「ロシア・ゲート」に見え隠れする米リベラル系シンクタンクの影 (IISIA研究員レポート Vol.63)
「6次の隔たり」をご存じだろうか。全ての人や物事は6ステップ以内で繋がっていて、友達の友達、またその友達と介していけば世界中の誰とでもつながることができる、という仮説である。
米国勢のあるサイトは、この仮説をとおして、米リベラル系シンクタンクであるブルッキングス研究所は「ロシア・ゲート(ロシア疑惑)」に関連するアカウントに頻繁に登場することを指摘している(参考)。「ロシア・ゲート(ロシア疑惑)」とは、去る2016年の米大統領選挙にロシア勢が干渉したとされる疑惑をめぐり、トランプ陣営の関与、「共謀」があったのか、トランプ前大統領による「司法妨害」はあったのか、などが問題とされている(参考)。
(図表:6次の隔たり)
(出典:pxabay)
そうした中、同サイトによると、ブルッキングスは、様々な専門家を雇い、メディアで本疑惑を“喧伝”することで、「ロシア・ゲート」という「物語」を推し進める上で大きな役割を果たしたというのだ。本疑惑を捜査するジョン・ダーラム特別検察官が、参照する資料では6次ならず2次以内にブルッキングス関連の資料にいきつくというのである。
確かに、中道・リベラル系のシンクタンクとして長い伝統と実績をもつブルッキングスの名が、トランプ政権を糾弾する本疑惑の関連で多く出てくることは何ら不思議ではなく、この事実のみをもって、ブルッキングスが「ロシア・ゲート」という「物語(narrative)」をつくったとする主張はあまりに飛躍していよう。だが、ブルッキングスに限らず、米国勢のシンクタンクの役割として、政策立案や人材供給の他に、世論の形成、あるいは非公然活動(covert action)に関与しているということは、「公然の秘密」ともいえよう。
(図表:2018年ヘルシンキでの米露首脳会談に臨む米露両首脳)
(出典:The New York Times)
去る(2021年)7月6日(ベルリン時間)には、「クラウス・L」なる人物がドイツ連邦検察庁によりスパイ容疑で拘束・起訴されたと発表されたが、彼はミュンヘンのシンクタンク「ハンス・ザイデル財団(Hanns Seidel Foundation)」の代表で、政府高官らと面識があり、そこから得た情報を10年間にわたり中国勢の情報機関に提供していたという(参考)。
とくに米国勢ではシンクタンクは、政策形成の中で「第四の権力」とまで呼ばれるように、大きな役割を果たしているが、その米国勢のシンクタンクの多様性、政治的立場などを探ってみると、おおよそ次のとおりではないか(参考):
- ブルッキングス研究所(参考):1916年、実業家のロバート・S・ブルッキングスによって設立された(少なくともワシントンD.C.においては)最初の民間・非営利・独立のシンクタンクである。経済・外交・統治機構の3つを研究対象としており、リベラルの色彩が強く、特に民主党政権には政策的な影響を及ぼすと共に、多くの人材を輩出してきた。オバマ民主党政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官に任命されたスーザン・ライスや、ジャネット・イエレン財務長官も籍を置いていた。ニクソン政権によって作成された「政敵マスター・リスト」にもリストインされていた。
- ヘリテージ財団(参考):「小さな政府」による自由主義経済の樹脂、伝統的な米国勢の価値観、国防の強化などを掲げて1973年に設立された、保守系、共和党的色彩の強いシンクタンクである。1980年代のいわゆる「新冷戦」期における米国勢の外交政策(レーガン・ドクトリン)の策定において主導権を握った。また、無名で若手の研究員を選考し、保守主義的な政策論争を広く展開したり、学究性(アカデミズム)をセールスに結び付け、世論の形成(アドボカシー)を重視したりしたという点で、新しいタイプのシンクタンクとも言われた。
- 戦略国際問題研究所(CSIS)(参考):1962年にジョージタウン大学が設立。超党派を標榜し、民主党、共和党を含む幅広い人材、例えば、キッシンジャー、アーミテージ、ブレジンスキー、スコウクロフト、オルブライトら米外交の中枢を担う人物が関与している。「ジャンパン・ハンドラー」の典型でもあるマイケル・グリーン氏はここの副理事長である。我が国の政官財との関係も深い。
(図表:マイケル・グリーン氏(左)同席の下、CSISで講演する菅前首相(右))
(出典:CSIS)
- 外交問題評議会(CFR)(参考):1921年に設立され、米国勢の対外政策決定に対して著しい影響力を持つといわれている。外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行でも知られ、米国務省の政策企画本部長ジョージ・ケナンが匿名で執筆した「X論文」は、対ソ封じ込め政策の理論的根拠となった。第一次世界大戦後のパリ講和会議中に、米英勢がアングロ・サクソンによる戦後秩序の構築を画策する中で、英国勢ではオックスフォード大学の研究者を中心として王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)が、米国勢では実業家や弁護士を中心としてCFRがそれぞれ設立されたという背景がある。それゆえ、米国勢の主要なシンクタンクがその本部をワシントンD.C.においている中、CFRはニューヨークにその拠点を置いている。
これらの他にも、フーヴァー研究所、ランド研究所、カーネギー国際平和財団など多種多様なシンクタンクが存在し、政治的スタンス、財源、研究分野、人材の獲得・供給面などで競合する部分がないわけではないが、うまい具合に「棲み分け」を実現し、あるいは共存共栄しているともいえるのではないか。とくに人材面では、「リボルビング・ドア(回転ドア)」とよばれるスキームの下、政権に入っていないときはシンクタンクで待機する、という流れが定着している。
このように「公然」と人材が政官財の間で行き来している中で、当然、インテリジェンス機関との「知」の交流があることも想定されるわけであるが、そうした中で、ジョージ・ケナンの「X論文」や、「クラウス・L」事件はまさにそうした“僭象”が“現象”としてあらわれたものといえる。多種多様で共存共栄する米国勢のシンクタンクから、次はいかなる「物語(narrative)」が展開されるのか、その設立の経緯や、人材面にも目を向けることであるいは先読みできるのではないだろうか。
グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー
原田 大靖 記す