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2018年09月07日 #

「私はその現場にいた」ーーー平成30年北海道胆振東部地震の教訓(続・連載「パックス・ジャポニカへの道」)

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まさか「あの悪夢」が早朝の北海道・札幌で脳裏に舞い戻って来るとは微塵にも想っていなかった

2018年9月6日午前3時8分。前日、心地よい会話を馴染みの記者氏と中華料理に舌鼓を打ちながら堪能したばかりであった私は、2台の携帯電話からけたたましく流れる脳天に突き刺すようなあの「不快極まりないメッセージ」でたたき起こされた。

「地震です。避難してください。地震です。避難してください」

大地震は既に始まっていた。2011年3月11日に東日本大震災を体験していたせいだろうか、慌てるというよりも、その瞬間に「あの時とどれくらい違うか、今回はもっとでかい地震か」という一点だけにまだまどろみの中にあった私の意識は集中していたように記憶している。そして・・・「でかい、これはでかい!」と直観的に気づき、街中で様々なものが崩落する轟音と例の不快極まりないサイレンとが混濁する中で一気に覚醒した。

かなり長い間、すさまじく揺れていた。「これはやばい!」と胸の中でアラートが鳴り続ける中でしばし不気味な静けさが今度は襲ってきた。

「ここは北海道だ。札幌こそ大都会だが、それ以外での被害は東北以上に軽微であるはず」

そう思い込んだ、いや思い込もうとした私は「今更どうしようもない」と不思議に再び眠ろうとした。老舗ホテルであったが全く館内放送はなかった。後でタクシー運転手氏から聞いたが、札幌では震度3がせいぜいであって、人々の「心の癖」の中に震災への対処がなかったようなのだ。不気味な静けさが包み込む中で、私自身は心のどこかで「このまま平穏であってほしい・・・」と希望的観測を唱え続けていた。

すると、突然、ホテルの居室の玄関口の非常灯が点灯した。だがそれでも私は何が起きたのか分からなかった。

「何をまたこんなところの灯りをつけて・・・」

まどろみの中で1時間ほど朦朧とする意識の中で私はそう想っていた。そして4時15分頃。元来は5時30分に出発の予定であったのでそろそろ起きようとし、ルームランプをつけようとした瞬間に「何が起きているのか」を把握することが出来た。ブラックアウト、そう完全なる「闇」に札幌市内が完全に包み込まれていたのである。

そこからの私はそれなりに早かったと思う。北海道電力のホームページはダウンしていた。新千歳空港のホームページも動きが無く、搭乗するはずの全日空のホームページも6時過ぎまで全く動きが無かった。「虫の知らせ」で前日に珍しくオーダーしていたタクシーの運転手氏も「こんな地震は全くありませんでしたよ、これまで」と言うばかりで、事態を完全には把握出来ていない。祈るような気持ちで新千歳空港に到着すると、大勢の乗客たちがなぜか駐車場に集結していた。不可思議に思いながら、「これ、持っていってよ。自販機作動してないから。飲み物困るよ」と缶コーヒーをくれたタクシー運転手に感謝を伝えて降車する。すると、北海道警察の若い警官が何名か入口に立っている。中は非常灯がついているだけだ。

「これは今日は飛ばないな」

そう直観した。実際、6日は終日、新千歳空港の閉鎖がその直後に宣言された。どうやら空港職員の方先に知っていたようで、現場の若い警察官たちは全て「伝聞調」で本日は終日閉鎖と詰め寄る乗客たちに説明し、彼らを追い返していたのが印象的だった。「縦割り行政」という言葉が脳裏に浮かんだ。

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私はあえて「この瞬間を脳裏に焼き付けよう」と思い、その場でしばし観察に徹した。印象的だったのが大勢やってくる外国人観光客たちであった。幼い子供も連れ立っており、途方に暮れているようだった。当然、空港職員たちや現場の警察官たちは「一言も」外国語を話さない。いや、話していたとしてもかなりブロークンな英語だけであり、何も伝わっていなかったと思う。身振り手振りで「あぁ、これはダメだな」と分かっていたのだと思う、外国人たちは。

地震発生が午前3時過ぎだったが、北海道警察による空港やその周辺での交通整理が始まったのは午前6時30分過ぎだった。行政と言う面でも明らかに「ブラックアウト」が3時間余り生じていたことになる。その間はいわば「真空の時間」「ゼロの時間」であり、何か妙な感覚がした。何が起きているのかが分からないが、何かが起きているという不安はある。その混濁の中で意識はあやうく朦朧としかけていた。

乗客たちの多くがタクシーでまた札幌市内で戻ったのだが、それ以外のこれまた多くの残存客たちは「まだそれでも飛ぶのではないか」という淡い希望と共にその場にたたずんでいた。ある外国人男性観光客がその場にいる初老の男性に英語で「なぜ皆さんはここに残っているのか」と詰問していたのが印象的だった。この「あいまいさ」「事実が分かっているのに不思議となごんでいる光景」が彼には耐えきれなかったに違いない。

残存客たちは午前9時過ぎになってようやく新千歳空港の1階ロビーの一部へ通された。何が起きるのか、なぜそうしなければならないのか一切説明はない。ただただ誘導されてたたずむ。中国人の中年女性の観光客集団がけたたましく「くちゃくちゃ」と物を食べながらおしゃべりしている。不快極まりないがこちらはふて寝を決め込む。なぜならばそうしないと我が席が下手をすると彼女たちの強烈な「おしくらまんじゅう」で取られてしまうからだ。ここは一つ「消極的抵抗」と行くしかない。サバイバル・ゲームが始まった。

午前11時過ぎ、新千歳空港の職員たちが「1人1本の水と1個のカロリーメートを配布する」と触れ回り始めた。駆け出し始める人々。私はあえてその列には加わらず、最後の最後に並ぶことにした。見ると5年保存の水と店頭では見たこともないくらい小さなカロリーメート。しかし、「これが今後、72時間以内でありつける最後の食事かもしれない」と妙に覚悟する。久々に食べたが、意外においしかった。これが我が国における「災害時のグルメ」なのか。

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それから1時間弱であらためて動きがあった。「12:15にバスを出す。無料で乗ることができる。行く先は千歳と札幌。それ以降は全て閉鎖する。ここに残ることは出来ない」と断言調のアナウンスが入った。再び無言で駆け出す多くの人々。私もまたややあってからのそのそと動き始めた。戸外には7台の大型バスが控えていた。早くも疲れ切った表情も数多くいる中、「乗車オペレーション」は比較的静かに進行した。

東京では我が秘書集団が千歳、そして札幌の宿泊施設に電話を入れると共に、「脱出路」について調べ、探索してくれている。だが色よい返事が返ってこない。「帯広・旭川なら飛んでいます」といった結果報告ばかりだ。一生懸命やってくれているのだが、どうにもこうにもこの現場における疲労感とはそぐわないものばかりだ。不覚にも声を荒げてしまった。バスに乗り込み、静かに考え込む中でしばし反省。「ヒトとしてまだまだ」と痛感した。

行く先は我が秘書集団が「話をつけてくれた」という有名ブランド・ホテルだった。札幌駅近くである。中に入ると明らかに空気はよどんでおり、同じく所在なさそうな人々が何をすることもなくホテル・ロビー中にたむろって座っていた。誰もが早くも疲れ切った表情をしている。そして手にはコンビニエンス・ストアーで「これでもか」とばかりに買い込んだたくさんの菓子が入った袋。「これを全部食べたらば一体どれだけのカロリー数か」などと傍目で想ってしまう私がいる。

その間、当方の会員制サーヴィス「原田武夫ゲマインシャフト」の最も熱心な会員の方でこの地に暮らす方が「大丈夫ですか?何か差し入れましょうか」と頻繁に連絡を下さった。全くもって有難い限りである。こちらは採用人事面接のためであったとはいえ、このタイミングを好きに選んで来たのであるから。だがここでご厚意に甘えてしまっては己が緩むと想い、心からの感謝の念をお伝えするにとどめた。これまた「天からのメッセージ」に違いない。

2011年3月11日の場合、私は「あの時」、“翌日”に“仙台”で講演をする準備をスタッフとしていたのである。1日ずれていた。だが、今回はまさに「この瞬間」に「この場所」に居合わせることとなった。不幸といえば不幸だが、「時間の整理」を詰めていよいよ24時間ほど自然(じねん)に迫ることが出来たと思えなくもない。何事も楽観的に見るとそう想えるものだ。いや、そう想うことにした。

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ホテル・ロビーにたたずんでいると様々な話が漏れ聞こえてくる。差し向かいに座っていた関西弁の中年夫妻がこう話しているのを耳にした。

「市役所が近くにあって。そこでスマホの充電をするために大勢並んでいるのよ。すごかった」

今回の災禍で痛感したのは「1に電力、2に電気」ということだ。かつて全日空の欧州線の機内で映画「サバイバルファミリー」を見たことを想い出した。「電気が突然この世からなくなり、我が国の社会全体が混乱に陥っていく」というストーリーの映画だ。あの名優が熱演した情けないオヤジさんと自分くらい無力であり、哀れなのではと想うとどうしても悲しくなるが、しかし同時に滑稽でもあるのだから不思議だ。そう、この「ある日突然、都会で避難民」という状況ほど、滑稽なものはないのである。ズレている。

まだかろうじてバッテリーが残っているスマホを頼りに札幌市役所に行くといるわいるわ、長蛇の列が1階ロビーでとぐろを巻いていた。おそらくこれでは15分充電するのに半日はかかるだろう。「よもや」と想ってプラグももってきた己の浅はかさを一人笑いながら、しかしそれでも視線は周囲にほんのわずかばかりあるインテリジェント・ビルへとむけられた。なぜならばそこは自立電源があり、灯りがついていたからだ。

そしてややあったところで、中が完全にブラインドによって見ることができないものの、不思議と活気がありそうなビルが見えきた。ブラインドの隙間からのぞき込むと大勢の人々が座っており、スマホの充電も並ばずにしているではないか!驚いて中に行こうとすると入口は半開きであり、職員らしい若い男性が2名立っていた。無言の圧力。しかもそこには「NO ENTRY」と書いてある。だが、明らかにそんなことは無視して若い人たちが入っていくのだ。そこで思い切って入ってみることにした。そして・・・救われた。

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札幌市の交流プラザだった。中では大勢の方々が椅子の上で所在なさげに座っている。だが、職員と共に支援NPOのヴォランティアたちがかいがいしく働いているのである。やがて配布される「わかめごはん」のアルファ化米。コメとはここまで心を揺さぶるものなのか、と強く、強く想った。前日のチャイニーズに比べればはるかに質素だが、余りにもその美味さが違った。ごはん、万歳。

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夜半になる頃、毛布が全員に配られた。床に寝そべるしかないと多くの方々が誘導に従って覚悟しながら上の階に行く中、私は筆頭秘書と明日の連絡をしながら、一計を案じた。この場に残っていた方が良いのでは、と想ったのだ。果たしてそうだった。床に直に寝そべることをやはり嫌悪した女性たちが数名降りてきては、椅子を8つほど並べてその上で寝始めだ。自分もやってみた。率直にいって割れ目が痛い。余りにも居心地が悪すぎる。だが、better than nothingなのだ。これが「難民生活における幸福レヴェル」なのだ。

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そして眠りにつく瞬間に想った。空港から乗ったバスからは窓外にたくさんの「政治家のポスター」が見えた。だが、私に「一晩の宿」を差し出してくれたのは私の研究所の会員の皆様であり、公式ブログ読者の皆様であり、この札幌市職員とNPOヴォランティアだった。さらに言えば我が研究所のスタッフたちがサポートしてくれたに過ぎない。一体あの偉そうな「政治家」いや「政治屋」たちは一体どこへ行っていたのか。何をしていたのか。・・・何もしていないのではないか。

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このコラムを書いているのはまだ「避難民生活2日目」である。脱出の見込みはおかげさまで立ち始めているが、しかし確実ではない。不安があり、たどり着けるか分からない。ここが「北の大地」のせいだろうか、かつてソ連・シベリアに抑留された旧日本兵たちが「ダモイ(家へ帰りたい)」と口々に語ったことをつくづく想い出している。もう2度と「コンビニで961円の菓子を買うために2時間以上も店内で並ぶ」などということはしたくない。

“домой”

私の旅は未だ、続いている。

2018年9月7日朝 札幌市内・避難民キャンプにて

原田 武夫記す

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