私たち日本人の熱いちからとは何か。(続・連載「パックス・ジャポニカへの道」)
素晴らしい文章に出くわした。No comment、no criticismで引用したい。
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「大地からの手紙」
日本は疲れています。日本は自信をなくしています。/日本人は彷徨い続けています。
戦後、ものを作り、ものを売って高度経済成長を果たした日本は、この半世紀を爆走しながら、富の代わりに何を手放し、何を見失ってきたのでしょう。/無国籍風の若者たちが集う街では、崩れた日本語が氾濫し、乱れた性が行き交い、刹那主義的なにぎやかさが日常の風景と化しています。/だが、楽しげに遊ぶ若者たちほど、ふと寂しげな表情を見せるのは何故でしょう。/若者たちを横目で見ながら、「昔は良かった」と嘆く大人たちの眼差しの奥に、疼くような情熱が消えずに残っているのは何故なのでしょう。/若者たちも大人たちも、日本人すべてが、人生の土台となる「熱い何か」を探して、時代と闘っているのかもしれません。
その昔、小さなパン一個で、満たされ癒されたことはありませんか?/飽食の昨今、ご馳走を食べながら、心の空腹を感じたことはありませんか?
富を得て、日本も、日本人も、お金で買えるものを買いすぎました。衣食足りたあとの富は、時として人間を豹変させ、礼節を忘れさせ、国の生命力さえも萎えさせます。/おなかをすかせた心に尋ねて見ましょう。/「欲しいものは何ですか?」「それは、この目に見えるものですか?」
狂想曲は鳴り終わりました。/立ち止まって、青空を見上げてみmせんか。/久しぶりに大地と話してみませんか。/日本は今、日本をよみがえらせる「日本人の熱いちから」を待っています。
(出典:「文化芸術の振興に関する基本的な方針」(2002年12月閣議決定)より)
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写真は香川県父母ケ浜で撮影されたものである。これを美しいと想う気持ちがあなたにまだあるならば・・・今すぐ始めなければならない。己のハートに「熱いちから」はどこにあるのか、共に探す旅を。
そしてそのことを、世界は待ち続けている。混沌を抜ける唯一の道筋であるパックス・ジャポニカ(Pax Japonica)へ。
2019年8月10日 東京・丸の内にて
原田 武夫記す