我、西の聖に何を見しか。(原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 60)
一昨日(13日)夕、ウィーン、ベルリンそしてローマと廻って来た今年(2025年)秋の欧州行脚から本邦に帰国した。ローマではイタリア勢ではなく、ヴァチカン勢の様子をつぶさに見ることに専心した。その直前に訪問していたベルリンの気温は最低が5度であったが、ローマでは最高気温が20度であった。日中、街路では半そで姿で遊覧する観光客もおり、欧州勢といっても一言では片づけられないとあらためて思った次第である。
ヴァチカン勢では「AIと医療」と題する国際会議に出席した。筆者はキリスト者ではなく、当然のことながらカトリックではない。しかしヴァチカン勢はグローバル秩序の根幹を成す勢力である。そのため全くもって無視出来ない勢力であるわけだが、「門徒」でない限り、正直とっかかりを得ることは極めて困難である(むしろ進んで「入信する」のであれば話は別だが)。そうした中でご縁を頂き、「人工知能(AI)」という切り口でヴァチカン勢と接点を持つことが出来ている。今回はその延長線上でその内奥に迫ることが出来た。その時、現場で行われていた議論から察するにヴァチカン勢が今後何を思い描いているのかについては、14日にリリースした音声レポート「週刊・原田武夫」において詳述しておいた。是非お聞き頂ければと思う。
このコラムでは今回現場で学んだヴァチカン勢を巡るもう一つの側面について、画像・動画も交えながらお伝え出来ればと思う。この国際会議の参加者は希望する場合、去る12日に実施された「教皇拝謁(papal audience)」への出席を許されていた。ヴァチカン勢の中心に君臨する教皇とその信徒集団との直接の和合の場を直にこの目で見る、絶好の機会である。もちろん喜んでこのオファーを受けることとし、「拝謁」に出席した。
集合はこうした団体・組織経由での参加の場合にのみ通過を許されるペルジノ門の前であった。全世界から参集した同会議の参加者らと共に「ヴァチカン市国」に入境したのが午前8時15分。その後、しばし待たされたが、いよいよ「拝謁」の現場となるサンピエトロ寺院前広場には午前8:40には到達することが出来た。
現場に入る直前には要所要所に、実にカラフルな制服を着ているスイス勢の傭兵たちが屹立している。中世から変わらないであろう鋭い槍を持って立つその姿に歴史を感じながら同広場に入ると、既に大勢の人々が今や遅しと教皇を待ち構えていた。「残念ながら座席までは特別に留保はしていないのです」と案内役の事務局員から言われ、一同がっかりするが、それでも見渡す限り群衆の間にまばらながらも空席がある。「ここは大陸、まずは自力救済」と、ここのところ鈍っていた感覚を取り戻しながら探すと、案外簡単に1席確保することが出来た。
しかし、である。「拝謁」が教皇レオ14世の”お出まし”という意味で始まったのは正確にいうと定刻午前9時から実に45分が経過した後の、9時45分過ぎからであった。それではそれまでの間、何をしていたのかというと午前9時過ぎからやおら、まずはイタリア語でアナウンスが始まったのである。「???」と耳をそばだてていると、どうやらその場にいる全世界から集まったカトリック勢の団体名を次々に読み上げているらしい。英語のアナウンスになってようやく気付いたが時に「sacred heart(聖心)・・・」等とも言っているのである。イタリア語、英語、ドイツ語、中国語、スペイン語の順番で次々に団体・組織名が読み上げられる中、人数にして1万人近くいるであろうか、並み居る群衆のあちらこちらから時折「オー!」と声が湧き上がっていた。要するに世界中の「同志」の前で、自らのカトリック勢としての団体・組織名を読み上げられた際に感極まって皆、声を上げていたのである。徐々に熱が籠っていくその情景を見て、筆者の胸中にはある光景が思い浮かんでいた。
それは1964年、我が国で開催された東京オリンピックにおいて全世界から集まった選手団を前に開会の御言葉を述べられた昭和天皇の姿である。記録映画を見る限り、その時、「東のスメラギ」は感極まった表情をされていた。何せ、その19年ほど前には全世界が我が国を潰しにかかって来、事実、原子爆弾を広島、そして長崎にまで落としてきたのである。そのわずか19年後に、今度は全世界から屈強な若者たちが寄り集い、「平和の祭典」の始まりを「東のスメラギ」に託した。その紛れもない歴史的な事実を前に、昭和の大帝は深い感慨を禁じ得なかったに違いない。
他方で今回、西の聖(ひじり)である教皇レオ14世は、それを週次でこなしていることを筆者は目の当たりにしたのである。開催時刻を45分すぎたあたりで、広場に集まる群衆の中より大きな歓声が湧き上がった。教皇レオ14世が、シークレットサーヴィスの男たちに囲まれながら、ひときわ高い演台のついた乗用車に乗りながら、笑顔で手を振りつつ、登場したのである。教皇は1万人、いやもっと集まっているかもしれない群衆の中を車でぐるぐると廻り、そして演台に着いた。ヴァチカン勢では「毎週」繰り返されているというわけなのである。
確かに型式の上では我が国皇室による「一般参賀」と同じかもしれない。しかし、「教皇拝謁」においては、シークレットサーヴィスによって守られているとはいえ、明らかに無防備とも言える姿で教皇は我らが群衆の前に登場し、手を振り続けていた。しかもそれだけではない。群衆はそれぞれが世界中から集まった「同志」であることをその前の連呼によってお互いに確認し合い、その熱狂の中で「西の聖」は登場していたのである。ファシズムにおいて典型的なやり方が「広場の政治」であると、本郷で学んだことがある。その根源がこのやり方であり、かつカトリックがなぜ己を「普遍」と称するのかを筆者はようやく理解することが出来た。事実、私たちは皆、毎週1回、この広大な広場で「世界の縮図」というべき世界中から集まった信徒集団の熱狂の渦の中に立つことが出来、その結果、己もその普遍の一部であること、さらにはその中心には「聖なる言葉」を述べる教皇がいることを物理的にこの目で確認することが出来るのである。我が国の「一般参賀」には見られない、「普遍」「人類全体」を意識した巧な演出がそこでは明らかだった。そして思ったのである。
時代は明らかにパックス・ジャポニカ(Pax Japonica)に向かいつつある。しかし、我が国「政体」勢力はというと、明らかに我が国自身を諸国勢に対して閉じようとしている。明らかに相矛盾した動きなのであって、後者は打破されなければならないのである。ただし、そこには一つの中心がなければならない。いわば曰く「マルチョン」なのであって、そのことをこの目で誰もが目視できる様な心憎い演出、さらにはそのプロセスそのものが毎週の様に定期的に行われることこそが、事実重要なのである。恐らく「このこと」を「東のスメラギ」ご自身こそが最も歯がゆく想われ、かつ何とかしなければならないと思われているのではあるまいか。
教皇とその配下の者たちが延々とラテン語でメッセージを読み上げる中、フライトに間に合うよう、筆者は熱狂の現場を後にした。我々は「五族協和」を謳ったかつての大東亜共栄圏なるコンセプトに立ち戻ることを許されてはいない。かといって、「ニッポン」の特殊性をごり押しし、「我を解さない者は普遍にあらず」などと内向きな議論を展開していたところで何も始まらないのである。今こそ必要なのは「開かれた日本主義(An Open and Inclusive Japanese Nationalism)」に他ならない。―――そう、深く胸に刻み込みつつ、帰国の途についたのであった。その意味で、我が戦いの最前線は日ごとに閉じられようとしている我が国の国内にこそあるのかもしれない。
2025年11月15日 陽光に恵まれた広島の寓居にて
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト
原田 武夫記す