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ここに来ての気づき。”Duty is not work, but work can be duty”. (「原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 20)

ようやく異常に暑かった「秋」が終わり、晩秋へと近づく、いやそれを超えて「初冬」の始まりといった陽気になってきた。政治も、経済も、そして金融もまだまだ混乱はあるものの、back to the normalcyといった感じになりつつある。読者の皆様においてはいかがお過ごしであろうか。

15日にリリースした音声レポートにおいても触れたとおり、日本マーケットを巡っては「売り一方の個人、買い一方の事業法人」、さらには「年末年始ラリー喧伝の外資証券勢、まだまだ弱気の国内証券勢」といった軸がはっきりと見えつつある。もっとも繰り返しこれまで述べてきているとおり、「いつまで株取引に固執するのですか?」というのが正直なところでもあるのであって、海の向こうの米国勢からは「仮想通貨・暗号資産フィーバー」の風ばかりが吹いてくる。いずれにせよ、ここが踊り場、分水嶺であることは確かなのであって、一段を気を引き締めて進まなければならないのだと改めて感じている。どちらの方策とるにせよ、「ここでの判断、ここ始める行動」が早ければ来春(2025年春)には指数関数的な飛躍を読者の皆さんにもたらすことになるというのが変わらぬ卑見だ。

そうした中だからこそ、ここ数日、”気づいたこと”がある。それは”Duty is not work, but work can be duty”.ということだ。Dutyというのは通常、公務を指す。公務員が行うべき職務を指すわけだが、ここでは広く「公のためのタスクをこなすこと」ととらえておきたいと思う。これに対してworkとは「民間企業において事業収入を稼ぐことを目的にタスクをこなすこと」と定義しておく。そしてこう考えた時、「三つ子の魂、百まで」とはよく言ったもので、筆者は外務公務員(キャリア外交官)として職業人生を20歳から始めているだけに、全ての仕事はやはりdutyであることが大前提であり、それをこなすことを日々に営みにしてきたと今更ながら想うのである。

弊研究所のヴィジョン、ミッションが正にそうだ。「Pax Japonica」が前者、後者が「Giving the People Hope and Future」である。一般にやれヴィジョンだ、ミッションだというとSDGsを意識しながら、「本当にそれやってるの?」というスローガンを掲げる企業が大企業から始まり後を絶たない。しかし弊研究所は、自分で言うのも何であるが、これらのことに「本気で徹頭徹尾取り組んで」いる。そしていずれもここでの定義でいうとdutyなのであって、公というものが24時間365日休むことがない、消失することが無いことから、絶えずそれを意識し、作業し続け、少しでも改善を施すよう努力するのが弊研究所における基本的な姿勢ということになってくるのだ。

だからであろう、これまで弊研究所の門を折角叩き、中に入ったものの、どうしても違和感を拭えず、去っていった者たちがいる。口々にその際、それなりの考えを述べていたわけであるが、研究所のファウンダーであり、CEOとして経営リーダーシップをとり続けてきた私にとってはそこで述べられていた言葉の数々が全くresonanceを伴わないように感じられたことをここでは吐露しておきたいと思う。それが「一体なぜなのか?」とずっと違和感を覚えていたのであるが、この数日になってようやく「気づいた」のである。そう、それは結局のところ、dutyこそ我が研究所においてこなすべきことなのであって、workすなわち「明日の飯を食うために最低限のことをやること」ではないということなのだ。「それでは公益法人でもやれば良いではないか」「政治で願望をかなえたら?」と言われそうだが、私からすればそれこそ本末転倒なのである。誰かからの施し(補助金、寄付金)で細々と申し訳なさそうにdutyをこなす必要はない。また結局は所得再分配のシステムの中でいかにして「我田引水」をするのかというゲームに過ぎない現在の政治とdutyは似ても似つかないものなのである。

「大言壮語だけして、何もしていないのではないか?多少、教育めいたことをやっているかもしれないし、国連なども絡めて活動をしかけているかもしれないが、結局は成果が出ていないのではないか?」

そう、お叱りの声をあげられる向きもいそうな気がする。ここであえて申し上げるならば、”情報リテラシー(information literacy)”教育を巡ってはいよいよその理論的なバックグラウンドを踏まえ、人工知能(AI)の社会実装も交えつつ、より高度なステージへと弊研究所による活動と実務は辿りつつある。その一つの成果が人工知能学会の研究会で去る9月に発表したこちらの研究であるが、これについては来春(2025年春)に向けてさらに深堀して行き、早ければ来年(2025年)初夏にも国際学会の場で成果発表を行うことを企図している。一言で言えば、人類が人類であるが故に行うことが可能な知的能力であるアブダクション(abduction)についての人工知能科学からのアプローチという研究になるわけであり、それ相応のインパクトをグローバル社会に与えることが出来ればと目論んでいる次第だ。

またそもそもお題目だけで「社会貢献」をヴィジョン、ミッションにて語っているわけではないのであり、より「現場」において価値創造を弊研究所らしいやり方で進めているということは、先般公表した東広島市+広島大学の共催イヴェントで私が述べた「リスキリング・アントレプレナーシップ論」からも明らかであろう。10兆円もの大枚をはたいて我が国政府は「スタートアップ元年」だと叫び始めて久しい。しかし何ら目立った成果は出ていないわけであり、私の目からすると「全くもって見当違いのアプローチ」が国を挙げて行われているとしか言い様がないのである。すなわちカネや、事業立地、さらにはいたずらに技術開発を進めても意味がないのであって、1にも2にも、とにかく「潜在的な顧客」をスタートアップに対して分け与え、これをもって事業化、収益化のプロセスを一気に進ませることこそが、本当のスタートアップ支援なのである。そしてこの意味でのアントレプレナーシップ支援をハンズオンで弊研究所はまずは広島の地から、しかも社会貢献事業として始めているのであって、このことこそ、我が国における地方創生、さらには我が国経済全体の復活へと至る道のりの始まりであると確信している。

そしてそこでイメージしているのは「神武東征」だ。曰く、かつて神武天皇は我が国の西から攻め上った。しかし単に武力制圧をしたのではない。そうではなくて、こう語ったのだ。

「より安定的に人々を豊かにする稲作を導入するのであればそれを手伝う。しかし、これを拒むのであれば我々と一戦を交えることになる。どちらを選ぶか、熟考せよ」

ここに私はここでいうdutyのworkに対する優先の精神を見る。単なる私的利益や支配欲のためではないのだ。事業活動の拡大は、結局のところそれがdutyに裏付けられているかどうかによって成否が決まるのであって、そのことを古来、我が国の先人たちは知っていたというわけなのだ。今、広島からまずは始めている現場での支援作業、教育作業はここでいう東征の端緒に過ぎないと私としては思っている。

正に「ここから」である。全てが踊り場である今だからこそ、力を蓄え、「その時」が到来するや否や、一気呵成に打って出なければならない。Dutyとしての私のworkの延長線において、再び輝きだすニッポンの未来をイメージしながら。私は今日も走り続けたいと思う。

2024年11月17日 東京の寓居にて

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役/CEO

原田武夫記す

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本日のコラム、如何でしたでしょうか?弊研究所では来年1月、恒例の「年頭記念講演会」」を開催致します。今回取り上げたテーマも含め、じっくりとお話をさせて頂きます。ご関心を持たれた方はどうぞ、こちらから講演会の詳細をご覧ください。皆様のお申込み・ご来場をお待ち申し上げております。