これから起きる本当のこと(前編)。(連載「パックス・ジャポニカへの道」)
19日未明、「安保法案」が我が国国会で成立した。与党がそこで多数を占めているのだから当然と言えば当然のことだ。しかもそこで賛成票を投じた国会議員たちは誰によって選ばれたのかといえば、結局のところ私たち自身が選んだのである。非常に厳しいことを言うならば、国会前でデモをやったところで「民主主義」というルールを変えない限り、状況は全く何も変わらないのである。「議会外野党(Ausserparlamentarische Opposition, APO)」という概念がドイツでは憲法学上、しばしば語られる。なぜならばドイツの憲法であるボン基本法には第20条にこんな条文があるからだ。
Artikel 20 [Grundlagen staatlicher Ordnung, Widerstandsrecht]
(4) Gegen jeden, der es unternimmt, diese Ordnung zu beseitigen, haben alle Deutschen das Recht zum Widerstand, wenn andere Abhilfe nicht möglich ist.(仮訳:すべてのドイツ人は、この秩序を除去しようと企てる何人に対しても、他の救済手段が存在しないときは、抵抗権を有する)
戦前のナチス独裁は当時、世界でも稀に見る先進的な憲法であったヴァイマール憲法に記された手続に則って「合法的に(legal)」成立した。手続に従順なことで知られるドイツ勢は、これに抵抗する術を知らなかったのである。一部には憲法学の泰斗カール・シュミット(Carl Schmitt)のように「合法性ではなく、正統かどうか(legitim)を問うべきだ」と反論する者もいたが、ナチスの暴力の前に最終的にはひれ伏さざるを得なかったのである。そしてその結果、ドイツ勢は屈辱的な敗北を先の大戦で味わうことになったのである。このボン基本法第20条第4項は正にそうした民族としての窮極の体験に基づいている。その延長線上に「議会外野党」という発想があるわけである。ここに来て何かしら疑問を持ち、iPhone片手に散歩気分で「デモに参加」する若者などとは訳が違うのだ。
「一体これからどうすれば生き残ることが出来るのでしょうか」
様々な場所でそんな切実な問いかけを受けることが日に日に多くなっている。そもそも「崩落」「崩壊」といった恐怖シナリオを説いては、「唯一の救済手段はこれだ」とセールスし、しこたま稼ぐ向きは1990年代から大勢いた。最初はそれに驚き、あわてふためいていた読者たちも最近は「さすがに違うかな」と気付き始めたように思う。
しかしもっと厄介なのは「何も起きないし、何も変わらない」という、逆向きの議論を展開する人物たちの存在なのである。そうした極めてナイーヴな発言の背景には、「そもそも国家は民族の意思に基づくものであって、民族そのものに害を及ぼすことはない上、官が倒れようとも民はまだ我が国において豊かなのだから崩壊などあり得ない」という妄想が横たわっている。「民主主義で選ばれたリーダーは絶対に有権者である私たちに手を下す必要がない」という素朴な”信仰“と言ってもよい。そしてそれもまた、他ならぬ戦後民主主義教育が生んだものであることは言を俟たないのである。
繰り返しになるがこれが如何にナイーヴな妄想であるのかは、先ほどのナチス・ドイツの例からも明らかなのである。日々の生活で追い詰められた群衆が「過半数」となった時、これを止める手段を民主主義は全く知らないのである。今でいう基本的人権に相当する基本権(Grundrecht)は次々に停止され、ユダヤ勢は強制収容所で惨殺されたのである。これら全ての淵源は“民主主義的な手続”によって成立した「全権委任法」に基づいていたのである。かくて民主主義は必ず独裁を生み、しかもその独裁が権力の淵源である国民そのものを蝕み切らない限り、それは決して終わることはないのである。
「それでは全く抜け道は無いということなのか」―――そう短絡的に悩むことなかれ。なぜならば通常ならばまた戦争による殺戮となり、大量の尊い命が失われるべきところだが、ここでそうした「通常の展開」を阻む事象がいきなり始まるからである。確かに現在の第2次安倍晋三政権が目指しているのは戦争経済(war economy)への本格参入による景気回復である。「安保法案は平和を守るためだ」と言っても、いざ有事と言う時に、男・安倍晋三が自ら一兵卒として銃を取り、敵に銃弾を浴びせられることを覚悟しているわけもないのである。そしてまた現在、外務省そして防衛省の担当官たちは「国民はこれだから先のことを考えずに困る」とほくそ笑んでいるであろうが、しかしその彼・彼女らもまさか自分たちがヘルメットをかぶり、時に劣化ウラン弾で汚染された赤茶けた大地を後進するようになるなどとゆめゆめ思っていないのである。皆、「私・俺だけは大丈夫」と考えている、それが悲しいかな、この国が生んで来た「戦後エリート」のなれの果てなのである。
しかし、である。ここで悲嘆にくれていても何も始まらないのだ。全てのストーリーを最初に巻き戻して考える必要があると私は想う。つまり「民主主義」というルールがあるからこそ、こうなっているのである。そしてまた私たちが感じる憤りもそもそも何に向けられるべきなのかといえば、結果において堪えがたい害悪をもたらしているに過ぎない「民主主義」というフレームワークそのものなのである。
日米関係の根底を担っている賢人が私にこう教えてくれたことがある。
「我が国の保守政治家たちは皆、『改憲すべきだ』としきりに叫び続けている。だが冷静に思い返してみると、『それでは戦前の大日本帝国憲法に戻そう』といった議論をしたり、あるいは『象徴天皇制を排して、衆愚制に陥った国民主権そのものを見直すべく日本国憲法第1条を改正しよう』といった議論をする者は皆無なのだ。しかし本当の問題はそこにあるのであって、それ以上でもそれ以下でもない。したがって日本国憲法第1条をどうするべきなのかということについて議論をしない改憲論は皆、似非だと考えた方が良い」
それではなぜ、その様にして自らの絶対的な権能を全く奪われてしまう日本国憲法に我が国の本当の「権力の中心」は御名御璽を行い、これを発布したのだろうか。いわゆる「改憲論者」たちがしばしば口にするように、GHQに力で押し付けられたからであろうか。矢尽き、刀折れた我が国の最高リーダーは、それしか生き残る道を見いだせなかったからだろうか。
私は決してそうは思わない。臥薪嘗胆をするためにも昼行燈を決め込む必要があり、そして「ここぞ」というタイミングで一撃必打による局面の大転換を図るのである。具体的にはこうだ:
―まずは「戦勝国」に言いなりになったふりをし、アメリカン・デモクラシーの導入に同意する。国民主権を前面に出させ、国民には「自分たちのリーダーは自分たちで決める」というルールを定着させる。無論後日、その限界とそれまでに起きることへの責任を痛切に感じさせるためである
―国民がそうした自決ルールで充足感を得るのは、何よりもまず鱈腹メシを食べられるようになる時である。そこで敗戦直前に軍の優秀な若手技術将校を有望な中小企業へと「転属」させ、最高水準の技術を移転させると同時に、国内に集積すると共に全世界で引き続き運用を行う簿外資産を、国内ルートを通じてこれら中小企業へと大量に注入する
―こうして力を蓄えた我が国中小企業が生産する製品を、今度は米国勢に大量に売りつける。国内では日本共産党という共産主義者(!)を合法化しつつも、他方で対米関係では「防共の壁に我が国はなるべき。だからこそ米国は我が国を守る義務がある」と主張し、これで米軍産複合体の要求を満たしつつ、他方で極端に円安な対ドル・レートを固定し続け、ダンピング攻勢を可能にする
―こうして実現した「高度経済成長時代」をピークに米国など諸外国から奪い去った国富を今度は国内で分配するゲームとしての民主主義をフル回転させる。こうしたフレームワークそのものが壊されないよう、政争は自民党の中だけとし、野党には「反対する役割」だけを与える。そうした中で我が国経済は爛熟し、ついに史上空前の平成バブルが発生する。無論、そこでは「国民誰しもがマネーを引き出したいならばいつでもどこでも引き出せるような仕組み」を整える。サラ金、相互銀行などがその例である
―やがて「一撃必打のその時」が迫り始めると、それに向けてこのバブルを一気に崩壊させる。そしてその後の内閣総理大臣には一切、本格的な景気回復策に入ることを許さない。その結果、我が国社会は世界に先駆けてデフレ対応となって行き、同時に国民全員の心理もまた萎縮し続ける
―事ここに至って、今度はこれまで政権の座に就くことを許してこなかったマイノリティーたちにも出番を与える。「労組」「帰化した外国人」などである。彼・彼女らは「事業仕分け」「構造改革」といった形でこれまで自分たちを抑圧してきたシステムを壊すのに躍起となるが、だが同時にかつての様な「国が富むための資金注入」を民間ベースで密かに与えられないため、単に壊すだけに終始し、やがて国民の不満を一心に浴びることになり、自沈する。これが「民主党政権崩壊」である
―次に「一撃必打のその時」に向け、日本銀行に命じることで量的緩和を一気に進めていく。同時にあえてもっとも経済のそうした本当の仕組みに疎い「保守」政治家を内閣総理大臣に据え、刷新をアピールさせる。だが、同時に世界各国の「根元的な階層」に対しては我が国の最高リーダーの地位は不動であることを伝え続け、当該内閣総理大臣が何を彼らにアピールしようとも聞き入れないように仕向けておく。他方で国内では既得利権に染まった国民が新しいものを受け入れようとしない、すなわちイノヴェーションが発生しないことを確認し続ける。結果として量的緩和でばらまかれ続けるマネーは危険水域に達するため、「戦争経済」へとこの内閣総理大臣は着手し始める
―そのための「安保法制」が整った直後にはやや自体を小康状態に持っていくが、その後、劇的な展開を演出する。すなわち「東アジア有事」への突入であるが、その際、最も大きな役割を果たすべき諸外国には、その最高権力者を直々に招いた上で協力を依頼する。無論、それに対する報奨の事前供与も忘れない
―そして2年後。東アジア有事なのでいざ「安保法制」発動となった時、その前提条件が余りにも複雑すぎ、衆参両院で180時間以上も審議したにもかかわらず、事前承認をするはずの国会の審議は空転し、決断が出来ないまま推移する。そうこうする間に我が国自身にも存亡の危機が迫るが、防衛省・自衛隊は事ここに及んで「24時間しか国土防衛が出来ないこと」という驚愕の事実を吐露し始める。再び敗戦となった時に責任追及されないようにするためである。他方でよりによってこのタイミングでそれまでの資産バブルが過熱し過ぎ、ついにはハイパーインフレーションが始まってしまう。迫り狂うデフォルト(債務不履行)の危機だ。しかしこの問題についても結局、民主主義的な手続で選ばれたリーダーたちは一切何も決めることが出来ない。我が国国内は騒然とした雰囲気となる
―「もはやこれまで」と思われた時に、事態が質的に違う意味で激変の時を迎える。長らく危惧されてきた天変地異がついに同時多発的に我が国において発生するのだ。「一撃必打の時」の到来である。人心はより一層動揺し、民主主義的な手続きで選ばれた政治リーダーたちが何をいってももはや何もさえられない状況となる。そうした中で江戸時代末期の「えぇじゃないか」にも似た高揚感が我が国社会に満ち溢れ始め、人々は伊勢、そして出雲へと殺到し始める。「質的に全く新しい、しかし日本人ならば誰しもが知っている本当のリーダー」へと人心が集約され始める
―事ここに及んでいくつかの有力な諸外国勢より、「日本は天皇主権へと戻るべきなのではないか」との議論がどこからともなく、しかし轟然と展開されるようになる。するとそれと呼応するかのようにこれまたどこからともなく今度は国内から「天皇主権へと我が国は戻すべきである。その意味での憲法改正こそが必要だ」という議論が声高に始まる。東アジア有事の「戦争」そのものは我が国についてみると大規模な天変地異の発生によって沙汰止みになるものの、引き続き騒然とした世情の中でついに憲法改正のための議論が始まる。我が国古来の国制への転換、すなわち「天」と「地」という人類にとって基本中の基本であるフレームワークに則る形で国を統べるという意味での「祈」を中心とした体制へと我が国は世界に先がけて移行し始め、各国がこれに追随することになる
「落ちるところまで落ちないと上がって来ることはない」―――これが復元力の原則(ルシャトリエの原理)である。劇的に上昇することを目的とする以上、その前には劇的な形で崩壊寸前にまであえて行かせる必要があるのだ。それが今、我が国が置かれている本当の状況なのである。その意味で、これから続々とすさまじい出来事が我が国を襲うことになる。
これから起きる本当のこと、についてはご理解頂けたと思うので、次回は「それではどうすれば良いのか」ということについて卑見を具体的に書きたいと思う。悲嘆にくれている暇は・・・全くない、断じてない、のだ。
2015年9月20日 東京・仙石山にて
原田 武夫記す