我が国における「報道管制」について。(原田武夫の”Future Predicts.” Vol. 98)
我が国ではある時から「ゴールデン・ウィーク」に加えて、9月に「シルヴァー・ウィーク」なるものが導入された。国民の祝日をまとめてとれるようにという立法措置が為されたわけであるが、今年は週末も入れると5連休となり、余裕のある方であればさらにもう1回週末も続けて、9連休(!)となるという大盤振る舞いの連休となった。読者の皆様も、あるいはこのブログをこうした「大型連休」の最後にあたって、どこぞのリゾートでお読みになられている方もいらっしゃるのではないかと拝察する。
筆者はというと、ロンドンとローマに滞在させて頂いた。16日から24日までであったので足かけ9日間ということになる。共に用務を伴う滞在であったので完全なるヴァケーションというわけではもちろんなかったわけであるが、欧州を代表する二都市に比較的余裕をもって滞在することが出来たため、何かというと「枠」にとらわれがちな我が国における生活環境、さらには分析環境とは大きく異なる立場から物事を見ることが出来たのではないかと思っている。そしてそうした中で一つ痛烈に感じたことがあるので、ここで記しておきたい。
それは、どうやら我が国のマスメディアに対する政府サイドからの「事実上の報道管制」がかなりのレヴェルで強まっているのではないかということである。端的に言うと我が国において普段、マスメディア、さらにはそれをキャリー(転送)している各種ネット媒体を見る限りにおいて、あたかも「トランプが世界の全てであり、その政権との関係でどの様にうまく物事をこなすのかが同じく世界の全て」であるかの様に思えてしまう。そしてその反射的効果として、我が国の大手マスメディアを見ると、「台風」「洪水」といった自然災害に関する”客観的報道”を別とすれば、まずもって「高市早苗」であり、「防衛省」なのである。猫も杓子もそうであり、さらには最近では防衛装備品の調達をスタートアップからも行うと当局が盛んに言い出しているため、本来、シリコンヴァレーレー等では政府当局に対する「反骨精神」から始まっていたはずの(真正なる)スタートアップがいつのまにか、「親方日の丸」の開発主義国家的スキームとすり替えられており、「どうやったらば防衛当局から補助金をもらえるか、調達してもらえるか」といったセミナーが乱立するようになっている。怖いのはこうした状況が「異状」であるということに、全くもって気づかされないということなのだ。完璧なまでに「大本営発表」を切り抜きした報道ばかりが飛び交っており、本来、alternative mediaとして「そうではないこと」「それとは違う角度」から物事を見、語るべきネットメディアまで、結局はそうした「大本営発表」を起点に云々するようになっており、全てが事実上の「報道管制」の下に置かれるようになっている。
無論、こう言っているからといって、筆者は何も、かつての「霞ヶ関」における同僚たちの振るまいを一方的に論難したいわけではない。事実、筆者は12年にわたって我が国外交の最前線におり、こうした「報道管制」をむしろ”行う”側にいた。したがっていわばその「手練手管」は熟知している。何を目的として、どこをどう動かすことによって、何が信じられるようになるのか。他方でどこまであえて言わないことにより、どういった「印象」が持たれ、結果としていかなる「政治的現実」がもたらされるようになるのかも知っている。
しかし今回、訪欧して現地における様々な出来事をこの眼で見、かつそこで繰り広げられている言説(narrative)の数々に直接触れ、強く感じたのである。それは「日米同盟」にある意味とらわれ(lock-in)、他方でその間隙を縫って、我が国に対して防衛装備品を大量に売りつけようとし、盛んに危機と「最新技術」(といっても実質的にはAI統制が問題であり、そこに盛り込まれている過去データが東アジアにおける実戦データではないので使い物にはならないのであるが)を煽り立てて来ている欧州勢の勢いに気おされ、あるいはそこに新たな利権の臭いをかぎ取り、巧みに動いている「政治家」たちが日々吐く言葉とは全く違うものであり、事態なのであった。
それでは「何が彼の地で語られていることが違うのか」といえば、2つのポイントがあると筆者は想うのである。一つは、「世界は米中だけではない」ということだ。これは最近、国連の経済社会理事会(ECOSOC)に出入りしていた実に痛感することなのであるが、端的にいうと我が国が米中に翻弄されている間において、実はそれ以外の全てが事実上のgrand coalitionを組んでしまっていることはもはや事実なのである。それは我が国で「専門家」たちの言うglobal southなどというものとは全く違う類のものである。また「東西ブロック」とも違うし、単にemerging marketという議論とも違う代物なのである。
二番目に注目すべきは、そのことの延長線上で知るべきことが「未来」に直結しているということに他ならない。今、我が国ではこれまた米中に翻弄される形で、何かというとAI! AI! AI!となっている。しかしここでいうgrand coalitionはもはやそのレヴェルをはるかに超えた、より本質的な論点を軸に形成されつつあるのである。端的に言うならば、AIの社会実装がまんべんなく行われた「先」において、果たして人類全体がどうなるのかという観点から物事は熱心に語られ、かつそれに基づき事実上のcoalitionが組まれつつあり、さらにはそこでは私たち日本勢が見たことも、聞いたこともないようなleadershipすら既に現実のものとなっているのである。加えてこのleadershipのベースにあるのは人間性(humanity)そのものであり、道徳的であり、かつ倫理的なものである。我が国において政府以下、連日の様に語られている「経済的合理性」などという議論を遥かに超えた、より本質的な議論こそがそこでは基調なのである。これに揺り動かされない者はいない。もっといえば、我が国においては「御上」も含め、そうした声を一切上げていないことは、一体何故であるのか?
今回、ロンドンとローマで直視することが出来たのは正にそうした「新しい現実(new realities)」であった。しかし”このこと”に我が国の同胞たちが気づくことが出来るのは、内閣広報費を大幅に増額し、「報道管制」を徹頭徹尾し始めた政府当局の御仁たちも含め、恐らくは短く見積もっても5,6年後のことであろう。しかし、そこでは当然、もう遅いのであって、だからこそ筆者たちの様なnon-gevernmentalなstakeholderの出番ということになってくる。そのことについて、とりわけローマで連日、「台風」に見舞われた我が国においてとは比べ物にならないくらい燦燦とした陽光を浴びつつ、強く想ったことをここで告白しておきたい。
そう、世界は着実に、あらためて「音を立てて動き出して」いる。それなのに我が国は例によって動かず、いや、動けないでいる。しかし時代は決して待ってはくれない。例え「メインストリーム」が語らずとも、世界の現実は現実なのである。”このこと”に同胞たちが気づく前に、筆者は更に進んでいきたいと思う。来月(10月)はカザフスタン勢とだけ少々交わるが、続く11月にはワシントンD.C.を筆頭に3か所ほど世界を廻る予定である。Grand coalitionに、我が国から、そして「報道管制」からはフリーな立場でどこまで食い込むことが出来るのか、己の力をさらに磨き、邁進していくこととしたい。
2026年9月25日 東京の寓居にて
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役CEO/グローバルAIストラテジスト
原田 武夫記す