アマテラスの国とブロックチェーン。(原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 22)
今朝、NHK総合テレビ「日曜討論」を見た。最近、毎週日曜日になるとこの番組を見るようにしている。無論、突如として「政治」に関心が湧いてきたわけではない。そうではなくて、むしろ民主主義で選ばれるという意味でのリーダーシップである「政体」勢力がもはや”詰んでしまった”ということをあらためて確認するために見ているのだ。
今日(8日)の「日曜討論」もそうだった。出演していたのは全部で7名の与野党所属「新人議員」たち。いずれもがフレッシュマン・ウーマンなわけであるが、とどのつまり言っていることは皆同じであった。
「生活が苦しい。老人、若い世代、シングルマザーにもっと分配を行う政治が必要だ。」
「とどのつまり中小企業における賃上げが遅れているからこそ問題が長引いている。もっと早く賃上げをすべきだ。」
「社会保障というと財源の議論をするのに、防衛費というと財源の議論がいつの間にか吹き飛んでしまうのはおかしい。減税しつつ、必要なところにはカネを使えるよう、積極財政に転じても良いのではないか」「いや、問題の小生世代への先送りは良くない」
「とにかく必要なのは経済成長。それがあって分配を積極的に行える」「経済成長のためにはとにかく若い世代の所得を増やす施策が必要だ。だからここに集中的な分配をしなければならない」などなど。
結局、彼・彼女らとてかつての政界古狸たちと全く同じなのだ。我が国が持っている「富のパイ」それ自体を増やす具体的かつ実行可能な施策を提案することなく、「今・ここ」に既にあるパイの分配方法についてだけ喧々諤々と論じている。そうなると当然のことだが、「あちらを立てれば、こちらが立たず」になるわけなのであって、議論は堂々巡りとなり、結局のところ最後は「数の論理」で押し切ってしまえということになってくる。ところが石破茂政権はというと「少数与党」であり、安倍晋三政権時代とは異なり、最後の最後に強行突破が出来ない。その結果、いたずらに時だけが虚しく過ぎ去っていく。今日の「日曜討論」も結局は”このこと”、すなわち「政体」勢力そのものが詰んでしまっているということをただただ確認するだけの番組であったと強く感じた。
もっとも、「政体」勢力がこの様に”詰んでしまっている”と言う状況は何も我が国だけではないことも指摘しておかなければならない。既に財政破綻まっしぐらになりつつある欧州のフランスを筆頭に、連立政権が事実上瓦解したドイツ、さらには「戒厳令」まで出しておきながら数時間でこれをひっこめた尹大統領率いる韓国などなど。世界中において「政体」勢力はものの見事に”詰んで”しまっている。他方で金融マーケットはといえば、こうした「政体」勢力の現状を傍目にこれまた”詰んで”しまっている。とりあえずは「米国一強」ということになっているが、これが実に危うい状況であることは前回のこのコラムにおいて論じた次第である。米国勢に全て寄せれば良いなどという単純な事態では決してないのである。
「お茶の間評論家を気取るのであれば結局のところ、原田武夫も批判している政治家連中と同じレヴェルなのではないか」
そんなお叱りの声を読者の皆さんから受けそうだ。私は、自分自身の「出番」が訪れるのは未だだと考えている。だからこそ李氏朝鮮時代に中央政界とは距離を置きつつも、そこでの「政体」勢力に一定の影響力を持った先人たち(=「野賢」)よろしく、今この瞬間は「前衛」ならぬ「後衛」の位置に陣取っている。結局のところ、上述のとおり「再分配マシーン」の一部に堕してしまっている政体の側が万策尽きた時に、初めて己の役割を果たす時が到来すると考えているのだ。
もっとも「政体」の側が万策尽きた時に何が代わりに出現し始めるのか、生じ始めるのかについては既に海の向こうでその予兆が現れ始めている。他ならぬ米国におけるトランプ次期政権が既に打ち出し始めている様々な施策(案)が示す予兆である。「30万人の連邦政府職員を解雇する」と息巻くイーロン・マスク率いる連邦効率化庁(DOGE)の動きがその典型だが、これなどもまだまだ旧来型の発想にとらわれた、いわばこれから起きる真実の中でも過渡的な出来事に過ぎないというのが私の考えだ。それでは一体、何が本当に目指されている未来の在り方なのであり、また目指されなければならないターゲットであるのか。
このことについて私なりの考えを、「ニッポンにおけるブロックチェーンの父」というべき斎藤賢爾先生(早稲田大学)の議論に触発される形でまとめて述べたのが去る6日にリリースした音声レポート「週刊・原田武夫」である(*下線部をクリックすると詳細にジャンプします)。そこで述べたことを踏まえつつ、これから目指されるべきことの要点をシンプルに述べると次のとおりとなる。
―我が国の場合、まずは「富のパイ」を増やさなければならない。しかしそのための施策は同時に、止まるところを知らない人口減少という我が国における現状と整合性をとりつつ、実現されなければならない。「富のパイ」を増やす具体策無くして、その再分配だけを詰める様な者はもはや意思決定権者の座にあってはならない(この意味で現在の「政体」勢力の構成員らには全員、「即刻退場勧告」を出さなければならない)。
―上記のとおり「富のパイ」を増やすために、諸外国がこれまで行ってきたのがSWF(Sovereign Wealth Fund)、すなわち「国営ファンド」による外国での荒稼ぎである。しかしこれは我が国の場合、「決断出来るリーダーシップの不在」「それを前提とした情報工作機関=インテリジェンス機関の不在」という現状に鑑みて、現実的ではない。むしろ一歩でも我が国の富を海外に持ち出した瞬間に諸外国からやって来るハゲタカたちにむしり取られるのが関の山である。
―したがって求めるべき方法は我が国=ニッポンがニッポンであるが故に「すぐそこ」にあるもので何とか富を集めよということになってくる。事実、我が国政府はこの流れに沿う形で風光明媚な我が国の観光資源をベースにインバウンド需要頼りの「観光立国」に励んできた経緯がある。しかしその結果、オーバーツーリズムが我が国の山紫水明を根こそぎ蹂躙し始めている。もはや限界というのが目に見え始めている。
―それでは他の手段は本当に無いのだろうか?岸田文雄前政権時代から我が国が同時に掲げ始めたのが「スタートアップ10か年計画」だ。地方創生の要として全国津々浦々で「アントレプレナーシップ大運動」を扇動しつつ、「和風GAFAM」を創り出そうと取り組まれてきたことは事実である。だが、結局のところそこではディープテックこそが頼みの綱とされ(今更、人手に頼る第二次産業=モノ作りの世界には戻れない)、さらには肝心かなめのディープテックを支える最新アルゴリズムは常に「海の向こう」からやって来る、という仕組みへの依存が生じることにより、事態は一向に改善されないまま推移している。この様子は「経済音痴」だが権力闘争好きであった毛沢東が、それまでの華僑財閥頼みの経済運営から自分自身で素人経済政策へと大きく舵を切り、結果として大失敗した「大躍進政策」にも似て、あまりにも滑稽に思えるのは私だけだろうか。
以上を大前提として私としては以下を提案したい。―――我が国=ニッポンにはあって、他の国にはないもの。それは「安全な社会」である。それではその「安全な社会」のどの部分をもって我が国の「国富」を増やすべきなのか。そこで物理的な意味での観光資源などに走ってしまっては先ほどのとおり、限界が来てしまう。しかしここで発想を大きく変えてはどうか?自然(じねん)とは「自動化システム」そのものである。私たち人類の意思とは全く無関係に「春夏秋冬」「春夏秋冬」「春夏秋冬」・・・と動き続けている。我が国の観光資源も結局はこの意味での自動化システムそのものを利用しているに過ぎないわけだが、それはあくまでも物理的な制約要因があるからなのだ。自然(じねん)に1年で50個の柿を実らせることが出来る柿木が、需要が増えたからといって1年で100個、200個と柿を実らせることなどあり得ないのである。
しかるに「参画する者が増えれば増えるほど、その自動化システムが維持され、拡大する」という仕組みが存在するならばどうであろうか?この文脈で言うと、その仕組みが我が国を拠点に作動するところにまずは議論の出発点がある。たとえヴァーチャル空間がその自動化システムの居場所ではあっても、最後の最後に「責任者は?」となった時にその住所が我が国にあること。これが世界中の人々によって安心・安全の証としてそこはかとなく信じられるのであれば、実はこの仕組みは走り出す可能性があるのだ。そして事実、この意味での「初期条件」を我が国は満たしている。
次に大切なのが、この新しい自動化システムへ多くの人々が参画する理由は、他ならぬ人間自身が固有に持つ「欲望」に紐づけられていること、である。私は様々な大学でアントレプレナーシップを教える際に必ず次のような話をすることとしている。
「アントレプレナーシップを起業という意味で始めようとするのであれば、必ず”お金に近いところ”から始めなさい。さもなければせっかく良いアイデア、事業であってもすぐさま干上がってしまい、持続可能ではなくなってしまうのだから。」
ここで述べる「自然(じねん)」にも匹敵する新しい自動化システムを皆がなぜ利用するのかというと、それを通じて誰でも・いつでも・自由に・誰に対しても送金することが出来るからである。他方でこの自動化システムがなぜ維持されるのかといえば、そこでカギとされる「分散台帳システム」の維持と運営を手伝うことにより、報償として与えられるネイティヴ暗号通貨が満足の行く市場価値を持つことが保証されているからである。その結果、誰しもがこの自動化システムを通じた送金、すなわち交易を行うようになり、同時に誰しもがこの自動化システムを維持・運営するために果敢な努力をし続けることとなる。そしてまた重要なのがここでいう分散台帳システムは以上の仕組みの中で当然のごとく、「誰しも閲覧が可能な形」になるという点である。なぜならばだからこそ、第三者が不当な形で取引を妨げることに対してその事実を発見し、防御することが出来るからだ。以上の仕組みの結果、この自動化システムはそもそもそれ自体が世界中から安全・安心な場として認識されている我が国において、自然(じねん)という物理的な意味での自動化システムを超える形で定着し、拡大し始める。当然のことながら、その時、この渦の中に良い意味で巻き込まれていくのは何も私たち日本人だけではない。むしろより多くの諸国民たちがこれに積極的な形で参画し、我が国を中心とした大きな渦が出来上がっていく。
この意味での自動化システムはもはや金融の世界だけに止まることはないはずだ。自動化システムそのものが自律的に作動し続ける中、会社も、政党も、学校も、ありとあらゆる組織が「ヒトがどうしても必要な部分」と「ヒトが関与しなくても良い部分」へと分離し始める。これまで「仕事」と思って後者に日々関わってきた者たちは当然のことではあるが、「失職」する。しかし、心配することなかれ、自動化システムからの分配が当然あるので食い扶持を失うことはないのである。それはちょうど、自然(じねん)という自動化システムと対峙するのみであった当時の私たち人類の先祖が、分け隔てなくそこにある柿の木から柿を得ることが出来たのと同じなのである。そしてこのことを前提としつつ、前者、すなわち「そうはいってもヒトがどうしても関わらざるを得ない部分」について極安価で雇われる人々がごく少量出て来る。しかしそれはいわば「名誉職」なのであって、権力とも権威とも無縁のポストなのである。
ここまで読んでこられて、読者の皆様は「なぜトランプがビットコインと騒ぎ、イーロン・マスクがDOGEコインと連呼しているのか」が分かったのではないだろうか。現状の暗号資産(仮想通貨)は未だ既存の法定通貨との交換を前提にその価値が計られている。なぜならば、例えばビットコイン(BTC)をもって直接、街中のスーパーマーケットでモノが買えるわけではないからだ。だがしかし、これが何かの重大なきっかけで法定通貨(すなわち米国であれば米ドル(USD))を介在させることなく、暗号資産(仮想通貨)自体で世の中のありとあらゆるモノ・サーヴィスと直接的な交換をすることが出来る様になったならばどうであろうか。そこで自然(じねん)に変わる新たな自動化システムが出現するということを、読者はたちどころに理解されるはずだ。
「ブロックチェーンが人類史上、壮大なプロジェクトであり、近未来からリアルに重大な役割を果たすことは理解した。だが、だからといって我が国がそこでの中心になり、ましてやIISIAが語る”Pax Japonica”の中核的なインフラになると、何故に言えるのだろうか?」
読者の皆様は必ずやこう思っているに違いない。だからこそ、実はこの部分の決定的な「答え」については先述の最新「音声レポート「週刊・原田武夫」」(2024年12月6日号)で詳述した次第である。是非ともご関心のある向きには聞いて頂きたいと思っている。少々ヒントを出すならば、要するにこの自動化システムには本当にコストがかからないのか?という点である。さらに言うならば「分散台帳システムの維持・運用」のためにはいかなるエネルギーが必要なのか、またそのエネルギー源との関係で我が国が果たしてどの様な立ち位置にいるのかということがそこでは決定的なカギを握って来る。そしてこのこととの関係でこれから本格化するこの全く新しい自動化システムが我が国を中心として据えられることを通じ、全ての諸国民が我が国に対して「木戸銭」を支払うこととなり、そこで自動的に集められる富が我が国へと均霑され、我が国における本当の経済・社会の再生が始まることとなる。
とどのつまり、我が国は「アマテラスの国」に他ならなかったということなのである。太陽神が宿る国。そこから、人類全体の新しい未来が始まる。ここにこそPax Japonicaの真髄と、私たち人類全体の未来がある。
2024年12月8日 東京の寓居にて
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト
原田 武夫記す
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本日のコラム、如何でしたでしょうか?弊研究所では来年1月、恒例の「年頭記念講演会」」を開催致します。今回取り上げたテーマも含め、じっくりとお話をさせて頂きます。ご関心を持たれた方はどうぞ、こちらから講演会の詳細をご覧ください。皆様のお申込み・ご来場をお待ち申し上げております。