島崎敏樹の文字でかく絵(連載「美と心の旅」・その2)
フラヌールです。特別コラムニストとして本日は連載の第二回をお届けさせていただきます。
島崎敏樹という作家をご存じだろうか。
あの島崎藤村を叔父にもつ、精神科医である。
大学に入ったばかりの頃、大きく分厚い医学書ばかりの図書館の精神科コーナーで、申し訳なさげに並んだ古びた文庫本に惹かれた。
それは、精神科医であった氏の視点から現代の様々な心理的光景を描き出した小篇であった。叔父の藤村を彷彿とさせる詩的な言葉の選択や、その細やかな描写は、当時は医学の勉強が漢字の羅列の暗記としか思えなかった私を惹きつけた。
“文字で書く絵”と表されたエッセイ*1で、氏自身の精神科医としての誇りと決心が窺われる表現があった。
氏の身内には画家など芸術家が多いが、氏はどうも絵を描くのが苦手らしい。そこで、(自分は精神科医として、)
手におえない現代の顔と対面していなければならないからには、顔の背後にある心をなんとかして見ぬいて、文字でかく絵に表現してみたいものだとおもう*1
と記している。
氏の柔らかな叙述的文章には、いわゆる科学的な鋭さや冷たさ、他の解釈の余地を与えぬ機械的なところがまったくなく、それが私には斬新でやさしくうつった。
さて、氏のことも暫くの間忘れていたのだが、つい最近再会の機会を得た。現在、神保町では恒例の青空古本市が11月1日まで行われている。神保町の交差点の周囲一帯に露店商が軒を重ね、本好きの人たちで連日賑わっている。自宅から十分ほどの徒歩圏内であるので以前はちょくちょく足を運んでいたのが、このところ探す手間を惜しんで、世間一般に漏れず古書もamazonで注文してしまいうので神保町からすっかり足が遠のいてしまっていた。
さて、軒先で氏の本を見つけて懐かしくなり数冊もとめた。ネットではなかなか、時代に埋もれて読まれなくなってしまった本には辿り着かないものである。しかし、誰に勧められるわけでもなく話題の本でもないものを、自分の直観を頼りにふと手に取ってみて、それがよいものだったりすると嬉しいものだ。
氏のテーマには、空間のとり方が心のあり方に与える影響に関するものが多い。*2五十年ほど前の時代になるから、その頃精神病院といえば鉄格子を窓枠に取り付けて病人をふさいでるところが多かった。そのような閉じられた空間は、病人をさらに病人らしく、無気力にさせていく。
さすがに今では鉄格子のある精神病棟は見かけなくなり、個人クリニックや精神分析家のオフィス、VIPが通う病院ともなると空間デザインにこだわるところも多くなってきた。しかし皆さんご存知の通り、基本的に病院というのは簡素で無機質、無装飾な場所である。看護師、医師の白衣、病院の床・壁・天井、至る所は白であり、機械・器具で溢れている。
氏の“文字でかく絵”を鑑賞しながら、ふと先日の実習でICU(集中治療室)で受け持った患者さんが話していたことを思い出した。その患者さんは大動脈瘤を切除する長時間に渡る大手術を終えて術後管理のためICUに入室していたのだが、術後せん妄を起こしてしまった。
術後せん妄とは別名ICU症候群とも呼ばれていて、手術をきっかけに急激に精神錯乱、幻覚、妄想状態を起こす。特に高齢者に多く、一週間ほどで次第に落ち着くことがほとんどなのだが、治療行為を激しく拒否したり、点滴を勝手に抜いてしまうことがあったり、生命を脅かす危険行動をしかねないので厳重管理が必要になる。
この患者さんは、術後二日目からせん妄が現れ、「私を殺す気だろ、分かってるんだからな。」と言いながら両手をぶんぶん振り回すなどして処置に協力してくれないので、医師や看護師も手を焼いていた。
数日でせん妄はおさまり、無事ICUを退室し普通病棟に移ることになって、再び患者さんを訪ねた。医学生にできることといえば、なかなか病棟の患者さんの話をじっくり聞いていられない医師や看護師に代わってお話しをお伺いすることくらいである。三時間以上ベッドの横で競馬について語られたときはさすがに閉口したが、こうやって一人ひとりの患者さんがわが孫のように自分の半生や日常生活、入院中に感じた事を話してくださるのは、ひとくくりの疾患に診断というラベルを張られた患者さんのそれぞれの素顔、個性が見えてくるとても貴重な機会でもある。
この患者さんはICUでのせん妄を振り返って、
「どうも私、殺されるとか言って暴れたりして、随分みなさんを困らせたみたいね。ごめんなさいね。本当にどうかしてた。私はまだ生きているのにみんなに死んだことにされていて、これから埋葬しようとしているって思ったの。だから必死で私は生きてるんだぞって伝えなくちゃと思ってたのよ。」と話された。
「私も少しびっくりしちゃいましたが、なにぶん、あんな大手術の後で何本ものチューブにつながれているとしんどくなってしまいますよね。気持ちは大分落ち着かれましたか?」と私。
「うん、とても気分はよくなったわ。それにしてもあそこに居たら気が変になるわ。夜中も機械音がピーピー鳴りっ放しで、看護師さんはベッドの前のパソコンでずっとカチカチやっているから気になって眠れやしない。それに窓がないのよ、全く外が見えない。外の景色みたいわ、どうにかしてほしいわね。」
そうなのである、ICUは重症患者さんばかりなので常時機械が作動しているし、患者さんのベッドの目の前に専用パソコンが備え付けられている。そして、実際は窓は存在しているのだけれども、患者さんのベッドの頭部側の真後ろにあるし、異様に高いところに位置されているので、まず患者さんの視界に窓の景色は入ってこない。
少し注意すればいろいろな矛盾に気づく。少しの工夫で改善できることも多くある。ベッドの目の前でパソコンを打つときはカーテンを閉めて、カチカチ音やスクリーンの光が患者さんの気分を害さないよう気を付ける、とか。
窓といった建築的要素についてすぐの改善は難しい。だけれども、病棟で窓際のベッドを希望する患者さんが多いように、病院という日常からかけ離れた空間にいるとき、ひとは普段、うちでは気にしなかったような窓という外と中をつなぐ構造物の必要性をひしひしと感じる。病院に何日もいると孤独を感じるものだ。そんなとき、より神経は研ぎ澄まされて敏感になるものだから、医療空間が気分が少しでも落ち着くところだといいなと思う。欧米を中心に芸術家、建築家が病院空間の構成に介入しているケースが広がっている。 *3 病院もマンモス化していくと、そのようなちょっとした遊び心というか想像力が必要な部分というのは削ぎ落とされていく。だけれども、研究でも臨床でも、果ては学生の教育カリキュラムまで欧米の動向をこんなにも気にするくらいなら、そういう遊び心も見習ってほしいなというのが一医学生の勝手な希望である。
*1 『心の風物誌』島崎敏樹 岩波書店 1963
*2 『幻想の現代』島崎敏樹 岩波書店 1970
*3 http://www.architecturaldigest.com/story/rxart-childrens-hospital-article
【執筆者プロフィール】
flaneur (ふらぬーる)
略歴 奈良県出身、1991年生まれ。都内医学部に在籍中。こころを巡るあれこれを考えながら、医療の『うち』と『そと』をそぞろ歩く日々。好きなことば : Living well is the best revenge.