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変わる職場。私たちの「仕事」はどこに向かっているのか。(連載「パックス・ジャポニカへの道」)

24・25日の二日間にわたってオーストラリア・シドニーで開催された「ワールド・ビジネス・フォーラム」に出席してきた。本来は4月に香港で開かれる予定であったのだが、民主化暴動のために延期。このシドニー会合に振り替えとなったというわけだ。これまで私はどちらかというと南半球については注視こそしているものの、実踏する機会をあまりつくってこなかった。そのため、今回の「振替」については二つ返事で応じた次第である。 こうした種類の、経営者ないし経営幹部層を対象とした公開有料フォーラムは米欧社会において様々な形で行われている。我が国では「世界経済フォーラム(ダヴォス会議)」ばかりが知られているが、他にも実に様々な会合が開かれており、講演者である「インテリ・セレヴ」とでもいうべき人物たちはこれらの会合を(恐らくは信じられないくらい高い講演料を受け取りながら)渡り歩いている。一言でいうならば既にこうした国際会議は「一つの産業(インダストリー)」になっているというわけなのだ。

私は政府間会合であるG20を支えるグローバル・ビジネス・リーダーらの集まりであるB20にもメンバーとして属しているが、これは言ってみればグローバリズムという観点からの産業セクターの声を1つにまとめ、ロビイングするための活動体である。これに対して、今回の会合のようなものは、言ってみればMBAスクールの延長のようなものであり、大学院で行われるadvanced management programに通う時間がないエグゼクティヴたちに、「今考えるべきこと」をトップ・ランナーからの話という形で一気に聴いてもらうために行われるものだ。ドイツ語でいうならばFortbildung、日本語でいうなら「成人教育」とでも言ったところだろうか。それはそれで、まとまった形で米欧勢の考え方が分かるので重宝するものだ。

前回こうした会合に出たのは昨年(2015年)11月にウィーンで行われたグローバル・ドラッカー・フォーラムであったが、今回においても引き続きテーマは暗に「デジタル・エコノミーが及ぼす影響」であった。しかし、開催国であるオーストラリア自身が並み居る先進国の中で実は唯一、景気後退局面(recession)に入っていないということもあって、ある意味、楽天的な雰囲気に会場全体が包まれていたのが非常に印象的であった。 会合で語られた内容の全てを網羅的に紹介することは無論不可能なわけだが、ここでは自分自身の備忘もかねて、パネリストたちの発言の中から気になったものをいくつかピックアップすることにしたい:

―現在「職場」で起きていることの本質は、“仕事”が時間管理から外れ始めたという点にある。なぜこのようなことが生じているのかといえば、そもそも19世紀までの「仕事」は手工業であり、労働者が造ったものの単位でその報酬が支払われたのに対し、20世紀に入る頃から産業化が進み、単位時間内に労働者は決められた作業が出来るかどうかが問われるようになったことによる。しかしここに来て「仕事」は知的労働(knowledge work)の比重が急速に高くなってきており、そのため、そこで課されること(task)を解決出来る人たちが集められ、プロジェクトが形成されると共に、解決されれば解散する、という形で遂行されるようになってきているのだ。そこではタスクが解決されるかが全てであり、必ずしもフルタイムの労働者たちが集まることも求められてはいない点に留意する必要がある

―従来、「職場」では均質的な労働者の存在が前提とされてきたが、この前提が先進国では決定的に崩れ始めている。一方では人口の高齢化が進んできており、かつ平均寿命が劇的に伸びていることから、高齢者による就労可能性を確保する必要が生じている。そしてこれら比較的高齢な就労者たちが求めているのは必ずしも「高い賃金」ではなく、「意味のあること」である点に留意しなければならない。他方で資本主義の発展段階に応じて、そこで生まれ、育ち、働いて来ている各世代の意識も大きく変わりつつある。そして現在の「職場」では異なる意識を持った異なる世代が混在して働いているわけであり、従来型の「管理型マネジメント」がそもそも時代遅れになってきてしまっているのだ

―またデジタル化によって私たちの思考パターンは「時間」から解き放たれつつある。例えばデジタル世代の若者たちが「待ち合わせの約束」をする時、時間についてはほとんど決めず、「場所」についてだけ話しているということがしばしばある。同じことは「職場」についても言えるのであって、このことがまた「時間管理」を骨子としてきた従来型のマネジメントをもはや無効化してしまっている

―以上が組織行動をマネジメントする側から見た場合の課題であるが、就労者の側から見た時にもいくつかの新しいトレンドが生じていることを忘れてはならない。先ほど述べたとおり、「仕事」がそもそも課題(タスク)を解決すること、しかも知的労働によって解決することに収斂して生きている中で、果たしてそれにフレキシブルに対応し、本当に解決のため貢献出来るかどうかが労働者の側に問われているのである。マネジメントの側から見れば、そうした人財をあらゆる手段を用いて集めなければもはや今後、「仕事」を進めることは出来ないということになってくる。その意味で「スタッフ集め(staffing)」こそがマネジメントの中心業務に既になっているのであり、実はこの点についてはかつてドラッカー(Peter Drucker)が指摘していたことなのである。その慧眼は実に驚くべき鋭さである

―人工知能(artificial intelligence, AI)が人間の仕事を奪ってしまうのではないかという議論がしばしば行われているが、そもそも「仕事」について分類して考える必要がある。「仕事」とは知的労働という観点から見ると(1)知見をシェアすること、(2)新しい知見を生み出すこと、(3)情報を適当な形で整理すること、(4)評価・推奨すること、(5)決断すること、そして(6)変革すること(innovate)の5つに分かれる。この中で最終的に、本当に人間だけが出来ると言い切ることが出来るのは(5)と(6)のみなのである。求めるべき人財が備えているべき能力もこのことから自ずから結論が出て来るはずだ

―プロジェクト単位での仕事となり、しかもそこでの「仕事」がタスクをこなすことにあるとなれば、マネジメントの側において組織行動の観点から最も留意すべきは「裁量(discretionary)」を就労者の側において最大限確保してやることである。マネジメントは「管理プロセス」であると語る時代は終ったのであって、マネジメントはむしろ「職場」のあらゆるところで組織が追求すべき価値(value)に労働者の側が触れられるようにし、そのことにより、働くことの”意味“を労働者の側が常に認識出来るようにすべきである。またマネジメントの側が労働者に対して行った「約束」を破ることが最もネガティヴなインパクトを与えることも認識しておくべきだ

もっとも以上の様な論が語られる一方で、「戦略は立てていると答えた企業の実に70パーセントが、その”執行“に問題があると考えている」との指摘も他のパネリストからはなされていた。そしていわゆる「バランス・スコアシート」の徹底した導入によって戦略を執行(execution)のレヴェルにまで落とすことが今や必須となっていると論じられたが、これに対しては会場の側より「マネジメント・レヴェルから就労者のレヴェルへエンパワーメントをより一層進めるべきという昨今の風潮に真正面から反するのではないか」との指摘がなされていたのが大変興味深かった。

またリーダーシップ論についても議論が行われた。リーダーシップ論というと我が国では「フォロワーシップがあってのリーダーシップ。したがってまずはフォロワーシップとのコミュニケーションを考えるべき」という議論が多い訳であるが、これに対して今回のフォーラムの席上ではむしろ議論の出発点はリーダーシップの”キャラクター(人格)”に帰着するとしていたのが印象的であった。すなわちcourage(勇気)、diligence(勤勉さ)、gratitude(感謝)、honesty(正直さ)、loyalty(忠誠)、そしてmodesty(謙虚さ)の6つの要素があれば、結局、全てはうまくいくというのである。リーダーたるもの、出発点は己の心の持ちようを越えて、その結晶としての「人格」そのものであると断言し、これを修養することこそが企業活動の全てをうまくいかせる秘訣であると述べていた。

今回のWorld Business Forumのハイライトは何といってもヴァージン・グループの総帥であるリチャード・ブランソンの登場であった。もちろんノーネクタイ、しかもインタヴューをして来る司会者のネクタイをステージ上にてハサミで切り取り(!)、ワイシャツの首のボタンをはずさせることで拍手喝采を買ったリチャード・ブランソンは余りにも素朴であり、「経営者」というよりも「エンターテイナー」であった。またあれだけの企業グループの会長ともなると気難しい話をするものとこの手の会合では決まっているのだが、むしろ逆であり、一つ一つの質問に対する答えもたどたどしく、それが人間味あふれる同会長の姿勢をにじみ出させていたのがこれまた印象的であった。

ヴァージン・アトランティック航空は昨年(2015年)末に我が国から撤退したが、オーストラリアではカンタス航空、ジェットスターと並んでなくてはならないエアラインとしての地位を確保している。かつての「平成バブル」当時に開設したロンドン・成田線はもはや無意味であり、南半球のオーストラリアにおいてこそ不可欠な存在となっていく。―――このあからさまな戦略の蔭に、人間味あふれるプレゼンテーションの向こう側に冷徹な計算と気候変動の激化を念頭に置きながら、北半球より南半球へと露骨なまでに舵を切るリチャード・ブランソンという経営者の本質を感じた次第である。

我が国では個別の企業努力を語る前に何かといえば「アベノミクスが」「政府が」と語る傾向が依然として強い。しかしグローバル・マクロ(国際的な資金循環)が織りなす世界史は着実に動き続けているのであって、これまでその担い手の一翼を担っていた米欧勢のビジネス・エリートたちは引き続きそこにおける「文脈(narrative)」を創り続けているのである。今後、仮にこれら米欧勢が何等かの理由でその支配的な地位を手放し、一時的であれ我が国に対してそれをゆだねるという形で「パックス・ジャポニカ(Pax Japonica)」に向けた端緒が見えた時、果たしてこれほどまでに力強く続けられてきた「文脈」づくりをも担うための知恵と力をもった我が国のビジネス・リーダーがいるのか、いないのか。あるいはこれから全く新しく現れるのか、現れないのか。―――私自身、主体的な意識を引き続き高めつつ、この世紀の難題に対して全身全霊、ぶつかっていきたいと考えている。

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