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新旧「大西洋憲章」を読み解く(IISIA研究員レポート Vol.44)

去る(2021年)6月10日、訪英したバイデン米大統領はジョンソン英首相との首脳会談に臨み、「新・大西洋憲章」に合意した。中国勢やロシア勢への対応を念頭に、米英両国の「特別な関係(Special Relationship)」がかつてなく重要だということを再確認した。

(図表:G7サミット会場・英コーンウォールの海岸に立つ両首脳)

(出典:Twitter(UK Prime Minister)

会談後、バイデン米大統領は「新憲章」のモデルとなった1941年の合意を振り返り、「80年前、チャーチル英首相とルーズヴェルト米大統領が当時の課題にともに取り組むために、大西洋憲章に署名した。今世紀の課題に対応するため、大西洋憲章をアップデートした」と新たな合意の意義を語った。また、ジョンソン英首相も声明で「(当時は)壊滅的な戦争から世界を立ち直らせる課題に直面していたが、今はパンデミックからの復興という課題に立ち向かわなければならない」と説明した(参考)。

では、モデルとなった1941年の「大西洋憲章」とはそもそもどういったものであったのか。この歴史の紐をとくことで、今次「新憲章」の意義とその後の展開可能性を、あるいはフラクタルに予測できるのではないだろうか。

「大西洋憲章」は、1941年8月14日にフランクリン・D・ルーズヴェルト米大統領(FDR)とウィンストン・チャーチル英首相が、大西洋上の英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」で会談し発表した戦後の国際秩序に関する基本的な合意である。なお、今回のG7サミットでも、同名の最新鋭空母「プリンス・オブ・ウェールズ」が海上警戒監視のために投入された(参考)。かつて「プリンス・オブ・ウェールズ」と熾烈なバトルを繰り広げたドイツ勢のメルケル首相にはこの“演出”の意味、すなわち英国勢の「本気度」がわかったであろう。いわんや「プリンス・オブ・ウェールズ」をマレー沖海戦で撃沈し、チャーチルをして絶句せしめた我が国の菅総理大臣においては言うまでもない。

(図表:「プリンス・オブ・ウェールズ」艦上のFDRとチャーチル)

(出典:Wikipedia

まず、注目すべきは発表されたタイミングである。すでに1939年にナチス・ドイツ勢がポーランド勢に侵攻し第二次世界大戦は始まっていたが、この時点ではまだ米国勢は参戦していない。その後1941年6月に独ソ戦が始まり、その2か月後である8月14日に「大西洋憲章」が結ばれている。このタイミングからも、独ソ戦の開始により連合国側の勝利が見え始めたので、戦後秩序の構築という次なるフェーズを先取りしたいというFDRとチャーチルの「思惑」が透けて見える。しかし、FDRの「思惑」はすでにこの時点で崩れ始めていた。

太平洋で我が国と戦争前夜の様相を呈していたためである。米国勢は1941年7月25日には在米日本資産を凍結し(参考)、8月1日には石油の対日“全面”禁輸(オイル・エンバーゴ)を発表(参考)。そして4か月後の12月8日、日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まり、米国勢もついにここで第二次世界大戦に参戦することとなった。

このようにFDRの「思惑」は、我が国により崩されたかのようにもみえるが、米国勢内部の動きも無視できないものがあった。オイル・エンバーゴについて、FDRは当初“全面”禁輸の意図はなかったが、チャーチルとの会談のために2週間国内を空けている間に、国務次官補であったディーン・アチソン(のちにトルーマン政権で国務長官を務める)が“全面”禁輸へと制裁レヴェルを引き上げ、FDRもこれを追認せざるを得なかったという裏事情も語られている(参考)。現在、「21世紀の石油」とも言われるデータの解析に必要な半導体関連の輸出で、米国勢と中国勢が“角逐”を繰り広げているが、もし「21世紀のアチソン」が米国勢にいるとすれば、来たる8月に「復帰」を“喧伝”しているトランプ前米大統領の存在が気がかりである。

(図表:ディーン・アチソン国務次官補(当時))

(出典:Wikipedia

米国勢の「思惑」が崩れ落ちたら、「特別な関係」にある英国勢の「思惑」も一心同体で崩れ落ちるかのようにも思えるが、そこは彼の大英帝国の狡猾(shrewd)な外交戦略に惑わされてはならない。「敵と敵を戦わせることで自ら裨益する」戦略により、スターリンをヒトラーに差し向けた英国勢である。仮に今度は米国勢を我が国に差し向けたかったという意図があったとすれば、すべてはチャーチルの「思惑」通りということになろう。

しかし中長期的にみると、憲章第3項に「民族自決」を入れ込んだFDRの「思惑」の勝利といえよう。すなわち「民族自決」を認めるということは、英国勢にとってスターリング・ブロック(英国勢の経済圏)の要でもあるインド帝国を失うことであり、同時に戦後経済は米ドルが覇権を握ることを意味していた。しかし「民主主義の兵器庫(Arsenal of Democracy)」として連合国に武器貸与(レンドリース)を行っていた米国勢抜きに第二次世界大戦は戦い抜けないと判断したチャーチルは、その趣旨に同意せざるを得なかった。他方で国内向けには「民族自決は大英帝国の一部には適用されない」と別の顔で語らなければならなかった。

だがそうした別の顔を維持できたのも1947年までであった。同年8月にインド勢およびパキスタン勢が独立し、「パックス・ブリタニカ」はその帝国的要素を次第に失い、代わって「パックス・アメリカーナ」が到来したのである。

そうした中で、「新憲章」の同じく第3項をみると、「主権と領土の一体性」とある(参考)。他にも第5項では「サイバー空間での国家の責任」が掲げられている。“越境する事業主体”の増加、「人間の安全保障」概念の普及など、経済的にも政治的にもグローバル化が進み、ともすれば国家の枠組みが曖昧となっていく今日であるが、「新憲章」が掲げるこれらの事項はいずれも「主権国家への回帰」とも読み取れる。仮にこうした読みがある程度正しいとした場合、これまでグローバル化を前提に裨益してきた“越境する事業主体”はその土台を失い、淘汰、再編あるいは事業の転換を余儀なくされよう。

グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー

原田 大靖 記す

 

前回のコラム: パンデミックからの『出口戦略』を探る

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