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「自公連立政権」の崩壊という”潮目”。そして我が国ではなぜスタートアップが育たないのか?(原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 56)

前回のこの連続コラムでは「我が国の総理大臣が誰になっても、2つの保障(=国家安全保障と社会保障)が崩壊するという事態は今後免れない」と筆者は述べた。そしてその後、事態は表向き、実に劇的な展開を遂げた。1999年以来、26年にわたり続いてきた「自公連立政権」があっけなく崩壊してしまったのだ。「政治とカネ」の問題を巡り、「時間をかけて党内で議論をしたい」との主張を繰り返すだけの高市早苗・自民党総裁に対して、斉藤鉄夫・公明党代表は曰く「一方的に」連立脱退を宣告したのだという。明らかに”潮目”である。

こうした流れの中で、野党各党の合従連衡の動きが激しくなってきている。これまた表向きは「政策本位、国民本位だ」との姿勢を各党共に崩さない。しかしこれまで「岩盤」であったはずの自公両党の連携が崩れ去ったのである。文字通りの「草刈り場」が突如として出現したわけであり、現状では自民党に三行半を突きつけたばかりの公明党は、実のところ、そのリーダーシップのレヴェルにおいてはその前から(そう、自民党への「通告前」から)、「国民民主党と手を組む」ということをハイレヴェルの支持者たちには伝えていたとの内報が今、瀬戸内の美しい眺めを見ながらこのコラムを書いている筆者の下に流れてきている。「政界は一寸先が闇」とはよく言ったものであるが、実にそのとおりといったところだろうか。総理経験者であり、明らかに百戦錬磨の野田佳彦・党首に率いられた立憲民主党の動きも、何時になく巧みである。今回は確かに変わる、のだと思う。

しかし同時に思うのである。「今回の変わる、はあくまでも既存の秩序が解かれるだけなのであって、何か新しいことが生まれるわけではないし、ましてやそれが今後、次の秩序として成り立っていくわけでもないのだ」と。次の総理大臣は現状を見る限り、一時は高松発の「スキャンダル」で激しいバッシングを受けたはずの玉木雄一郎・国民民主党である可能性が高そうだ。しかし同党は何せ、小選挙区で議席を取っている政党ではないのである。したがって我が国の各地において地場のレヴェルで支持層が根深くいるわけではなく、その意味で他党へ相当依存しなければ次の総選挙で勝利することは出来ない。そのあたりのことを、小選挙区では未だ強い立憲民主党、さらには公明党は既に見透かしているのであって、ここに負けじと食い込もうというのが、地方自治体レヴェルでの議員たちを分厚く関西地域を中心に積み上げてきた日本維新の会のこれからの戦術ということになるはずだ。したがって野党はいずれも合従連衡のゲームに忙しく、我が国が現在直面している根本的な課題を解決するための、奥深く、思慮深い政策展開を実現することはおよそ出来ない。すなわち、我が国における政治的安定は当面の間、見込めないことになってくるのである。

かくなる流れの始まりにあたっての報せを、筆者は昨日(10日)、福岡で受けた。彼の地で行われた同地では最大のスタートアップ支援イヴェントに参加するためである。大勢の参加者の方々がより集っており、盛り上がりはそれなりに印象的であった。しかし、同時に感じたのである、強く。「何かが決定的に足りない」と。

政治が大混乱に陥る時であっても、社会、すなわち私たちの日々の生活はそのまま続けなくてはならない。当然、そこでは数多くの課題が発生するわけだが、その解決は自ら大混乱に陥る政治に望むらくもないのであって、結果、それは民間主体の努力次第ということになってくるのである。そうした中でいわゆる「市民社会(civil society)」の伝統が元来薄い我が国において、こうした社会改良の主体となるべきは企業である。そして企業には生身の人間と同様に「新陳代謝」が必要不可欠なのであり、その最初のフェーズに相当するスタートアップが順当に生まれ出ること、そしてそれが大きく育っていくことにこそ、我が国の絶えざる社会改良を実現する唯一の源泉があると筆者は考えている。

しかし、その様な考えに立って今回のイヴェントでの数々のシーンを見ると、どうしても大いなる違和感を禁じ得なかったのである。確かに10年前、20年前、まだ「スタートアップ」という単語ではなく「ヴェンチャー」という単語が使われていた当初に比べると、資金を受ける側のスタートアップ側、対する資金を与える側のヴェンチャー・キャピタルや、新規事業創造を求める大企業の側、さらにはそれらを支える士業の方々の言行やふるまいは、シリコン・ヴァレー並みに鮮やかであり、「勉強されているな」と強く感じはするのである。いわゆるピッチにおけるプレゼンは実に巧みであり、5分という時間をうまく使い、時に情緒、あるいは論理、ファクトに訴え流れ迫って来るものであった。しかし、「何かが足りない」のである。

イヴェントが終わり、独り夜の新幹線に飛び乗って広島に向かう中で考えた。「何が一体あそこには足りなかったのだろうか」と。

そして思いついたのである、答えが。この問いに対する答え、それは「こうしたスタートアップ・イヴェントに出る暇なぞあるのであれば、本当に売れそうならばすぐに目の前で創り、1個でも製品・サーヴィスを売り、しかもそれを継続的に売上げていく努力を全力でしてきた」という実績がそこでは誰からも表明されなかったということなのだ。そろいもそろって黒のTシャツに黒のズボン、靴下をはかずにスニーカーを履いている彼・彼女ら=「スタートアップ・エコシステム界隈の連中」の口からはついぞ、「これ、売れてるのですよ」と聞くことはなかった。前提の前提、あるいはさらにその前提、あるいは条件についてばかりの話だけなのである。あるいは知財、机上の空論などなど、である。よしんば既に1個売れていますという話があっても、その先において物(ブツ)としての商品に拘り過ぎており、これを今度は証券化し、あるいはトークン化させ、ステーブルコインに載せる、ブロックチェーンに載せるといった世界の最新潮流に載せようとするビジネス・モデル語る者は皆無だったのである。その姿はあたかも、「プロ野球選手にならずに甲子園で優勝することだけを目標に目指している姿」そのものなのであった。徹底して自分を追い込み、社会課題の解決の証は1分1秒でも早く売り上げることであり、かつ「カネの洪水」を今自分自身の事業から生み出すことだということを全くもって行っていないのがこの「界隈」のぬるい皆様方の実態なのである。そしてそれを、単に戦前から土地を九州で押さえているが故にこの数年は円安によるインバウンド需要で儲けに儲けた地場の大企業たちが、自らは新規事業が出来ない(その必要が本来ないので)が故に、こうしたコンテストを繰り返し開催し、あるいは「プラットフォーム」と称してこれら「界隈」の方々をより集わさせ、お祭り騒ぎをしているだけにすぎない・・・ように見えるのは筆者だけだろうか。

そう思う最中、新幹線の車中でこんな言葉を見つけた。

「本当に成功している企業というのは、既存のカテゴリーにはまらない、事業内容を説明しにくい企業なのです。」(ピーター・ティール)

5分のピッチで語れるはずもないのである、本物の企業とは。その営みとは。そのことを彼の地の中心的な人物はこの様に端的に語っているのであるが、明治維新の時に都合よくドイツ法・フランス法を端折って導入した時よろしく、我が国の「スタートアップ・エコシステム界隈の皆様」はそうした本質を一切無視して、お祭り騒ぎだけをしているのである。何とかしなければならないと、強く想った。この一点について、ここから動いて行こうと思う。それが己の役割の一つなのだと、深い公憤と共に(程なくして生じる我が国における長期金利のスパーク、そして「デフォルド騒動」によって、我が国大企業たちはまたぞろ大変な事態に陥り、「スタートアップ・エコシステム界隈」の皆さんに対して出す小遣い銭など一切出せなくなるのだから)。

 

2025年10月11日 広島の寓居にて 美しい瀬戸内の海を眺めつつ

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト

原田 武夫記す