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外交と接待は違う。「品位ある国家」を目指して(原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 58)

我が国の高市早苗総理大臣による外遊先での「振る舞い」が徐々に議論を巻き起こしつつある。曰く、「あれは外交ではなく、接待なのではないか?」というのである。
例えば先般実施されたトランプ米大統領訪日の際のこと。最後の最後に迎賓館から出ていく同大統領に寄り添う様な形で、腕を組む高市早苗総理大臣の姿が写真に収められ、公開された。後にも先にも、「あれだけの近さ」でトランプ米大統領に”迫った”我が国要人はいなかったのではないだろうか。それ以外にも様々な「ノリの良さ」「相性の良さ」がアピールされ、「日米首脳による今回の出会いは大成功だった」と言われている。

その前後において実施されたアジア太平洋諸国、さらには東南アジアの諸国の首脳との出会いの場においてはどうであっただろうか。テレビカメラはインドネシア大統領に対して議場で椅子を横にずらしながら「にじり寄る」高市早苗総理大臣の姿をとらえていた。また、チリの大統領の肩をしっかりと抱きすくめ、あたかも「旧友の再会」の様なふるまいをする我が国総理大臣の姿もこれまた極めて印象的であった。こうした姿を見るにつれ、海外勢は恐らく、こう思っていることであろう。

「ジャパン・イズ・バック(日本は復活する)ではなく、ジャパン・ハズ・チェンジド(日本は変わった)、だな」

高市早苗総理大臣は関西出身の人物である。その持ち前の「気さくさ」はその出身地の文化によるものなのかもしれない。ただ、彼女は「これは関心が無い」となると態度が変わる。2003年、とある出版メディアの方に連れだって、経済産業副大臣室で高井早苗衆議院議員と面会したことがある。ちょうどその時、私には手持ちの著書としてドイツ語で出版した書籍しか持ち合わせがなかったので、高井早苗「経済産業副大臣」にはその一冊を対面で謹呈した。するとその時、笑顔は見せつつも、極めて冷たい視線でこう言われたのである。

「私、ドイツ語読めないから・・・。もらっても、ねぇ。。。」

その頃、私は外務公務員、すなわち我が国の外交官であった。そして時に皇室の方々の外国御訪問に携わっていたわけであるが、仮に皇室の方々であれば、同じ場面でこうおっしゃられたことであろうと推察する。

「これは・・・大変お勉強されましたね。ご苦労さまです。ありがとう」

滑り出しは快調の様に見える高市外交を見ていて、ふと私が思ったことがある。それは「品位」とは何か、ということである。外交、とりわけ(私が現在、御縁あって大学において教鞭をとっている)「国際儀礼(international protocol)」の世界においては、男性から女性に対して握手を求めてはならないことになっている。あくまでも女性からその意思表示がある場合にのみ、その手にほんの少し触ることを許される。このルールに則る限り、高市早苗総理大臣は自ら身を乗り出しているというわけであるから、応じる各国首脳と物理的な距離感を詰めたとしても、それは「国際儀礼」違反にはならないということになるのであろう。

しかし、果たして「品位」という観点で見た時にどうか。もっともここで私が取り上げたいのは何も堅苦しい講釈のネタとしてのそれではない。高市早苗総理大臣が語る「言葉」が果たしてどうであったのか、ということなのである。例えば中国人は常に「囲碁の世界」を語り、日本人はこれとは違い「将棋の世界」を語ると言われる。つまり、次元の違う世界についてお互いが語るわけであるが、とにもかくにも局面そして小さな世界にばかりこだわるのが我が国、そしてその外交の常であるということなのである。今、私はいわゆる古典的な国家間のという意味での外交(diplomacy)に直接身を置いてはいないわけであるが、グローバルな会議の場でもつくづく思うことがある。「囲碁の世界」、すなわち世界のルール全体を変える議論をするのは決まって、欧州、中国、そして力づくの米国ということになっている。それに対して我が国の出席者はというと必ず「局面」「断面」しか語らない。だから最初から相手にされない。ルールが変えられた後にのこのこと入っていこうとするからこそ、「それでは支払え」と全ての構造転換にかかった費用の勘定書を廻される。これが、第一次世界大戦後の「ヴェルサイユ講和条約」以来の我が国外交のいわば「伝統」となっているのである。

それとは一線を画し、「我が国ここにありき」と決然たる態度を示されたのが昭和天皇その人であったのだと私は常に思っている。1971年、1973年、1975年と欧米諸国を訪問され、その中で我が国が一体いかなる意味合いを人類社会の中で持つ存在なのかを諸国民に見せられた。当然、その行いは国事行為としては書かれていない狭義の「外交」とは違う。あくまでも憲法上で言うと「事実行為」に止まるものではある。しかし「敗戦」から19年しか経っていない1964年にアジアで初めてのオリンピックを東京で開催し、そしてこれまたアジアで初めての万博を1970年に大阪で行った、その延長線上で昭和天皇が「事実として」示されたこと、それは「平和への希求、人類団結への希望」という強いメッセージであったのである。そのこれまた力強い「事実上の」リーダーシップで営々と続けられた我が国の戦後経済復興は1973年から1974年までの間にピークを迎えることになるが、そうした「隆盛の国」としての我が国の姿に、とりわけ発展途上国における「未来のリーダー」たちは希望の光を見出し、モデルを思い描いた。この「新しい世界秩序の唱道者」による外国御訪問であったからこそ、これまた「事実として」諸国勢は昭和天皇を歓待し、多くの者たちは感じたのである。―――「ニッポン、ここにありき」と。

何事も最初は極めて大変である。ドイツ語では”Aller Anfang ist schwer.”という。確かにそのとおりである。始まったばかりの高市外交に難癖をつけることは控えたいと思う。しかし望むらくはその国際場裏における立ち居振る舞いから「日本の品位」をもって、諸国民を唱導する。そういうリーダーシップへとそれが育まれればと考える。単に「女性だから」「女性初の我が国総理大臣だから」ではないのである。高市早苗総理大臣には是非、その意味での「品位」と「霊格の違い」を見せつけ、多くの諸国民がそれをもって我が国に付き従うことになる、そんなリーダーシップを発揮してもらえればと強く願っている。

ようやく実現した日中首脳会談の翌日、慶州で矢継ぎ早に台湾代表団と会談した高市早苗総理大臣の振る舞いを、中国側は「激しく非難」したのだという。確かに口先だけでは立ち行かないのが外交であり、かつ「譲れない利益」があるということも確かであろう。しかし、そうではってもより高次な「品位」を語り、同時に中国側が我が国において特に何を本当は望んでいるのか(「中国の現体制から見て、”金融犯罪者”と見なされる人物を事実上の政治亡命者として受け入れ、そのまま放置している我が国の警察司法当局、さらにはその上の政治的リーダーシップは信頼できない。なぜ世界の中でたった一つ、彼らに対して救いの手を差し伸べるのか。これこそが最大の挑発行為である」と北京で先日聞いた)をしっかりとつかみ取り、舞台裏で適時的確な調整を行う右腕たちを使いこなすこと。―――昭和天皇とその(見えない)「舎人(とねり)」たちがかつて縦横無尽に地球の上で繰り広げた本当の「品位」ある国際友誼の復活を、心から望む私なのであった。

2025年11月2日 熱海の海辺にて

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト

原田 武夫記す