ニッポン復活のカギを握るのは交渉力と情報力だ - IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 - haradatakeo.com
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ニッポン復活のカギを握るのは交渉力と情報力だ

我が国について「失われた10年・20年・30年」と言われて久しい。そうした中で状況が少しでも改善したのかというと全くそんなことはない。むしろ悪化しているのが実態だ。
私が「これは何か変だぞ」と気付き始めたのは2001年頃だった。当時、世間ではしきりに「ITバブル」が叫ばれていた。若き億万長者たちが大勢誕生し、喧伝されていた。その反面、それまで我が国で主流であったルールは悉く否定され、捨て去られるようになっていた。当時、私は30歳になるかならないかの頃だ。「団塊ジュニア世代」の端くれに生きる者として、同世代の人口が多いことに伴う競争に次ぐ競争を勝ち抜くのに必死であった。ところがその頃になるといきなりその「競争」のルールが強制的に変えられてしまったのだ。外務省に入省し、外務省からドイツに派遣され、4年間の勤務を終えて帰国してきたばかりの私の眼には、そうした「ルールの強制転換」に唯々諾々と応じている同胞たちが余りにも奇異な存在として映った。何せ、誰も何も文句を言わないのであるから。
ルールが変更されれば当然、それまでの「勝者」と「敗者」が入れ替わる。インターネットの普及によって我が国社会の隅々に至るまで可視化がすすめられた結果、確かに良くなったと思えることはいくつかある。それまで社会的に虐げられてきた方々は、それまでの己を抑圧してきた者に対して俄然、声をあげ始めた。ソーシャル・メディアによって、である。その結果、様々な方のカタルシスが解消され、それまででは考えられなかったような幸せをつかみ始めたことも事実ではある。
だが、インターネットの普及、さらには「インターネットが存在していて当たり前」の世代がいよいよ我が国社会の中心へと徐々に躍り出ることによって生じた重大な問題が一つあると私はかねがね思っている。それは「何でも情報がインターネット上にある」と錯覚することを通じて、私たち日本人の社会においてそれまで普通であった「今・そこ、にいる相手の気持ちを察して話す・行動する」という力が失われたことである。もっと言えば「思いやる」ということが一気に失われた。今や「今・そこ」にいる相手方についてはインターネットで検索すると様々な情報がヒットしてしまう時代である。こうしたインターネット上の情報(open source)はこの30年余の間に爆発的な量にまで増えている。しかも「便利だから」と普通の人々が日々、膨大な量の情報をネット空間上に、しかも自主的にアップロードしてくれるというのだから、これほど便利なものはないのである。「まずは検索(retrieval)する」ことによって、私たちの日々の生活は律されることになった。端的に言うとこの意味での「検索力」の有無・多寡が今や、社会人として生きていく際に生殺与奪を握っているといっても過言ではないのである。
もっとも「検索力」が急激に伸びた結果、私たち日本人が失った、もっと大事な力があることについてはほとんど語られてはいない。それは「交渉力」である。不完全な状況であっても相手の気持ち・状況を極力仔細に忖度し、その気持ちに成り代わることによって相手の気持ちを動かし、現実を変える。それが交渉(negotiation)に他ならない。ところが現代においてはまずは「検索」なのである。そうすると普通の方々であればそこでヒットする膨大な量の情報にどうしても目を奪われてしまい、結果として本来その気持ちを動かすべき相手の「気持ち」など全くもって関心を持てないくらい疲れてしまう。挙句の果てには「話しても無駄だ」と最初から決め込んでしまい、交渉を始めることが一切なくなってしまう。しかしそれでも日常生活は何とかなるのである。なぜならばネット上では巨大なプラットフォームが存在し、そこで人工知能(AI)が24時間365日、私たち=消費者のマインドを計算し、「最適解」としての商品・サーヴィスの提案をしてくれるからだ。いわゆる推奨システムと言われるものだが、そうした商品・サーヴィスに限られるものではなく、ニュースについても「これが貴方におすすめのニュースです」と検索サイトには自動的に表示され、ついついそればかり読むようになっている自分がいることに、読者の皆様も気づいているのではないかと想う。いわゆる「フィルター・バブル」という問題である。
本来ならば私たちニッポン人は米欧がリードするデジタル化を急ピッチで進めることにより、「もっと余裕のある生活」を取り戻したかったはずなのである。だからこそ、それまでの「ニッポン式」をほとんど全て止め、自己否定に近い状態に陥ってでもデジタル化、インターネット化を推し進めたのである。だが実態はどうかというと、これらの推進を通じて、それまでは日本語文化の中で保持されていたはずの「相手を忖度し、その気持ちを考え、行動する」という当たり前の心を失い、ただただそこに漂うだけの存在になってしまっている。街中の店舗にいっても古参の店員を除けば、まずはお客がなぜその店に来たのかを考え、そこでの理由に寄り添うような形で商品推奨をしている者はほぼいない。商品スペックだけを延々と述べるか、流行について語る、あるいは商品の安さばかりを語るか、さらにはそういった会話をすればまだしも、ただただ客の行動をデータとしてしか見ない若いビジネス・パーソンたちが後を絶たなくなっているのだ。これでは、売れるものも売れないだろう。いくら日本銀行が「異次元緩和」と称して大量のマネーを流し込んだとしても事態が変わるわけもないのだ。
交渉とは何も、外交現場に限られているものではない。むしろ大切なのは日常生活の現場、現場において今・そこにいる相手方の気持ちを動かすことである。そのための手段の総体こそ、交渉そのもの、the Art of Negotiationに他ならないのである。そしてこの意味での交渉力を支えるのが、まずは交渉に取り掛かる前より徹底的に相手について調べ上げることである。これは何もインターネットを通じて行われる検索だけを指すのではない。むしろインターネット上の情報を網羅的に採取するのは当然のこととして、そこでは絶対に得られない、いわば「肌感覚」とでも言うべきものを、日々の交渉現場の中で体得していく。これこそが今、最も我が国のビジネスにおける現場で求められていることに他ならないのである。インテリジェンスの世界ではしばしば「3パーセント情報」という。インターネット上で掲載されている情報だけで全ての物事・人物について語ることは出来ないのであって、必ず「残り3パーセント」はネット外での採取が必要なのである。そしてこの意味での非公開情報はヒトとヒトのふれあいの中だけで得られるものなのであって、だからこそいつまでもマスク、いつまでもリモート・ワークというわけにはいかなのである(その意味でかのTwitter社を買収したイーロン・マスクの議論は理に適っている)。
「インターネット前の時代に戻ることはもはや出来ない。しかしインターネットを超えたところでしか未来を見出すことが出来ない」
これこそが我が国が今課されている本当の課題である。そしてこの課題こそ、グローバル社会が続々と陥っている苦境の中核にあるものなのだ。そしてこれを解決するのは卓越した「交渉力」と「情報力」を私たち日本人が取り戻すこと。これ、しかない。だからこそこれから訪れるパックス・ジャポニカ(Pax Japonica)の成否は交渉力と情報力の二つにかかっているといっても過言ではないのである。来る2023年において、私は私の率いる二つの組織(株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)及び一般社団法人日本グローバル化研究機構(RIJAG))という現場を通じて、この失われし日本人の能力を復活させ、血肉にし、やがてそれがグローバル社会全体に発露させていくことに全力で取り組みたいと考えている。暁鐘のころが一番暗いかもしれないが、「光」は既に見え始めている。やるならば今、しかない。

令和4年(2022年)師走
原田武夫 記す

*以上の様な決意を踏まえつつ、弊研究所は2023年1月29日に東京・東銀座にて恒例の『年頭記念講演会・2023年』を実施致します。

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