/index.html, (2024年6月24日最終閲覧)

・[内閣府] 内閣府, Society5.0とは, https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/,(2024年6月25日最終閲覧)