2020年07月02日

弊研究所の研究員コラムを掲載いたしました

インターネット上での「表現の自由」

お陰様で大好評を頂いております、
弊研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット所属の
グローバル調査コンサルタントによるリレー連載のコラム。
今回は佐藤奈桜のコラムを掲載させて頂きます。

下記よりどうぞご笑覧下さい。
そして・・・拡散を!

・・・
インターネット上での「表現の自由」

世界的に差別反対運動が巻き起こっている。
こうした差別に反対するデモの情報はSNSで広く拡散され、若い世代が多く参加している。
また現在の状況下でたとえデモに行けなくともSNS上で賛同を表明する動きもみられる。
個々人の自由な意見の発露、そしてそうした声が従来のマスメディアに取り上げられることも日常化するなど、
インターネット上での言論の影響力は大きい。
他方でインターネット上では匿名で誰でも意見を述べることができるために、
不特定多数の人から匿名で攻撃を受けるという問題もある。これによって自ら死を選ぶ人がいることも事実である。
我が国ではこうしたインターネット上の誹謗中傷に対する法的規制の議論が加速している。
「表現の自由」は憲法の保障する自由の中で最も重要な権利の一つとされる。
自由に表現をすることが民主主義の実現にとって、個人の人格形成にとって、
そして議論による真理追及にとって不可欠なためである(参考: https://www.teikokushoin.co.jp/journals/society/pdf/201603/02_hssobl_2016_03_p01_04.pdf)。
ここで考えたいのが「思想の自由市場」と呼ばれる第三の点である。
思想の自由市場とは、自由な議論の場には「悪い」思想や意見も存在するが、
議論され批判が加えられることでそうした思想は淘汰されていくとする議論である。
誹謗中傷やその人がその人であること(例えば人種、国籍、体の特徴など)に対する差別は許されてはならない。
他方で法規制ということを考える時、ただ抑え込む、見えないようにすることが本当に良いのだろうかと疑問もある。
ある意見がその表現前に規制されれば、そうした意見の存在やその背後にある差別に気づくことが困難になりはしないだろうか。
意見や差別が規制され隠された後にまだ心の中にくすぶる差別について批判的であり続けることは難しい。
そうして抑圧し見えなくすることで議論を終わらせることが本当の解決になるのだろうか。
もちろんそうした誹謗中傷・差別的言論を受ける人の傷は軽視されるべきではない。
またインターネットという場を考えると、匿名且つマスメディアのように一定のスクリーニングが
かけられてもいない意見が乱立するという点で本当に思想の自由市場による淘汰が実現され得るのかという点については疑問もあろう。
とは言え、インターネット(SNS)が個々人の自由な発言の場として発展してきたことを考えると、
現実の世界ではマイノリティの微かな声になってしまう意見もマジョリティのそれと同様に発信され拡散されうる。
さらにはより広い(現実には物理的に交流が難しい)当事者同士のつながりともなり得る点で社会を動かす契機となることも考えられる。
構造的な差別にマジョリティが気づくことができるのは、差別という状況とそれに対する批判があってこそということも考えられる。
現在我が国では、社会全体として誹謗中傷的発言に対する法規制を求める声が高まっている。このように多くの人が再確認し共有した、
インターネット上(匿名)であっても誹謗中傷・差別的発言をしてはいけないのだという意識は、
社会の中から自発的に起きた「悪い」言論淘汰の流れとも言えよう。行き過ぎた自己規制への警戒は必要であるが、
公権力による規制によらない形でこうした流れが起きることは一つ注目すべき動きとも言える。
表現の自由と差別的発言の規制という同様に重要な価値の間でどのようにバランスを取っていくべきか。
それ自体を議論し続けることもまた、表現の自由による、より良い社会の構築に向けて重要なことなのではないだろうか。

グローバル・インテリジェンス・ユニット
佐藤 奈桜 記す

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