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2018年10月21日 #

むしろ「日本バブル第2弾」後のことを考える。(続・連載「パックス・ジャポニカへの道」)

弊研究所がかねてよりその分析の中で披歴してきたとおり、去る2018年10月10日直前より、我が国を含む全世界の金融マーケットを巻き込む「世界同時株安」が発生した。その後、小康状態となっているように見えるがその実違うということは、同19日付でリリースした音声レポート「週刊・原田武夫」において述べたとおりである。

端的にいうとこれから私たち日本勢は以下のような展開に巻き込まれることになる:

●程なくして「二番底」が訪れる。当然その前に金融マーケットは上昇局面を体験する。そこでおびき出された投資家たちのなけなしの資金を奪い去る形で「二番底」が容赦なく発生する

●しかしややあってから我が国の株式マーケットだけが急上昇し始めるのである。1987年12月末から始まった「平成バブル」の時と全く同じパターンである。最初、私たち日本勢はこれに半信半疑なのだ。しかしそうした及び腰の私たち日本勢をしり目に我が国の株式マーケットは急上昇して行く

●だが、そう遠くない将来から(具体的には2020年までの然るべきタイミング)から状況は急転換するのだ。「バブルだ」「アベノミクスの効果だ」と有頂天になっている私たち日本勢は次に2段階で生じる瓦落(がら)で完膚無きまでその資産を奪われることになる

●しかもそれだけではない。この瓦落においては我が国の長期金利が急騰する。複合的な要因によるものだが、いずれにせよ次に我が国が抱えている莫大な公的債務の利払い問題が表面化する。ハイパーインフ―レーション気味になる中で「もはやニッポンは無理なのではないか」という声がそこかしこから聞こえて来、我が国国債価格が今度は瓦落になるのである。「日本バブル崩壊」の瞬間である

●”日本的なるもの=日本円、日本国債そして日本株等が一斉に瓦落となる中で、我が国における全ての制度を巡る矛盾が噴出する。政治、経済、社会などありとあらゆる分野でそれは生じるのであり、結果として我が国における国制が全て根底から変わることを余儀なくされる

はっきり申し上げよう。全世界、とりわけ米欧勢の統治エリートらが見つめているのは正にこの瞬間に我が国がどう動き、結果どうなるのかなのである。既に進行している少子高齢化という「最悪の展開」の中にあって次々に噴出する諸問題を私たち日本勢がものの見事に解決することが出来れば、そのやり方が全世界に”流布”されることになり、デファクト・スタンダード化していくことになる。このプロセスこそが私のいう「パックス・ジャポニカ(日本の平和)」の実現に他ならない。

だがここでどうしても不安なことが一つあるのだ。それは肝心かなめな我が国に暮らす私たち日本勢自身の「心」がこうした潜象=これから起きることに全くついて行けていないし、ましてやそうした近未来を先取り出来ていないという点なのである。

私たちは元来「アナログ」に卓越している民族であるというのに、米欧勢が事実上課してきた「デジタル」の趨勢に考えもなく突入することで大混乱に陥ってしまっている。そして「デジタル・デヴァイド(digital divide)」は今や世代間で明確になりつつあり、無論個人差はあるものの、いわゆる「平成バブル世代」より上は労働マーケットでは使い物にならないというのが企業現場では常識になりつつある。なぜならばデジタル・リテラシーが低すぎ、そのスピード感にもついて行けないからだ。

ところがこうした大量退職を余儀なくされるこうした世代に対して、我が国政府はというと「働き方改革」の名の下、またしても「自己責任原則」を強烈に課しつつある。「自助努力」の推奨という名目の下、我が国政府は事実上、この世代以降に年金を支払わないことを徐々に鮮明にしつつある。容赦なく進むデジタル化の嵐の中でこうした世代は徐々に追い詰められつつあるのが実態なのである。

それではより若い世代が有望なのかというと全くそうではないというのが現実だ。1973年前後に出生したいわゆる「団塊ジュニア世代」より若くなればなるほど、我が国の若者たちは我が国自身において経済的、そして社会的に圧倒的な成功を収めたことがないのである。いわば生まれた時から「不戦敗」なのであって、それでも量的緩和からこぼれ出るお小遣いが欲しくて「デジタルもどき」をやらされているのがいわゆるスタートアップ旋風に他ならないのである。だが、肝心のカネを出している大企業の側(coprporate venture capital, CVC)はよく知っているのである、2020年にもなればむしろかつての「貸し剥がし」にも近い挙にこれら大企業たちが出、生まれたばかりの「デジタルもどき」ヴェンチャーたちに襲い掛かるということを。そうなればまたしても残されるのは途方に暮れる我が国の若者たちだけということになってくる。

「憤懣やるかたなし」と追い詰められた全ての人々は我が国においていよいよ街路に飛び出し、実力行動に出るはずだ。最初は我が国の「政体」勢力、すなわち政治利権をむさぼっている職業集団たちから弾圧を受けることだろう。だが、その激しい弾圧にもかかわらず、その火の手は収まることなく、むしろ一気に拡大していくのである。その中で政治、経済、そして社会の全ての秩序が大混乱に陥り、いわば「何をやっても良い状態」が一時的に到来する。「えーじゃないか」というわけである。

我が国においてここに至り何も起きないというのであれば、米欧勢の統治エリートらは一斉に我が国へと襲い掛かるはずだ。彼らが欲しいのは、我が国の「国体」そのものだからだ。そしてその「国体」に残念ながら私たち日本勢自身は含まれていない。しかも下手をすると我が国の本当の”権力の中心”としておわします方々すら不要かもしれないのである。なぜならばこれら我が国の本当の”権力の中心”はいわば「依り代」に過ぎないからである。我が国の「国体」の本質にそれは最も深いところでつながっているものの、それ自体が「国体」であるとは曰く言い難いのである。その結果、いよいよ米欧勢の統治エリートらは最終的な処断を我が国に対して下す可能性すらあるのである。いや、むしろそのための準備を今行っていると考えるのが妥当なのである(さもなければフランス勢が皇居上空で低空飛行などするわけがないだろう)。

「それでもパックス・ジャポニカは到来するのか」

この問いを考える時、実は今、金融マーケットが騒然となっているかの様に見える状況の中だからこそ、「その次」を創り上げる人士に対して圧倒的なマネーが非常に静かな形で手渡され始めていることに留意しなければならないのである。「国体」勢力は確かに全世界において動いている。そしてそれは我が国にもう一度チャンスを与えようと、全くこれまで見も知らぬ、しかし自覚た存在としてのヒトたる全く新しいリーダーたちを力強く、我が国において2020年を目途に押し出そうとしているのである。これこそが、「永続敗戦論」(白井聡」などといって嘆息している暇があるならば、今こそ全国民が静かに知っておくべき真実であることを、ここで書き記しておきたいと想う。

だがそれにしても問題なのは、そうした「潜象」としてまだ見ぬ全く新しいリーダーたちがやがて揺さぶることになる私たち日本勢自身の凍り切ったマインドが果たして解凍されるだけではなく、それが自律的に考え、行動し始め、ついには我が国とグローバル社会全体を覆う重大課題に対する解決法(solution)を見つけ、それを力強く推進出来るかなのである。そしてそこで鍵を握るのが他でもない私たち日本勢自身の凍り切ったマインド(=限られたパイの奪い合いの中で自ら責任を感じるのではなく、全て他者に責任を転嫁する「他責」に支配されるか、あるいは全くもって成功体験が無いか、あるいは転落の時を迎える中で無関心・無気力に陥っているかのどれか)が、これから我が国全体にさらに課されていく圧の中で果たして無事に、「2020年」というデッドラインまでの間に解凍され、蘇生するかなのである。

その意味で上述のとおり程なくして訪れる「二番底」はこれから起きる壮大かつ歴史的なストーリーの始まりに過ぎない。そしてそこで私たち全員が感がるべきは”さらにその先”の我が国が果たして存在し得るのかという重大事であることを、是非忘れないでもらえればと切に願うのみである。

2018年10月21日 東京・丸の内にて

原田 武夫記す

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