バブルとは「成るもの」ではなく「創るもの」である(IFISコラム)
21日、我が国の金融庁は今年度の「金融行政方針」を発表した。グローバル化やフィンテック(FinTech)への対応など様々な施策が盛り込まれる中、ひときわ目を引いているのが「日本型金融排除」の打破を目指すと明確にそこでは謳われている点である。
この点について、本邦メディアは「地方銀行に対して地場の企業への融資にもっと積極的になるよう促すもの」となぜか具体的なターゲットとしての「地方銀行」の名を挙げて報じている。実際にはこの「金融行政方針」は我が国に所在する金融機関の全てに対して及ぶのであって、何も地方銀行にだけ関わるものではないにもかかわらず、である。しかしいずれにせよ、今回の新しい「金融行政方針」が我が国の地方銀行に多大なインパクトを与えることは間違いないのである。そしてその理由は2つあることに留意しなければならない。
第一に「日本型金融排除」の打倒が、地方銀行の現場レヴェルにおける融資実務を根底から覆すものだからである。ちなみに金融庁はこの「日本型金融排除」において、金融機関と顧客の間には次のようなマインド・ギャップがあると論じている:
(顧客):「銀行は担保・保証が無いと貸してくれない」
(金融機関):「融資可能な貸出先が少なく、銀行間の金利競争が激しい」
銀行に就職し、融資担当となると真っ先に叩き込まれることになるのが「融資実務」のノウハウである。それに関する様々なテキストには概要次のとおり記されているのが通例だ:
―第一に融資を申し込んできた顧客企業が信用保証協会でまだ「枠」を持っているのかを確認する
―次にこの「枠」がもう無かった場合にはプロパー融資を行うべく、顧客企業の経営者がいかなる担保を差し出すことが出来るのかを確認する
―最後にそうした担保が提供されそうにない場合であっても、当該企業への得意先からの入金が自行の預金口座に入るよう、入金ルートの転換を要請し、いざという時のために短期的な資産保全のための措置を講じることが出来ないかを確認する
一目見てお分かりいただけるとおり、こうした「銀行融資実務における定石」には融資先企業におけるビジネス・モデルの確認は基本的に織り込まれていないのである。無論、テキストには「経営者の情熱」であるとか、あるいは「ビジネスの将来性」についてもしっかりとチェックするようにと書かれてはいるものの、そうした精神論を越えて、経営コンサルティングのイロハのイに相当することをチェックせよ、などということは考えていないのである。
これは現行の銀行法が銀行が業として営むことについて「預金又は定期積金の受入れと資金の貸付け又は手形の割引とを併せ行うこと」と「為替取引を行うこと」の2つだけを掲げていることに由来している。そこには明文上、「顧客企業に対する経営支援を広範囲に行うこと」や「まだ実現されていないビジネス・モデルを評価し、当該企業の将来性を見据えること」などといったことは定められていないのである。そうである以上、今回の「金融行政方針」が「担保・保証がなくても事業に将来性がある先、信用力は高くないが地域になくてはならない先」には融資を行えと大号令をかけても、正直、地方銀行などの現場では大いなる違和感をぬぐえないというのが実態なのではないだろうか。
こうした小手先の「指導」ではなく、金融庁、さらには我が国の政府当局全体として、そもそもなぜ今になってこうした方針の大転換をしなければならないのか、そのことの「本当の理由」を国民全体に対してしっかりと説明すべきなのである。その意味での「腹落ち」があってこそ、銀行セクターに対して甚大な影響を与える今回の「金融行政方針」が我が国全体の血になり、肉になるのである。それでは金融庁、そして我が国の政府当局全体としてなぜこの瞬間に「方針の大転換」なのであろうか。―――端的に言うならば、バブルを再び我が国において起こそうという意図がそこにはある。
政府と日銀で表面上、役割分担をしているのでそれとはなかなか見えないが、今、我が国、そしてグローバル社会全体で取り組まれているのは要するに「実質金利のマイナス化」である。すなわち名目長期金利を極限まで引き下げ、他方で原油価格や金価格の上昇を促すことによりインフレ率の引き上げを図るのである。そしてこれら両者の差こそが実質金利なのであって、この実質金利がマイナスになる状況では「カネを借りないなどということはあり得ない」ということになるため、結果として新市場を創出する破壊的なイノヴェーションがマーケットでは推し進められることになるのだ。
事実、そうした「破壊的なイノヴェーションの全盛時代」に向けて、例えばアメリカは常温核融合やトリウム溶融塩炉を公式に認める方向で動き始めているという非公開情報がある。だが、我が国において果たしてこうした「破壊的なイノヴェーション」が着実に進められるのかというと大いに疑問無しとはしないのである。なぜならば、我が国においては規制の名の下に事実上「業界」が創られ、それが享受する利権が網の目の様に張り巡らされているからである。企業経営コンサルティングの現場レヴェルの目線でいうと、こうした利権の網の目が単に「地方銀行からの資金融通の活発化」で打破されるとは到底考えられないのである。
そうであるにもかかわらず、何故に金融庁が地銀などの金融機関に対して貸し出しを半ば強制し始めているのか、その理由に思いをはせる時、やはりそこには表向き語られていることとは全く別の「意図」があると考えざるを得ないのである。
その「隠された本当の意図」とは、再び我が国において「バブル経済」を発生させることである。戦後の我が国において発生した「平成バブル」と「不動産証券化バブル」の2つは共に正に官主導で創られたものだったのである。経済学者たちは盛んに「バブルは、そう自然と成るものである」と語るが、これは全くの空理空論である。むしろ我が国の金融マーケットの真髄を知る者は、金融機関に通常では考えもつかない莫大なマネーが入金された「特別口座」が割り振られていたり、あるいは廃止されたはずの「相互銀行」の旧預金約5000億円が実在する人物の氏名の口座でいまだに管理されていることといった事実を知っている。これらはいずれも、我が国のしかるべき当局が「バブルを起こすため」に行っていることなのである。その意味で今回の「金融行政方針」は国家として人知れず抱くそうした巨大な意図の一端を示したものにすぎないのである。
繰り返し言う。―――「バブルとは成るもの、ではなく、創るもの」なのである。程なくして始まる極端な形での日本株高騰局面(すなわち「バブル」の再来)を前にして、このことを確認しておきたい。
(*このコラムは2016年10月23日に「IFIS株/投信コラム」で掲載したものを転載したものです)